夜の落としもの


「前は月みたいだったけど、今は明け切れない夜みたいだよね。もう少しのところまで来てるのにけして朝は来ないんだ。きっと、夜が月を落っことしちゃったんじゃないかな」
彼のガラス玉みたいな双眸がくるりと煌めく。視線の先には、彼曰く「明け切れない夜」が読書に没頭していた。耳をなくしてから掛ける様になった眼鏡を時折指先で押し上げ、その指先で分厚い本のページを捲って行く。まるで本の中だけが世界の全てだと言わんばかりに他を遮断しているかの様に見えた。それに不安と寂しさを感じる理由を知っている。そして、彼もまた「明け切れない夜」に対して思うところがある事も。
「落としものは本の中にはないのにね。だって、月は本より誰かと触れ合う方が好きだったもん」
西日の差し込む図書室は喧騒には程遠い。グランドの運動部の掛け声が遠く聞こえる程度だ。窓の縁に肘を突き、外から中を覗く彼に背負われた夕日はもう直ぐ姿を隠すだろう。グランドの方向から彼を呼ぶ声が響いた。
「あ、もう行かなきゃ。部活終わったら直ぐ帰るから、先に晩ご飯済ませないでねってみんなに言っといて」
「うん、判った。今日はジェドーラがケーキを焼いたらしいから、食後にみんなで食べようって言ってたよ」
「え、ほんと?わーい!それじゃあ、頑張って来るねーっ」
「ん、いってらっしゃい」
満面の笑みに手を振ると、もう既に走る背中は小さくなっていた。相変わらずの脚力に感心しながら窓を閉める。それと同時に名を呼ばれた。以前と比べて低く掠れた声。声の方を振り向くと分厚い本を本棚に戻す姿があった。
「リーニョ、来てたんだ」
「うん、休憩時間だったみたい」
「そう、気が付かないなんて悪い事したな」
少しばかり気落ちした声に思わず頬が緩む。彼は誰よりも仲間想いだが、それを極力表に出さない。無意識なのかそうでないのかは定かではないが、どちらにしても今の自分の表情を彼に見せるのは得策ではないだろう。表情を引き締め、指先で背表紙をなぞる様に次に読む本を探す彼の横に並んだ。
「探すの手伝うよ」
「ありがと。何冊かあるんだけど」
「借りる分?」
「うん」
短く返事をして頷くと、彼は本のタイトルを幾つか挙げて行く。それを頼りに目的の本を探し、見付けては棚から引き抜いた。
「ねぇ、ニコフ」
「うん?」
「僕の落としものは何処にあると思う?」
背表紙をなぞる指先が思わず止まる。隣で同じ様に本を探す彼の方へ視線を移すと、先程よりも傾いた西日が彼が孕んだ危うさを引き立てていた。
「聞いてたの?」
「本当はリーニョが来てたの気付いてた。ごめん」
「いや、別に謝らなくて良いよ。気付かない振りをしてた理由、聞いても良い?」
そう問い掛けると彼は困った様な笑みを寄越した。レンズ越しの双眸の奥には闇が燻る。
「リーニョは時折、思い出した様に僕の痛いところを突いて来る。今回はリーニョの目を見て話せそうになかったから逃げた。まぁ、リーニョは僕が気付いてる事に気付いてたと思うし、次はちゃんと向き合うよ」
まるでそれが義務であるかの様な口振りに僅かに目を見張ると、苦笑した彼に背中を軽く叩かれる。
「僕は目を逸らしてるだけ。リーニョが正しいんだよ。だから、そんな顔しないで」
子供をあやす様な手付きに逆に不安を掻き立てられるだなんて彼は思いもしないだろう。膨らむ不安を彼に悟られない様に笑った。

(君が孕んだ危うさが僕の不安を掻き立てる)


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