眉根を寄せ、何かを堪えるように彼は唇を動かす。痛い。心臓が鋭利な刃物で抉られるような、そんな実際に味わったことのない痛みに襲われた。
「   み、 れ う   たよ」
不明瞭な音が鼓膜を震わせ、しかし、脳を撫でるまでいかない。その酷くもどかしい感覚に奥歯を噛み締めた。じりじりと焼け焦げて行く精神、それと同じくして渇き切った喉が痛みを訴える。彼の唇は確かにそこから言葉を発していると言うのに、自分の耳はその形を明瞭なものに出来ない。
すみません、よく聞こえないんです。もっとはっきり。もっと大きな声で。
それ等の言葉を並べ立てることが、今の自分にはどうしてこんなにも困難なのか。言葉をなそうとすれば不様に喉がなる。情けなさに押し潰されそうだった。無意識に握った手のひらに爪が食い込む。痛みすら感じないほど、きつく。
「   な、お    つ   て に」
ぼろぼろと零れ落ちて行く、彼にとっては意味をなす、しかし、僕にとっては意味をなさない、いや、なせない言葉の欠片。手のひらで受け止められるのなら、今すぐにだってこの握った拳を解いて、手のひらで受け皿を象るのに。
「 も、 う   ち  た」
ああ、ああ、そんな顔しないで下さい。そんな泣いてしまいそうな、なのに、それすら飲み込んで笑わないで。笑みを絶やさないのは僕の役目であって、貴方の役目ではないのですから。
「  ずみ、ごめ な」 
相変わらず不明瞭な儘の彼の言葉。でも、それでも、今、彼は確かに「ごめんな」と「古泉、ごめんな」と言った。心臓が軋み、ぐっと息が詰まる。呼吸の仕方を忘れるだなんてどうかしている。そう、どうかしていたんだ、僕は。呼吸すら忘れて、彼との距離を詰めた。それはとても容易なことで、数歩足を進めれば済むことで、上手く言葉を紡ぐことの出来ない役立たずな喉よりも、余程僕を宥めてみせる。彼は僅かな瞠目を覗かせ、僕はそれに構わず彼の手首を取った。引き寄せて、傾いた身体を受け止める。彼が抵抗をみせる前に後頭部を手のひらで覆い、自身の胸に押し付けた。
「泣いて下さい」
どうにか絞り出した声はやはり掠れて、耳障りなことこの上なかったが構いはしない。彼の肩がびくりと跳ねたのも気付かない振りをすればいい。
「誰も見ていません、僕にも」
見えませんから。だから、どうか我慢しないで。出来る限り柔く頭を撫でる。ごめんな、なんて欲しくはない。こんな風に彼を追い詰めたのは、恐らく、かなりの高確率で彼女、神であるのだろうと判らぬ訳ではないけれど、所詮は偶然選ばれた駒に過ぎない僕ではどうすることも出来ない。だから、せめて今だけは。神の目が届かぬこの時だけは、駒ではない僕で、鍵ではない彼でありたい、と。

(過ぎた願いだと笑わないで、神様)




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