×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



スクフレ様宅のキルケちゃんをお借りしました。

 ツインテールを揺らし、闇夜に薄暗く光るアメジストの瞳をぐるりと一周させながらホテル内を彷徨う少女キルケはどこか緊張しつつもこの異質な空気に溶け込もうとしていた。ぼんやりと蝋燭の灯るグレゴリーハウスの廊下はどこか凍えそうなほどひんやりとした霊気のようなものが流れ込み思わず肩を抱く。
 神経を尖らせながらロビーを通りがかると、耳障りな声色が響き思わず顔を顰めた。

「ひっひっひ、お客様、こんな夜更けにどうしたのですか」
「え、と……散歩に行こうと思って」
「左様でございますか……この時間帯はあのおんぼろ車しかいないのですかねぇ」
「……ん」

 意味深に笑うこのホテルの支配人、グレゴリーの下卑た笑い声からそらすようにキルケはホテルの扉を開け光のない辺り一帯が闇夜に包まれた森へと足を運ぶ。
 ホテル内よりもひんやりとした空気が流れ込み、どこか不気味な雰囲気を醸し出す。何かを決心したかのように肺に空気を取り込みもう一度だけさく、と地面を踏み鳴らした。と同時に僅かに燻るやにの香りが鼻につき辺りを見回すと闇夜に似つかわしくないソレはどこからか浮かび上がった。

「タクシー!」
「……っと、こんな夜中に誰かと思ったらお嬢ちゃんか。こんばんは」
「こ、こんばんは。……じゃなくて! タクシーこそ、寝なくていいの?」
「はは、俺は言っちゃえば無機物だからね。睡眠なんか必要ないんだ」
「そう……」

 迷い込んだ人々をこのホテルに送り込む地獄のタクシー。昼間に見たら嫌でも目立つ黄色いスーツと黄色いタクシー、威圧感が溢れる高い身長、貼りつけたような笑顔、最初こそ異質なオーラに怯えていたが杞憂だった、慣れればさほど怖くない、何を考えているのか分からないし、どこか変わったところももちろんあるけれど。
 何かを考えているのか立ち尽くすキルケに首を傾げつつ、手に持っていた煙草の火を携帯灰皿に押し付けた。

「煙草、良いの?」
「うら若きお嬢ちゃんの身体に害を与えるわけにはいかないからな」
「ふふ、何それ」

 大げさに両手をあげてすましたタクシーに思わずキルケは破顔する、少しだけお話できるかな、と小さな期待を抱いて外に出てきた甲斐があった。真っ暗な森の中とは思えないほど和やか空気の中で何かを思いついたのかタクシーは自分より一回りも二回りも小さいキルケの顔を覗き込んだ。

「え、タ、タクシー!?」
「そういえば、お嬢ちゃんはこんな夜に何の用なんだい?」
「あー……えっと」

 お話がしたかった、否、顔が見たかった。なんて言えるだろうか、そんな事を言ったらどのような返事が返ってくるだろうか。ホテルの住人達の中でも話しやすく、一緒に居るととても落ち着く地獄のタクシーに会いたかった、ただその言葉を言えたらどんなに楽になるかな、ぐるぐると駆け巡る思考の中でやっと思いついた言葉をキルケは絞り出すように吐き出す。

「眠れなくて、散歩に来たの」
「……へえ。まあ眠れない時は少し歩くことも必要かもね」
「う、うん」

 覗き込まれた帽子の影から見えた瞳は、どこか訝しげに細められ心臓が激しく音を立ていて、次第に身体が冷たくなる感覚が襲ってくるようだ。
 嘘がバレたのだろうか、どこか冷たい眼窩に少しだけ身体が震えたが直後頭に手を乗せられた。

「ふふ、お嬢ちゃん」
「な、に?」
「あんまり大人を侮らない方がいいよ」
「う……」

 頭の手はゆるゆると下に滑り、耳元を覆っていた髪の毛を指で絡ませながら耳に掛けられる。綿で肌を撫でられるようなくすぐったさに少しだけ身を竦めるとタクシーの指は頬に移動し、緊張でパサついた唇へ移ったかと思うとそのまま静かに触れられる。

「ちょ、ちょっとタクシー……!?」
「お嬢ちゃん、外は冷えるだろうから中でお話しないか?」
「中って、……車の中?」
「俺はお嬢ちゃんの部屋でも構わないよ」
「! い、いい! 車の中入れて!」
「はは、お嬢ちゃんはほんと可愛いな」

 余裕綽々で笑うタクシーになんとも言えない気持ちがこみ上げてその怒りの行き場が無いままキルケは顔を真っ赤にしながら頬を赤く染め上げる。その表情を見逃さなかったタクシーはまた掴みどころのない笑顔を浮かべて彼女の艶やかな黒髪を撫で付けた。

「さあ、どうぞ。お姫様 ひいさま

 自身の相棒ともいえるタクシーの助手席の扉を開けたかと思ったら、今度はキルケの後ろへ周り肩に添えながら空いた手でシートを示す。
 先ほどとは違う、どこか柔らかい笑顔を浮かべながら妙にキザな台詞を吐いた事にキルケは少しだけ難色を示したようだ。
 なんだか彼の掌の上で転がされているのが気に入らない。ぷく、と頬を膨らませつつも、不機嫌を悟られないようにタクシーを見上げて小首を傾げた。

「……おひめ様じゃないの?」
「ひめ、にはまだ少し早いと思ってね」
「……意地悪」
「大丈夫だよ。お嬢ちゃんはこのまま綺麗に成長してくれれば」
「意味が分からないよ、タクシー……」
「深い意味はまだ分からなくて良いよ。……まだ、ね」

 最後の方はよく聞こえなかった。どういうこと? という音を口に出そうとゆっくりと唇を開いた途端、先ほどまで肩に置かれていたタクシーの手が、指先、もとい人差し指が唇に降りて言葉を閉ざされてしまった。
 やっぱり、彼の考えていることは未だに読めない。思えば幾度と「キルケと呼んで」と懇願しても彼は“お嬢ちゃん”という略称を止めてくれない、理由を聞いてもうまい具合に交わされてしまうし……、本当に関われば関わるほど不思議な人だ。

「(はあ……。これだけで疲れちゃった……)」

 怒ったり照れたり、ありとあらゆる方面で使い切った感情にため息を零しながらも、キルケは何も言葉を漏らさずに車の中に入るため車に乗り込もうと身体を乗り出した、

「きゃっ!」

 両肩を掴まれたかと思ったら、そのまま寄り掛かるように引き寄せられた。まだ車に乗り込む前だったから足はしっかりと地面についているものの、完全に油断しきっていたためか突然の刺激に驚きを隠しきれずに大きな声を出してしまった。

「さて、……ここで一つ、忠告だ」
「(忠告……?)」

 文句の一つでも言ってやろうかと思った矢先に低い声で囁き掛けられてしまい、言葉を飲み込んだ。肩に添えられた大きな手から伝わるどこか不気味さを覚える熱に身を委ねながら、彼の言葉をひたすら待つ。

「俺は勘違いしやすい男だからね。……こんな夜に会いにきてくれて、よもや狭い所に入るってことは、……期待しても良いってことかな? キルケ」

 一語一句、はっきりと、どこか荒い熱を孕んだ言の葉はしっかりとキルケの耳に入り込み、脳内へと響いた。彼が言葉を発するたびに肩にあった手はゆるりゆるりと下へ滑り込み、彼女の胸元を彩るスカーフへと行き着いた。
 
「……。……!?」

 突然の出来事で暫くの間理解が出来なかったが、数秒黙って考えた瞬間にその言葉に込められた意味と彼の手元の居場所に気付くや否や顔を真っ赤に赤面させて慌ててその場から飛びのいた。

「おっと、」
「な、何言ってるの! タクシーのバカ! エッチ!」
「俺はいつでもオッケーだよ」
「知らない知らない! もう帰る!」

 面白いくらいに顔を赤くさせて正常に脳を働かせないまま思いつく限りの罵声を浴びせてきたキルケに一瞬呆気にとられたが、すぐに平生を取り戻したタクシーはにっこりとしたまま余裕ありげに答える。
 が、それはいけなかったのかキルケは怒り過ぎたのかなんなのか目じりに涙のような溜め込んで一目散にホテル内へと走り去っていってしまった。

「……くくっ、可愛いなぁ、本当に。……ああ、早く俺の元へ来てくれないかな」

 やろうと思えば簡単に閉じ込めることは出来る。身体も大きさも違うし、力の違いだって一目瞭然だ。だけど、今ではダメだ。

「(キルケが完全に俺のものになった時が、堕とすべき時だ)」

 時間は腐るほどある。じっくりと囲み、夢中にさせれば良い。それこそ、自分以外をいらないと拒絶してしまう時に。

*

 扉を勢いのまま開けて、閉めることすら忘れずるずると崩れ落ちてしまう。どくどくとうるさいくらいに鳴り響く心臓と、冷えることを知らない頬に手を当ててぎゅっと目を瞑る。

「(〜、タクシーのバカバカバカ! それの前に伝えなきゃいけない言葉があるでしょ!)」
「おやお帰りなさいませお客様。お話はもう良いのですか?」
「っ、外には誰もいませんでした! おやすみなさい!」

 すくっと立ち上がり怒り心頭で自分の部屋に戻っていったキルケに何事かと一瞬戸惑ったが、開けっ放しの窓から僅かに見えるヘッドライトの灯りでなにかを察したグレゴリーは「やれやれ」なんて他人事のように首を振った。

「前途多難ですねぇ、ひっひっひ……」

 最後の審判のとき、彼女はどちらを選ぶだろうか。いいや、そんな事は既に分かりきっている。
 もう、引き返せないところまで来ているのだから。

 / 
back