「世の中には雑音ばっかが蔓延ってて、誰かの心が潰れる音なんて俺達の耳に届く筈もないんだ」
両耳を包むように覆う彼の手のひらの温もりが少しだけ、ほんの少しだけ震えたのが判った。それでも彼は変わらず微笑み、わたしの額と自分のそれをこつりと合わせた。微かな震えは一瞬の出来事で、まるでそれが錯覚であったかのような、そんな感覚がわたしの思考を撫でて、事実を跡形もなく拭い去ろうとする。だからわたしは口を噤んだ。彼はとても臆病で、誰よりも傷付き易い。わたしは小さな子供をあやすように、ただ微笑み返す。
「さき、」
紡がれた名前が白く染まり、冷えた空気に離散する。響きだけが鼓膜を震わせ、わたしの中に浸透して行く。思考がじんわりと痺れて心臓が震えた。彼がわたしの一部になったかのような感覚に眩暈がする。切なくて、苦しくて、幸せで、泣いてしまいそうになる。胸を占めるこの感情を何と呼べばいいんだろう。
「俺、世界が雑音だらけで安心してる。人の心が潰れる音なんて聞こえたりしたら、そんなん多分耐えられないから、さ」
両耳を覆っていた温もりが薄れ、彼の腕がわたしの身体を囲うように背中に回った。眼前の双眸がそっと隠される。瞼を下ろす音さえも聞こえてしまいそうな距離に目を細め、悴む指先で彼のコートに皺を刻んだ。擦り寄せた額、触れる鼻先、零れる吐息は白く、消え失せる儚さにコートの皺を深くする。
「もし、咲の心が潰れても俺には判らない。判んないのは困るし、つーか嫌だし、でも、俺はそうなる前に守るよ」
身体を囲う彼の腕がわたしを抱き竦めた。ぎゅっ、と力強く引き寄せられて、互いの温もりをより近く感じる。右の肩口に彼が顔を埋め、くぐもった声が肌を伝った。
「咲の心を守ってみせる。何があっても、絶対に」
「た、きざわく」
そっと腕の力が緩み、肩口に感じていた彼の吐息が遠ざかる。それが少しだけ寂しくて、それでも彼に笑顔を向けられれば忽ち寂しさは喜びに塗り替えられる。単純だな、なんて自分を嘲っても、引き出される笑みに偽りはない。
「約束」
そう言って彼は眼前で右手の小指を立ててみせた。それを真似てわたしも右手の小指を立てる。小指と小指を絡めて紡いた子供じみた約束は彼とわたしを繋ぐ絆で、それは目に見えない不確かなものだったけれど、それでも良かった。嬉しかった、幸せだった、彼がわたしを守ると言ってくれただけで。
「嘘吐いたら針千本、な?」
彼の笑顔に胸が軋む。切なくて、苦しくて、幸せで、泣いてしまいそうになる。

彼が傍にいてくれるなら、わたしの心は潰れたりなんかしない。
(ああ、きっと、わたしは彼のことが、)




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