おやすみのその前に



徹夜明けにラボから地上へと這い出ると、そこは一面の銀世界。
吐き出す息の白さと肌を刺す冷たい空気、そして何より降り積もった雪のせいでいつもより明るい夜明けが眩暈を呼んだ。
暑いのは不得意だが、かと言って寒いのが得意かと尋ねられれば、答えはNOだ。
夏は冷房器具、冬は暖房器具に頼りっきりの生活を送っている(まぁ、流石に夏にラボの温度を極端に低く設定して、ブランケットに身を包んでいようものなら、不健康だ不経済だ何だと喚き散らされたのでその点は控える様にはしたが)。
寒さを凌ぐには頼りない白衣の襟元を手繰り寄せ、身震いをしながらも庭へと歩を進めた。
さくさくと軽い音を立てながら、やがて辿り着いた庭に見慣れた後ろ姿を認める。
空から降る白い雪が覆い尽くした世界で、それは異質としか言い様がなかった。
無垢の中に汚れをひとつ落とした様な、しかし、汚れと呼ぶには余りに気高い赤色。
徹夜明けには少しばかり鮮麗が過ぎる。
それでも、視線を外すことはしない。
捕らわれて、囚われて、哀れな程に。
自らの愚かしさを誤魔化す様に凛冽たる空気を裂いた。

「せんぱい」

雪は全ての音を吸い取ってしまう。
彼を呼ぶ声すら静寂に埋もれて、佇む影に舌打ちをした。
(俺の声が聞こえないなんて、これだから年寄りは)
ひとり分の足跡が刻まれた庭にもうひとり分のそれを刻みながら、ふたりの距離を詰める。
もう一度、真っ直ぐと伸びた背中に呼びかけ、振り返る様に口端を吊り上げた。

「こんな早朝にどうした」
「アンタの住処が潰れてねぇかと思って」

見物だよ、と一瞥したテントは雪の重みに何とか持ちこたえている様だった。
ただ、アンタに会いに来たんだ、と素直に告げるなんて柄じゃない。
降り積もった雪は偽りを真実めかすには充分だったらしく、彼は眉間に皺を刻んだ。

「悪趣味だな」
「オホメニアズカリコウエイデス?」
「期待に添えず残念だ、ざまあみろ」

そう吐き出した彼から滲み出る幼さに喉を鳴らす。
それが気に食わなかったのか、更に深く刻まれた眉間の皺が愉快で仕方がない。
彼との距離を一歩、また一歩と詰めて、やがては触れ合うのが容易なまでに。
腕を引くことで後退ろうとした身体を許さず、腕を掴むもう一方の指先で眉間の皺を伸ばす。

「程々にしとかないと、その内消えなくなりますよ」
「っ、誰のせ…」

瞠目する双眸に映り込んだ自分は随分と嫌味な笑みを貼り付けていて、言葉だけでなく、白く染まる吐息すら奪う様に口付けた。
静寂の中、小さなリップ音を立てて唇を離すと、彼は見る見る内に顔を赤く染め上げ、顔面を目掛けて拳を振って来る。
寸でのところで身体の軸を反らし、拳を横目で見送った。

「っと、あっぶねぇ」
「貴…様っ、避けるな!」
「やなこった、痛いのはごめんなんでね」

そうへらりと笑いながら、小気味良い音を立てながら数歩後退ると、相手の拳が届かないだろうところまで距離を取る。
彼の背後からは朝日が顔を出す気配がした。
もう寝る時間だ、と脳が訴えて来る。

「んじゃあ、おやすみせんぱい」

ごちそうさま、と余計に零して踵を返すと、背後から響いた罵声が鼓膜を震わせる。
どうやら、雪も彼の罵声は吸い取れないらしい、と密かに肩を震わせて笑った。

( あ あ 、 い い ゆ め が み ら れ そ う だ )




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