誰かが結末を笑っている



酷く、もどかしかった。何かが確実に欠如しているのに、それを補う術は無くて、求める答えは此処に無いと誰かが頭の隅で笑っている。物語のチェシャ猫のように嫌な笑みで。それも不快だった、同じ、猫のくせに。
開いた本のページにはびっしりと文字が並び、のたうち回って意味を成している。それでも此処に答えは無いと感じた。ロボットに第六感がある、なんて笑い話にもならない。詰まらない話だ。
文字たちが目を滑るようになって、溜息を吐き本を閉じた。本当は、無意味さを感じた時に、チェシャ猫が笑うより早く文字を追う機能が停止していた。停止していた、より、止めた、という方が多分正しい。本から知識を得る事は好ましいけれど、何か違う。これでは意味を成さない。
黒い雲に覆われた暗い空。月の見えない晩は落ち着かない。失くしてしまった一部が疼く気がして、眠る事さえままならない。だというのに、本を読む事も止めてしまった。長い夜に押し潰されそうで、息が、詰まる。
誰かと話す事が煩わしいと思う事も、世界を遮るような目の前の薄い二枚のガラスも、確かに持ち合わせて居なかったはずなのに何処でそれらを得たのだろう。愛しい記憶、という感情だけが脳に焼き付いて離れない。何を愛しいと思っていたのか、何が愛しかったのかを、僕は覚えていない。
答えを本に求めて、埋まらないから更に知識を詰め込んだ。それでもぽっかりと広がる真っ黒い穴は底も知れず、空虚だけがじりじりと胸を焼く。訳も無く焦りを駆り立てられて、同室の王を起こさないように注意しながら部屋を出た。
冷たいけれど柔らかい外気に、いつの間にか上気していた肌が冷える。考え過ぎるのは悪い癖だと、王やメッドやエルには良く言われる。さすがにエルまで言われてしまっては返す言葉も無くて、取り敢えずいつも頷いておくのだけど納得はいかない。
ロボット学校の寮はマンションタイプで、部屋を出れば手摺りの向こうに街が見えた。昼間よりは随分と静かで、その内世界から音が消える日が来るのではと思ってしまう。そう思ってから、らしくないなと一人目を伏せた。
そして、何の前触れも無く現れたソレに、自分を奪われる。
月の色をした長い髪、いつかの、僕。
「…あい、してるよ」
記憶を引っ掻くその声は、いつかの僕のもの。今は到底出す事の出来ない柔らかい声。穏やかな表情。
温度の感じられない両手が、頬を包んで、それなのに触れられている感覚は酷く曖昧だった。
鏡に映しても、もう二度と見る事はないと思っていた僕の顔がゆったりと近付いて、呼吸のやり方すら忘れてしまう。
「あいしてるよ…ぼくのきみ」
それは囁くようで、それでいてその存在を鼓膜へと刻み込んだ。くっ付けられた額から何かがじわりと痺れて、思わず強く目を閉じる。
「……っ」
一瞬の事だったのに、視界を取り戻した時僕は居なかった。
瞬きを繰り返しても結果は一緒で、次第に、その瞬きに合わせて涙が零れた。
彼が置いていったのは、どんな本にもありはしない僕の昔の記憶と感情だった。ぽっかりと開いた穴を埋める事の出来る、愛しい記憶の一部。
けれど、今の僕は街から音が消えたりする事など有り得ないと、知っている。そう考えるのは、きっと、昔の僕で、今の僕ではない。ただ、感化されただけで。
愛しいという残りかすのような感情も、僕のものではないと漸く気付く。
あの頃の僕は戻りはしないのだ、とその絶対的な隔たりに気付いて、意味を孕んだ涙が床へ呑まれた。


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