その鬼の子、花を吐く | ナノ
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 気持ち悪い。食堂から急いで出て行った時に突如治まったと思ったのに、胃の中のものが逆流する感覚が襲ってきたと思ったら喉を刺激し急いで駆け込んだトイレの中へ溜まっていたものを吐き出す。が、中から出てきたものは食い物の残りではなく、下手をしたら血と見間違ってしまうほどの赤い花びらだった。


「……くそ」


 口に付いた花びらを乱暴に拭い流しのレバーを押すと思わず吐き出した言葉。情けない、もう一人の冷静な自分が居たならばそう言うだろう。一人の女に恋焦がれもどかしい気持ちを押し隠したまま日々を過ごしていたら奇病に掛かってしまったのだ、らしくない、本当にらしくない、こうも掻き乱されると自分自身に苛立ちが募る。


「(表情、バレてねぇよな)」


 まさかあんな至近距離に来られるとは思っても無かった、あの時の光景を思い出せばしっかりと脳内に焼き付いている名前の顔や吐き出される呼吸の音や睫に縁取られた銀鼠色の大きな瞳、掌に残るのは名前のか細く少しでも力を入れたら壊してしまいそうなほど脆く感じた腕の感触だった。全部全部しっかり覚えている、自分から彼女に近付き触れ合うことくらいはなんとも無かったのに向こうが寄ってきた瞬間あの様だ、思い出すだけで音を立てる心臓を押さえ再び息を吐き出す。


「(どうすっかな……)」


 あの時は襲ってきた嘔吐感で花びらをぶちまけたら大惨事になってしまうという事で頭が一杯だった、田噛の謎の奇行で名前はかなり驚愕していたしもしかすると気づかれてしまっているかも知れない。しかし今はあまり体調が良くないのも事実だ、それにいつ花をまた吐き出してしまうかも分からない、下手に行動したら自分自身が更に痛い目に遭ってしまうだろう。
 恋というのは本当にめんどくさい、とりあえず勝手に出て行ってしまった事には少なからず罪悪感は残っているので謝ろう。と決心付けさっそく部屋を出て行こうとしたとき、扉の前に佐疫が立っていた。


「なんだよ」
「なんとなく、気になってさ」
「……」
「その表情、何かやらかしたの?」


 変に察しの良い佐疫なのもは重々承知しているし、上手く誤魔化そうと表情も声色も変えずに言葉を出したが佐疫のその言葉でさっきのモヤモヤしていた気持ちが再びわき出でて思わず眉間に眉を潜めてしまった。するや否や、すぐに佐疫は何かに気付いたのか廊下に誰かが居るとも分からずにそのまま言葉を吐き出す。


「喧嘩した?」
「ちげぇよ。……色々あっただけだ」
「その色々って悪い方向だよね?」
「……」
 

 詳しい話を聞きたいが、あまり深入りし過ぎても相手に迷惑をかけるだけだし結局はこれは田噛の問題だ。無理強いして悪い方向へ導かせてしまっても意味が無いし、この病を治すのに協力をしたいと思っているけど向こう、田噛の想い人名前が田噛をどう想っているのか正直分からない。分かり易いかと聞かれれば首を横に振るくらい、彼女の考えが読めないところが多々あるからこそ的確にアドバイスが出来ない。
 

「うーん……。俺はさ、恋なんてしたことないしましてや共感出来るわけでもない」
「それが普通だろうな。まさか俺も恋なんてするとは思ってもなかったし」
「だろうね、肋角さんだってそういったことは多分想定していなかっただろうし」


 原始的な欲求は人それぞれながらあれど、こうして人を愛する、という感情はいつ芽生えるかすら分からない。ましてや自分達は人間ではない鬼だ、いわば妖怪のようなもので人を愛し共に居たいと願うような感情が咲くなんて誰が考えただろうか。その恋慕を拗らせ病に罹るとも。敬慕や思慕、憧憬などはあるかも知れないが恋慕に至ってはどうしようもない、想い人を頭に過ぎらせるだけで心臓が苦しくなり普段通りの自分で居るのさえ難しいのだろうか、妹、家族同僚としてやって来た名前に対し田噛がここまであぐねるとは想像がつかなかったのに。
 けれど二人が結ばれる事をもし描いてみればそれはそれで佐疫は嬉しかった。勝手な想像に過ぎないがどちらも大切な家族であり兄妹であり同僚なのだ、悲しみよりも笑顔を見ている方が嬉しいというのは感情豊かで簡単に崩れる人間と変わらなかった。しかしどうすれば良い? 見るからにこの二人は今あまり良い雰囲気ではない、田噛を見る限り何かしたのだろう、悪い事をしてしまった、という事実だけを見据えて佐疫は普段と変わらぬ笑顔を向けた。


「謝った方が良いんじゃないかな?」
「は?」
「理由は話したくないなら聞かない。けれども名前に何かしちゃったならすぐに謝った方が良いよ、何かしてなくても田噛の心に何かが引っ掛かってるなら、ね」
「……」
「ついでに二人で買い物でもしてみれば? お詫びと称して」


 至極一般的な、人間ならすぐに思いつきそうな回答だった。頭が良い佐疫から発せられた手短で一番良い方法の提案に田噛は口を紡ぎ何かを考える。田噛の性格上素直に謝罪の言葉が出るかなんて分からない、元々素直な言葉を吐き出すのは苦手だ。けれどこのまま互いに気まずい雰囲気が続くなんてことはもっと嫌だった、想い合う存在にならなくとも出来れば笑顔を見たい。


「分かった。……と言いたい所だが、買い物中に吐きそうになったらどうすんだよ」
「感情を昂ぶらせなければ良いんじゃないかな?」
「適当すぎんだろ」
「吐く時に規則性が無いから仕方ないよ。心を落ち着かせれば平気だと思うよ」
「……」
「それでも不安なら、謝るだけでも良いんじゃない?」


 一番最初は佐疫と自身の恋について話していた時、二回目はこの病気を治す時に一瞬考えた名前の事、三回目は名前と接触した時、確かに規則性が無い。けれどもどの場面も少なからず心が何かで乱れた時に起こっているのは小さな発見、と考えた。心を落ち着かせる、という佐疫の言葉はあながち間違っていないかも知れない、冷静に振舞っていればもしかしたら平気ではないだろうか。


「考えておく」
「あまり時間はないよ」
「知ってる」


 余計な事は言わずに、佐疫は田噛が考える事をなんとなく読んで「じゃあね」と短い言葉を吐いてそのまま部屋を出た。
 取り残された田噛はそのままベッドに横になり、これからの事を考える。とりあえず、まずは謝る事が最優先だろう、じゃなければ自分の心が何時までも晴れないことくらいは知っているし今更謝るのが恥ずかしいやらダルイやらなんと言っていられない、もしかしたらこの病気が治るかも知れないという淡い期待を抱きながら明日名前に会いに行こうと心に決心をつけた。
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