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しとしと、と穏やかに降る雨の音を聞きながら。久逆は館の居住部分の廊下を歩く。とある一部屋の前で足を止めてノックをすれば、中から目的とする相手の声がした。

「はーい。どなたですか?」
「お休み中失礼します新胴さん、久逆です。今少しお時間よろしいですか?」
「久逆姉さん!今開けます!」

 カタン、と物の動く音がして、次いでパタパタと軽い足音が近付いて来た。間もなくして開かれた扉の向こうから現れた美しい銀鼠の眼が、久逆を見上げて柔らかく細められる。

「こんにちは久逆姉さん。お待たせしました」
「こんにちは新胴さん。いいえそんなこと。此方こそ、突然失礼します」
「いいえ! あっ良かったら上がってください」
「ありがとうございます。ですが、すぐに済みますので。あぁ仕事の事ではありません。これをお返ししたくて」

 新胴からの提案は魅力的ではあったが、彼女の折角の休みを潰す気は勿論久逆にない。用事を手早く済ませてしまおうと、久逆は持っていたファイルを差し出した。

「あ、これって…。この間のレシピですか?」
「えぇ。長く借りていてすみませんでした。どれも大変分かりやすく、そして素敵なものばかりだったので。つい見入ってしまって…」

 新胴の特技というか趣味というか、そういう類のものが料理やお菓子作りだった。暇な時はよく厨房でその腕を振るう姿を見掛ける。そして、レシピを考え書きだすに至るまで然程時間はかからなかったようだ。
 その新胴お手製のレシピを、久逆が「借りる事は出来ないか」と尋ねたのが数日前。快諾してくれた新胴から一冊のファイルを受け取って、今日まで借りていた。

「長くだなんて、全然ですよ!それにみ、見入るだなんて…そんな…」
「いいえ、本心です。繰り返しになりますが、本当にどれも分かりやすかったです。お陰で初心者の私でも形になりました。ありがとうございます、新胴さん」

 照れたのか、ほんのりと頬を赤らめ視線を彷徨わせる新胴を見て、久逆は微笑む。
 後輩であり、自分を『久逆姉さん』と親しげに呼んでくれる新胴。長く艶やかな黒髪や、美しく煌めく銀鼠の眼。華奢な姿からは想像しがたいが、そんな彼女も善からぬ亡者や害意ある怪異には容赦ない。武器の身の丈ほどもある大鉈を振るい、果敢に獄卒の務めを果たすのだ。

 そんな、自分よりも小柄であるが、公私共に頼りになる新胴の事が久逆は大変好ましかった。
 ただ、社交的でないことが災いしてだろう、なかなか親交を深める切っ掛けが出来ずにいた。思い切ってそれを佐疫に相談したのが、昨日の任務終わり。そして、その時もらったアドバイスを実行するのが、まさに今。

「新胴さん」
「? はい、なんですか久逆姉さん」

 ちょん、と頭を傾げる仕草があどけない。それを見て自然と笑みが零れた久逆は、その微笑みに促されるように一つの小袋を新胴へ差し出した。
 スカラップレース風のペーパーの縁がきれいに見えるラッピング袋は、柔らかな質感の灰色のリボンで封をされていて。紙と紙の隙間から香ばしさをふわりと立ち昇らせる。

「えっ」
「お礼…には程遠いでしょうが。成果の現れということで。嫌でなければ、摘まんでみてください。
 私としては、まぁ…出来た方ではないかと。自意識過剰気味に言っておきます」

 日々腕と共に味覚も磨いているだろう新胴の作るものとは比べるまでもないだろうが、佐疫の「作ったもの、あげてみたら?」という優しい声に背中を押された自分へ、今更ながら苦笑が漏れた。らしくない、と。
 ほんの少し苦い気持ちになりかけた久逆をハッとさせたのは、小袋を受け取った新胴の声。

「あっ!ありがとうございます久逆姉さん!! あの!今食べても良いですか?」
「今ですか?」
「はい!今すぐここで! あ、半分廊下…。…佐疫先輩や谷裂先輩、災藤さんにはその、内緒でお願いします…」

 どうしてか積極的な新胴の声に内心面食らった久逆は「えぇ…わかりました」と頷いた。
 にっこりと嬉しげな笑みを浮かべた新胴は、レシピを小脇に抱え直すと、丁寧にリボンを解いて開けた小袋から中身をそっと取り出した。

「わぁ!市松模様のクッキー! 模様が全然崩れてない。流石久逆姉さん!」
「それほどでもありませんよ…。ですが、ありがとうございます」
「ふふふ。…それでは、いただきます!」

 パクリ、と。新胴の形の良い唇の向こうへクッキーが消え、次いでサクリと良い音が其処から聞こえた。

「んんー!おいしいっ!」
「それは…何よりです。安心しました」
「自信持ってください久逆姉さん!バッチリです!
 ……その、今日がダメなら…今度。今度のお休み、勿論、姉さんがお暇なら、なんですけれど……。…一緒に、お菓子…作りません、か…?」

 安堵の息を吐いた久逆は、新胴の言葉に眼をパチクリとさせた。
 クッキーの入った小袋を大事そうに持って自分を見上げてくる新胴の銀鼠の双眸と真っ向から見詰め合って。久逆は一度、ゆっくりと瞬きをした。

「良いんですか?貴重な休みを、趣味の時間を、初心者の私は邪魔をするかもしれませんよ」
「邪魔だなんて!そんなこと絶対ありません」

 自信に満ちた笑顔で返されて、久逆はキョトンとした後に笑った。これは敵わないな、と。

「……では、新胴さんのご好意に存分に甘えさせていただきましょうか。
 当日、お手柔らかにお願いしますよ」
「えへへ、此方こそ。よろしくお願いします、久逆姉さん」

 楽しみだな、と小袋を口元に当てながら新胴は柔らかい笑みを溢す。

「……なら、当日は。作ったものに合う飲みものを用意させていただきます。丁度、つい先日に良い茶葉が入りましたので」
「災藤さんとよく買い物に行ってますもんね、久逆姉さん。そっちもすごく楽しみです!
 …なら、やっぱり。やっぱり、上がって行きませんか?いえ、上がってください。用事がなければですけど…。…その、作戦会議しましょう!」
「作戦会議……ふふ、そうですね。確かに、それは必要ですね。
 えぇ、新胴さんさえ良ければ、お邪魔させて下さい。この後は空いていますから」
「はい! どうぞ久逆姉さん!!」
「では。改めてお邪魔します、新胴さん」

 朗らかな笑顔を浮かべて、新胴は久逆の手をとった。そして久逆も、新胴に招かれるまま彼女の私室へ足を踏み入れる。
 ――そうして、扉はゆっくりと穏やかに閉められた。

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