朝になれば彼は忘れてしまう


ひんやりとしたものが背筋を撫でて、それが彼の手のひらだと気付く頃には、背中にいつもなら感じる事のない重みを受け止めていた。月を模した髪その儘に彼の存在は不確かで、触れる事が出来たとしても曖昧にぼやけている。本来なら彼の身体は熱を持っていた筈だ。それは誰かを安堵させる為の、誰に分け与える為のもので、その相手は幼い人間で。しかし、彼はそれを大半の記憶と共に何処かに落として来てしまった。ゆらゆらと月の光の様に揺らめき、触れている実感など微塵も与えてはくれない彼の重みを、彼の冷たい感触を感じるのは何故か。頭を擡げるざわめきを不安と呼べるのだと知ったのはいつの事だったろう。
「僕はきっと失敗したんだ」
ぽつりの静寂に波を打った彼の呟きが、空気だけでなく世界を揺らした気がした。
「どんな事態でも手を離しちゃいけなかった。僕が連れて行くべきだった。僕があの時手を離してしまったから、」
抑揚の少ない淡々とした声が背中から直に伝わり、やがて身体に染み入る。冷たい手のひらがまるで縋る様に服に皺を作ったのが判った。
「僕は僕を傷付け続けてる」
立てられた爪が微かに食い込む。その痛みが彼と自分とを繋ぐ絆だった。

(三日月が薄く笑う夜の出来事)



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