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暮色が迫る街角

「(にいさま、にいさまどこ……?)」

 夢の中で泣きそうになりながらただひたすらに広く、水平線の彼方まで続く道を手探りで歩く幼子、これは……きっと生前の私だ。
必要とする人が傍にいなく不安で押しつぶされそうな中がむしゃらに相手を求めその小さな、短い腕を必死に伸ばす。

-----------------------名前、兄様はここにいるよ

 上から降ってきた声と共に幼い私の手にその大きな手が重なった。幼子はその声を耳に入れ、腕に触れている体温をしっかりと確認した後泣きそうな顔を一気に花を咲かせるように輝かせた。

「(にいさま! --------------------兄様)」

 夢に出てくるは生前の淡く泡沫のような記憶。少しだけ垂れ下がった優しげな瞳、どこか私と似たような顔、おぼろげに揺れ動く男性の姿はもうそこまでくらいしか思い描けなくて、けれど夢の中に出てくる男性はいつも笑って私の頭を優しく撫でてくれるのだ、確かに発せられた声で私の名前を呼び抱き締めてくれる、生前の私には、兄がいた。じょじょに普段の生活で消えかかる兄の存在は、私がする生命の働きの中で灯のように浮かび上がり気が付けば消えていく。


「名前、名前」

 夢の中に現れた兄が、私の名前を呼び身体を揺する。妙に現実的であり、触れられた肩には何故だか熱があった。
しかし段々と夢の中の兄は輪郭が薄れ消えていく、と、同時に一瞬だけ真っ暗になり私はハッと意識を呼び戻した。どうやら寝てしまっていたらしい、朝から掃除やお手伝いをして、休憩がてらベンチに座っていたらうとうとしていたからだろうか。呼びかけられた声に応えるためゆっくりと重たい瞼を起こし相手を見ると、綺麗な翡翠色のものと目が合った。霞む視界の中で目立つそれと、どこか優しげな声は、

「兄様……」
「ん?」

 ふっと吐き出した言葉に返ってきたのは、聞き慣れた同僚の声、木舌だった。

「おはよう随分ぐっすり眠っていたね?」
「ああいけない……こんなところで……。木舌、有難う御座います」
「今日はお日様も暖かいからね。けどもう夕刻になるよ」
「そうですね。キリカさんにも夕飯の買い物を頼まれていたので行かなくては……」

 歪む視界を覚醒させるために少しだけ控え目に目を擦る。木舌がいなければ私はずっと眠っていたのかな、それはそれで恐ろしい。着物を裾を押さえて立ち上がれば木舌はいつもと変わらず飄々と笑っている。
正直、木舌のことは苦手というわけでもないが自ら深く関わろうと思わない。彼はどこか夢に出てくる兄様に似ているからだ、生き写しとまではいかないが兄に似た雰囲気を纏っているから少しだけ近寄りがたい。下手に沈み込んでしまえば、彼のことを兄様と呼んでしまいそうなほどだ。

「おれも行こうかな、仕事ないし」
「では荷物番を頼んでも良いですか?」
「もちろん」

 ふんわり笑った笑顔は、夢の中で見慣れていた顔と全く同じで思わず胸の奥が高鳴った。やはり彼は、兄様と似ている。笑ったときに出来るえくぼやゆっくりとした動作で私の頭を撫でる仕草とか、いつも笑って優しく名前を呼んでくれる声色とか、……やってはいけないと思いながらも無意識に兄様と木舌を重ね合わせている部分が多々ある、重ね合わせたところでどうこうしようという思いは毛頭無いけれども、大好きだった兄様に似ている彼は兄様に似ている存在だけで、兄様ではない。だから彼らしい動作をするときは思わず胸が苦しくなる。それは、兄様がしない仕草をする木舌に対しての違和感か、兄様とは違う存在の木舌に心を寄せているのか、いや、あまり深く考えてはいけない。
ゆっくりと目を瞑り、深呼吸をした私はベンチから立ち上がる。

「では、行きましょうか」
「うん」

 私よりも大きな身長に、広い背中、遥か昔幼い私の記憶に刻み付いている兄様の面影。木舌を見る度に胸が苦しくなる、兄様ではないのに、木舌と兄様は似ているけれども違う。私はどうしたいのだろうか、このまま兄様と重ねていたいのか、木舌という存在を受け入れるのか……。



 三時を過ぎる頃に買い物へ出て、色々必要なものを買い揃えていたらあっと言う間に外は夕暮れになっていた。獄都のもののけ達はそれぞれ様々な目的を抱えながら忙しなく足を動かし帰路へ付いている。
私と木舌も他愛ない話をしながら帰路へ付いていると、フッと木舌が話題から逸れた話を持ちかけた。

「名前には、お兄さんがいるの?」
「なぜいきなり?」
「だって寝惚け眼で俺の事、“兄様”って呼んでたから」
「……やはり聞かれていましたか」
「思えばおれ、名前のこと全然知らないね」

 買い物袋を持った木舌は暢気に笑う。私も、あまり身の上話を自ら話すようなタイプでもないし屋敷のみんなも深く詮索するような人たちはいない。生前の記憶が無い獄卒もいれば壮絶な過去を持つもの、人それぞれだからこそ妙な詮索はしないというのが屋敷内での暗黙のルールとなっている。木舌は「気に触るようならごめん」とだけ言って私にその翡翠の目を向けた。

「構いませんよ。……兄が居た、と言ってもそれは生前のことですけれどね」
「へえ……」
「とても優しく穏やかで聡明な方でした。もう昔抱いていた印象しか記憶が無いのですが、……よく夢に出てくるのです」
「そうなの? それって、凄いことだね」
「ええ。もう私自身顔すらおぼろげなので夢の中の兄も顔だけは妙にぼやけていますが、やはり抱いていた印象通り、いつも笑顔を浮かべてとても優しい方なんです」
「……」
「兄様は貴方に似ています」
「おれに?」

 言おうと思ってもいなかった言葉を吐き出してしまい、一瞬だけ狼狽したが、なぜだかこの空間が心地良く歩いているのは私と木舌だけのような感覚に陥る。けれども、それを認めて口にしてしまった今、兄の存在を否定してしまうような気がして奥歯を噛み締めて私は手に力を込めた。

「すみません、今のは忘れて下さい」
「今まで、おれと君のお兄さんを重ねていたの?」
「そんなわけ、では」
「応えて」

 重ねていたのは事実、あまりにも似すぎている。けれども彼が兄様はしないような行動や仕草をすると胸が高鳴り身体が熱くなることがある。今だってそうだ、真っ直ぐに私を射抜く翡翠色の瞳と低い声、兄様と重ねて見える部分からはみ出た木舌の存在は私にとってはどう接すれば良いのか分からないほど尊く思えてしまう。

「あまりおれと関わらないのも、おれがお兄さんに似すぎているから?」
「違い、ます」
「じゃあ、なに?」
「あの、そろそろ戻りましょう。時間が、」
 
 暮色が迫り辺り一面が橙色へと染まっていく。夕日のせいで周りの輪郭が揺れ動いているようにも見えて、全部を包み込み消えてしまいそうなほどだった。気まずい空間に耐えられなくなり私は立ち上がろうとしたがその前に伸びた腕に掴まれ動けなくなる。

「名前」
「っ……」

 低い声が耳朶を打ち、長く太い腕が身体に絡みつく。やめて、そんな声で名前を呼ばないで、兄様は、そんな声で、そんなことなんかしない。違う、彼は、兄様ではない、兄様ではないから、兄様ではないから心臓が激しく動いてどうすればいいのか分からない。

「兄様と、木舌は違います。……けれども、重ねているからこそ、兄様が絶対しなかったことをされると胸が苦しくなるんです」
「……名前」
「お願いです、これ以上私の心を乱さないで。どうすれば良いのか分からないんです」

 兄様ただ一人を想えば良いと思っていた矢先現れた彼に対する戸惑いと、兄様に似ている、しかし言葉にして認めてしまえば兄様の存在を否定してしまうような気がして、けれども木舌に惹かれているうちに兄様の存在も薄れていき、結局なにがしたいのか分からないまま、何も変われない。

「こんなことを言うのはあれだけれども、君はお兄さんにしがみ付いたままなにも変われてないんだよ」
「っ……」
「君の大好きなお兄さんは、もういないんだ」
「うっ……くっ、」

 分かっている、そんなこと。結局私は何も変われていない。夢の中だけの存在の人にいつまでもしがみ付いて変わろうと努力をしなかった、居ない人を思い続け誰も受け入れようとも、自分の感情をも受け入れようとしなかった。
私、今からでも変われるのかな。

「木舌……私、」
「ねえ、忘れとまでは言わない。けれど、おれのことは、兄ではなく“木舌”という一人の男として見て欲しいんだ」

 耳朶から入る切ない声は、更に私の目頭を熱くさせて雫へと形を変える。今私の胸の中にあるのは、ただただ木舌に対する愛おしさ、受け入れた感情が今はっきりと形になった。

「貴方と兄様は似ています、けど」
「……けど?」
「貴方のことを、凄く愛おしく、お慕い申しております」

 兄様と彼は似ている、それはあくまで表面上、私が彼に対する想いと兄様に対すると想いは、全く違う。

「木舌に、惹かれています」

 吐き出した言葉は夕暮れに溶けていき、身体に回っていた腕には返事の変わりに力が入った。






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呀紅夜様リクエスト、生前いた兄と、どこか違うけど似た木舌に惹かれていくでした。
惹かれるというかもう告白しちゃっています。居ない人を想い続けるのって凄く辛いですよね……夢主ちゃん自身もかなり葛藤があったと思います。木舌を受け入れたことで兄の顔がはっきりと浮かんでお別れと告げられた、とか後日談がありそうだなーとか思っていたり。書いてて妙に感慨深い気持ちになりました。
お気に召さなかったらお申し付け下さい。
この度はリクエスト有難う御座いました。

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