その鬼の子、花を吐く | ナノ
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 あの赤い顔には一体何の意味があったのだろうか。書類を纏め終わり提出し終わった後も未だに名前の頭の中には過去の記憶上、見たこともない朱を纏った田噛の表情は頭の奥底にこびり付いて、目を瞑れば鮮明に浮かび上がる。
 あの表情が気になり自室に戻った後もただずっと考え事もせずにベッドに横になっていた。自分が顔を近づけた瞬間にありえないほど戸惑い、顔を赤く染め上げた、……ある一つの可能性を考えるともしかしたら田噛は自分に、普通の人とは違う感情を向けている? けれども確信的な証拠は無いに等しいし不十分だ。最近は少しだけ過剰なスキンシップが目立つ、もしかすると、……いや、そんなわけあるはずが無い。理由を聞かれたら答えられないが何となくそんな気がしてならないのだ。だって何故だか顔を赤くした瞬間今度は顔色を悪くして自分の方を見向きもせずに出て行ってしまった、正直あの人が何をしたいのか分からなかった。


「……んー……」


 ベッドに枕を押し付けて低く唸り声を出すが考え事が解決することは無い。気だるい身体を起こしてベッドから出て時計を一瞥すれば夕餉の時間は過ぎており廊下を覗けば人が何人かうろついていた、ああキリカさん帰っちゃったかな……けれども一日くらいご飯を抜いても死ぬ事は無いから大丈夫か。
 ぼんやり廊下をうろつく人たちを見やってお風呂に入ろうと思い扉を閉めようとしたら、背中から聞き慣れた声と何かぬめついたものが地面を這っていく音が耳朶を掠めたので振り返れば向こうはこちらに用があるのか部屋の前で止まって笑顔を向けた。チラッと彼女の下半身を見れば蛇の尻尾がチロチロと揺れ動いている。


「名前ちゃんこんばんは〜」
「キリカさん、こんばんは」
「こんな時間にごめんね、ちょっとお話したい事があるんだけれど良いかしら?」
「構いませんよ。……どうぞ」
「じゃあお言葉に甘えてお邪魔するわね」


 蛇特有の鱗に覆われた下半身を這いずりながら部屋に入っていく女性を招きいれて扉を閉める。何かお茶でも用意するか、と思い戸棚に入ったガラス製のコップを取り出して冷蔵庫から冷えたお茶を注ぎ入れて彼女の前に差し出す。「ありがとね〜」なんて間延びした声を出すキリカは優しい笑顔を向けたまま名前が彼女の前に座り込むのを見守っていた。
 わざわざキリカが部屋に来てまでする話とはなんだろうか、ぐるぐると疑問が頭の中で回る中使っているクッションに寄り掛かるように座る。座った後に彼女の顔を見れば瞳が合って、キリカがスッと口を開いて声を出した。


「今日ね名前ちゃんと田噛ちゃん見てておばちゃんずっと心配だったのよ。余計なお世話かも知れないけれども、何かあったら相談くらいは乗るわよ?」
「……あー……お騒がせしてすみません」
「気にしないで〜、若い子は元気でなくっちゃね」


 ころころ笑うキリカに思わず笑みを浮かべる。確かに人が居なかった食堂であんな事をしていれば確かに見られてもおかしくはない、結構大きな声とか出してしまったし。少しお節介かも知れないけれども一人で悶々と悩んでいるよりかはずっとましになり心も軽くなるかも知れない。


「……キリカさん、自分……」

 
 キュッと部屋着のズボンに皺を作り名前はぽつぽつと今自分が悩んでいる事、最近の田噛の様子が可笑しい事や今日食堂で合ったことは一体どういう意味があるのか分からなくて悩んでいる、よく分からないのだけれどもこれからどういう顔をして田噛に会えば良いのか分からないといった内容を吐き出した、その話はキリカはただじっと相手の目を見据えて時折相槌を交えて聞くことだけに集中してくれたので名前も言葉を出しやすく色々支離滅裂ながらも思いを全てぶちまける。





「なるほどねぇ……、考え方によっては田噛ちゃんに好意をもたれているかも知れないわね。百パーセントとは言えないけれども」
「あんな顔初めて見たので……、なんだか訳が分からなくなって……」
「うーん……。なんとも言えないわねぇ」
「……」


 顎に手を当てうんうん唸るキリカを見て、フッと息を吐く。当事者ではないからその本人が考えている事は分からないけれども幾つかこうではないのか、と言った考えは浮かび上がる事が出来る。それはあくまでも考えであり真実ではないからこそどうしたら良いのか分からない、名前は雫が伝うコップに手をやりその冷えた液体を体内に流し込んだ。


「ねえ名前ちゃん」
「はい?」
「もし田噛ちゃんがあなたに好意を持っていると考えて、名前ちゃんはどうしたい?」
「……え」
「おばちゃん今の若い子が何を考えているかなんて分からないけれども、多分田噛ちゃんは少なからず名前ちゃんにだけ特別な想いがあると思うの。その考えを信じたうえで、あなたはどう?」
「どう、って……」


 嫌では、無いと思う。とよく分からない言葉を吐き出せばキリカはスッと目を細めて笑った、キリカがなんの答えを求めているのか全く持って検討が付かないし本当に田噛が自分に好意を持っているかなんて分かる訳もない、当たっているかも分からない考えに回答するなんて難しいことだ。
 けど、もし、もし本当に今までの事を考えてその可能性もあると思った、けれどももしそうだったら自分はどうするんだ? それ以前に、自分は田噛のことをどう思っている? 浮かび上がったのはあの赤い顔を見た瞬間にぶわりと湧き出た妙な熱ともやもや、……自分でも、これがなんなのか分からない。言葉が詰まって噤んでいるとそれを読み取ったキリカは確信を突くような疑問を投げ掛けた。


「うーん……嫌ではないっていう事は田噛ちゃんのこと、好き?」
「……分からないです」
「好きか嫌い、だったら?」
「好き、です……。けど、そういう好きなのか自分でも分からないです」


 家族愛、友愛、愛情としての好き、好きという言葉だけでもたくさんの意味が含められている。田噛の事は嫌いではない、けれども好き? と聞かれると好きと答えられるがその好きが、あの時熱を帯びた身体のことを考えると本当に友愛的な意味での好きなのかもしかしたら愛情としての好きなのか分からないままだ。自分は恋なんてものしたことがないしこの妙な感覚がなんなのか検討も付かない、何て言葉を発すれば良いのか分からないから縋るようにキリカに目を向ければ彼女は笑みを浮かべたまま次の言葉を発した。


「じゃあ、今の状態で田噛ちゃんとキス出来る?」
「は!?」
「どう?」
「む、無理無理無理! 無理です!」
「そういうことよ」
「……え?」
「向こうが名前ちゃんの事を好きだと考えたうえで、もし名前ちゃんがこの質問に出来ると答えられたらそれは田噛ちゃんに恋愛感情を抱いているってこと。けれども出来ない、なんて言ったら多分自分の気持ちに整理が付いてないか本当に恋愛感情は抱いてないってことよ。あくまでもおばちゃんなりの考えだけれどね」


 にこりと笑った笑顔に悪意は無く、どこか説得力があり言葉に詰まってしまった。確かにそうなのかも……けれど、少しだけ、本当に少しだけ、田噛になら唇を重ねても良いかも、という考えもある。けど再び同じ質問を投げ掛けられても否定するだろう。結局のところ、今名前の口から吐き出される好き、は恋愛的な感情は含まれていない、否、もしかしたら徐々に気付かないうちに含み始めているのどちらかだった。キスは男女が愛し合っているからこそ行う行為だ、好きでもない男女同士が行うなんてよっぽどのことがない限り有り得ない。少なからず自分は唇を重ねる行為は好きな人としかしないという考えを持つパターンだ、だからこそキリカの言った言葉は深く理解出来た。


「けれど、これを機に田噛ちゃんの対応を変えても向こうが混乱するだけだと思うからおばちゃんは今まで通り接した方が良いと思うわよ?」
「自分も、そう思います。普通に田噛先輩と接していって答えを見つけたいです」
「うんうん。向こうも向こうなりに考えがあるかもしれないしね」
「……有難う御座います。キリカさん」
「気にしなくて良いのよ〜、名前ちゃんは娘みたいに思っているし相談に乗るのは当たり前でしょう? 元々はおばちゃんのお節介から来たものだし」
 

 実際に心が軽くなったのは本当だから、「そんなことないですよ」とだけ言えばキリカは緩やかに口唇を上げてコップに入った液体に口を付ける。娘、その言葉が名前にとっては凄く嬉しくくすぐったかった。確かに自分が鬼として、獄卒として屋敷に入った時からキリカは同性である自分にとても優しく親身に何でもしてくれた、母のような包容力と厳しさを兼ね備えており名前自身もどこか彼女に対し母親のように慕っている部分があり母として姉として、そして大人の女性としてキリカは名前が憧れる存なのだ。 


「けれど好きっていう感情はややこしいものね」
「そうですね……経験した事が無いので分からないことだらけです」
「これから知っていくのも一つの手よ。鬼になってから新たなものを得ていくのも有りだと思うわ」


 キリカの細い腕が伸び、しなやかな柔らかい掌が名前の髪を優しく撫で付けた。穏やかな声は心安らぎ心地良さに思わず目を細めればキリカは喉を震わせて控え目に笑う。


「さて、おばちゃんはそろそろ帰るわね」
「あ、こんな時間まですみません」
「気にしないで、またなにかあったら相談乗るから一人で何でも抱えちゃ駄目よ?」
「……はい」


 扉を開いて部屋を出るキリカを見送りながら交わした会話は本当にどこかの母子のようだ。心安らぎキリカに身を寄せたくなったけれどもそんな事は出来ない、と思った瞬間にふわりと視界が暗くなり全身が柔らかいものに包まれた。何がなんだか分からずにただ呆然と棒立ちになっていれば優しく髪の毛を撫で付けられ上から優しいキリカの声が降り注いだ。


「よしよし。名前ちゃん、頑張ってね」
「キ、キリカさん……」
「おまじないよ。じゃあね」


 ぱっと身体が離れたら妙に寂しさが残ったけれども元気になれた。屈託のない笑顔を向けてもう一度「おやすみなさい」と言えばキリカも笑顔を浮かべて頷いた。するすると地を這って薄暗い廊下に消えていくキリカの背中を見届けると名前は浮かび上がる笑顔を隠さずに扉を閉めた。


「……得ていけば良い、か」


 もう人間として過ごした生前よりも鬼として過ごした日々の方が長い。まだまだ自分が知らないことはたくさんあるのか、それが自分のことも。とりあえず明日、変な素振りは見せないでいつも通り接しよう。……多分近いうちに自分が彼に抱いている“好き”の本当の意味を理解出来るだろう。
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