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ガラス越しの成長

 ふっと息を吐いて既に夕餉を食べ始めている人たちが集う食堂を後にして、約束の時間に間に合うだろうかと考えながら足を早めていれば後ろから肩を叩かれた。忙しい時に、と思いながらも振り返ればいつも飄々と笑顔を浮かべている、後輩の木舌が立っていた。
真顔だった顔を少しだけ緩め、自分に笑顔を向けている後輩を見つめているとその後輩は間延びした声を出す。

「名前さん、任務お疲れ様でした」
「お疲れ。疲れきっているが大丈夫か?」
「おれは全然平気です。それより、今夜あいていますか?」
「ごめんな、今日は先約があるんだ」
「それは残念」
「あまり飲み過ぎるなよ、佐疫が五月蝿いだろう」
「はは、善処します」

 佐疫が五月蝿いのは否定しないし、結局なにを言っても飲みを控える気はないだろう。それほどまでに彼は酒が大好物なのだから。制帽を深く被り「それじゃあな」とだけ言い放ち踵を返した。
名前は他の獄卒たちよりも数年実績があるので周りからは敬称をつけて呼ばれている、それほどまでに腕が立ち男性獄卒数人くらいなら一人で相手が出来るほどだ。人当たりもよく誰にでも分け隔てなく接する、厳しさと優しさを彼女の先輩から受け継いでいるので信頼も厚かった、名前自身も後輩達の手本をなるよう常に気にかけ意識をしている、そんな彼女が、唯一心安らげる場所が一つだけあった。



 獄都は既に暗くなり始めぽつぽつと街灯や街の明かりがつき始め街に住む物の怪たちはそれぞれの帰路へ付いて行く。ある程度のところまで行くとそこは飲み屋が集う場所であり提灯などの灯りが静かに並び賑やかな声が外まで響き渡る。
名前もある一つの店の前に止まり、先ほどとは違う意味で息を吐いて店の扉を開いた。

「……えっと、」

 店の中に満ちる酒のニオイと人々の熱気、騒いでいる声で名前の声はあっと言う間にかき消される。一目で人間ではないと分かる店の店員には待ち合わせをしている、とだけ告げて店の中をうろついて目的の人物を探していく。
数歩店の中を歩きながらきょろきょろと視線を動かしていると、人の声に紛れて自分の名前を呼ぶ声がかすかに耳朶を打ったので名前は声がしたと思われる方を振り返った。

「名前、こっちだ」
「肋角先輩、お待たせしました」

 被っていた制帽を脱ぎ靴を脱ぎ座敷へ上がれば目の前の人物は着ているロングコートを脱ぎ胡坐をかいて焼酎と思われる液体が入ったコップを煽り笑顔を浮かべた。
名前の後輩の上司であり、名前の先輩である肋角は口に含んでいた煙草を灰皿に押し付けメニュー表を差し出してきた。

「先に飲んでいて悪かったな、なにを飲む」
「お気になさらずに、とりあえず生一ついただきます」
「相変わらずのビール好きか」
「仕事終わりはこれと決めているんです」

 先ほどとは違う店員に声をかけ飲みたい飲み物を注文する。すぐに出てくるだろう、上着を脱いで一息付くと肋角は焼酎の入ったコップを置き名前に言葉を投げ掛ける。

「こうして二人で飲むのは久しぶりだな」
「そうですね、誘おうとは思っていたのですが中々時間が合いませんでしたよね」
「そうだな、お前も後輩達を纏めるほどまで成長したもんな」
「いやぁ、まだまだですよ」
 
 照れ臭くなり頬を掻けば頼んでいた生ビールが入ったジョッキが目の前に置かれたので取っ手に手を通しそのまま一気に流し込んだ。常に屋敷内では気を張り型崩れした様子を一切見せない名前だが唯一心から信頼し、敬愛している先輩の前だけは気を緩めありのままを見せる事が出来る、あらかた酒を体内に含ませ口元の泡を拭うと目の前の彼はただただ優しい笑みを浮かべている。

「あの、なにか変ですか?」
「いや、……後輩の前ではお淑やかに飲んでいるが、俺の前だとずいぶん豪快だなと思ってな」
「っ……」

 恥ずかしさで火が出そうだった。いや、照れることなどなにもないはずなのに、身体は勝手に熱を帯びる。もう随分名前は肋角の前だけは気を抜けると分かっているが改めて言葉にされると言葉が出なくなりなんと言えば良いのか分からなくなってしまう。軽く睨むように目の前で笑う男を見れば男は悪そびれた仕草すら見せずに静かに酒を流しているだけだった。

「しかし、あの名前がこうして俺と酒を酌み交わす日が来るとは思ってみなかった」
「時間は流れるものですよ、下に居たものが気が付けば随分成長する時だってあります」
「その通りだな、お前も近いうち昇任するかもな」
「だと良いのですけど」

 自分だって、こうして後輩を持ち、人の上に立ち指示をして責任を負うことが多くなる身になるとは思ってみなかった。今の後輩達のように誰かの下に立ちただひたすらに働いていた日がもう昔のように思える。上に立つ人間ほど、背負う重圧は重く信頼が高ければ高いほど重荷は増えていく、皮肉なことに信頼を築くのには時間を有するのに、その築き上げた信頼を崩すなんてことはあっと言う間に出来る。プレッシャーは、常に上に立つものには付き纏う、否、それは働いているものには当たり前のことだ。

「覚えているか、お前が任務を途中で投げ捨て戻って来たときのことを」
「……鮮明に覚えています、あの時ほど肋角先輩を怒らせたことなんてありませんから」

 遥か昔、受け持った任務で名前は敵の強さや仲間が必死に戦っている中で不安で逃げ帰ったことがあった。まだまだ未熟だったあの頃の自分は誰かに助けて貰おうという無責任な考えだけで屋敷に逃げ帰り当時上司の肩書きは持っていなかった先輩の肋角に救済を乞うたが、帰ってきたのは頬が腫れるほどの強烈な叱咤だった。

「あの時は悪かったな、あんなに腫れるとは思ってもいなかった」
「過去のことですよ。それに、悪いのは逃げ帰った私ですから」

 叩かれたことにより放心だった名前が浴びた言葉は「怖気づいて戦っている仲間に背を向けのこのこ帰るくらいなら獄卒なんか辞めろ」という言葉だった、事実だからこそ何も言えずにただ涙を堪えるために唇を噛み締めていたのは今でもはっきり覚えている。
失敗は許されない、仮にも罰を犯したモノを裁くために存在する獄卒が、罪を犯したモノに怯え逃げ帰った事は許されない行為だ、恐怖心で何もせず、自らの命を投げ打って戦った仲間に背を向け人に頼り自分の力でなんとかしようとしなかった罪は重いのだと未熟だった自分は悟った。
あの時ほど肋角の目が冷たかった日はない、築き上げた信頼が崩れ去ったのだ。

「見捨てられた、と思って必死に仕事をしてましたよ」
「信頼していたからこそ、裏切られたと思った感情が強かったのかもな」
「でもあの言葉効きました。後輩達にも、任せられた仕事はお前たちが信頼されているからこそ任せられるんだ、誇りを持て。と言う言葉を言い聞かせています」
「……本当に、見違えた」
「有難う御座います」

 すっと細められた瞳は愛おしさのようなものが含まれており、テーブル越しに伸びた大きな手が髪の毛を掻き乱したので、恥ずかしさで顔が赤くなり、誤魔化すようにオレンジ色に染まる炭酸を流し込めば口の中で弾けて頭がキーンと音を立てる。

「本当に、月日の流れは早い。……お前もずいぶん美しくなったしな」
「や、止めて下さい肋角先輩! 飲みすぎですよ?」
「まだこれしか飲んでないんだがな、……お前に酔っているのかもしれない」
「は!?」

 残り少ない焼酎を一気に流し込み、さらりと吐き出された言葉で思わず名前は間抜な声を上げてしまい慌てて口元を押さえる。周りの人たちの声は大きいので、今自分達の会話も聞かれていないだろうが、不意打ち過ぎて頭の中が混乱している。
どう反応すれば良いのか分からずに、「え、」や「あ、えー」なんて意味の分からない言葉を吐き出していると、肋角は静かに噴き出して喉を震わせながら笑った。

「くくっ、……さすがにクサすぎたか?」
「もう、からかわないでください!」
「俺は至って真面目だし、お前には本音しか言わない」
「心臓に、悪いです」

 酒には強い方なのに、頭がくらくらして身体が熱い。今日は酔いやすい日なのかもしれない、胸の高鳴りは収まる気配が無く視線をあちこちに向けてひゅっと息を吸う。

「……肋角先輩、私はもう子どもではありません」
「ああ、知っているぞ」
「だけど、やはりまだ子どもみたいです」
「ん?」
「貴方の言葉、純粋だから信じますよ?」

 純粋な子どもにはもう戻れないけど、装うくらいは出来る。悪戯っぽく笑えば、肋角は目を丸くしたあと、すぐに笑顔を向けテーブルから身を乗り出しほんのり熱を帯びた名前の額にそっと唇を落とした。
驚きで名前の身体がびくりと跳ねたが、すぐさま彼の唇が耳元に寄せられ低く、甘ったるい声で囁かれた。

「お前はもう十分大人な女性だ。……美しく、穢すのを躊躇うくらいにな」
「……貴方なら、どうなっても構いません」

 顔を離し、挑発的に口角を吊り上げた名前は今まで見たことないようなほど妖艶じみて、肋角の記憶の中に残るあどけない表情の名前の面影はほとんどなかった。

「……本当に、良い意味でも悪い意味でも成長したな」
「貴方の後輩ですからね」

 色々な意味で、彼女の方が一枚上手なのかもしれない。何気なく手に取った空っぽのコップ越しに肋角は朱色に染まった名前を映して笑った。







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夢月様リクエスト、肋角の後輩が昔のことを話しながら酒盛りでした。
こうして昔の嫌なことを笑いながら話せるように仲って良いですよね、長年一緒にいて信頼し合ってなきゃ出来ないものだと思います。
さん付けではなくて先輩呼びにしてみたんですけど物凄い違和感。ですがこういう先輩後輩関係凄く好きです。
お気に召さなかったらお申し付け下さい。
この度はリクエスト有難う御座いました。

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