「……なにがだよ」
名前と書類作成を終えてそのままご飯へ行こうと思っていた矢先に彼女は友人に呼ばれて帰ってしまった。見る見る不機嫌になっていた田噛に周りの仲間達は心底ビビッていたが彼にはそんな事を気にする余裕など無かった。全てを破壊したい衝動を抑えて廊下を歩いていれば佐疫がいた。佐疫はいかにも不機嫌な田噛を見て察したのか苦笑しながら言葉を放っていた。
「言わなくても分かってるでしょ、このままじゃ一生気付かれないんじゃない?」
「……」
「名前は人の感情は結構鋭いけど、さすがに今のままじゃ難しいよ」
「どうすりゃ良いんだよ」
舌打ちをして嘆くように言えば、佐疫は「素直になりなよ」とだけ言った。自分自身が彼女に対する想いを自覚して暫くは考えたが結果自分なりにアプローチをしていたつもりが全く効果はないことくらい知っていた。片思い期間が長くなるにつれて苛立ちが募りいっそ彼女を閉じ込めてやりたい、なんていう時もあった。素直になれと言われても無理に決まっている。
「……だりぃ」
「こら。自分のことでしょ」
「違ぇよ。ほんとにだりぃから部屋行くわ」
考えるのもだるいが、何故だか名前と別れた後から急に気分が悪くなり気持ちが悪かった。眉間に皺が寄っているのも、不機嫌なこともあるけど気持ち悪く下手に気を緩めると吐いてしまいそうだったから。
「送っていくよ」
「すぐそこだからいらねぇ」
「吐かれたら掃除が大変でしょ」
舌打ちしたくなった。けれど言い返す気力もあまりなかったので田噛は勝手に踵を返して自室へと戻っていく。そして隣に並ぶ佐疫を一瞥して小さく舌打ちをした。
本当に自室は数歩歩くだけだったが、歩いているうちに田噛の気分はどんどん悪くなっていくのが隣を歩いていた佐疫にもすぐに分かった。
部屋を開けたと同時に、田噛は崩れ落ちる。
「っ、……」
「田噛!? ねえほんとに大丈夫? 医務室行った方が、」
「う、るせぇ……うっ、げほっ!」
咄嗟に口元を押さえた田噛に、佐疫は慌てて風呂場から洗面器を持っていこうとするが、様子がおかしいことに気付いて動作を止める。息苦しく洩れる声と同時に田噛の頬が膨らんで掌で覆っていたにも関わらず指の隙間から何かが零れ出てきた。ここまで来ると吐瀉物だと察するがどうもおかしい。隙間から零れ出てきたのは思わず目を細めたくなるような真っ赤な固形物で妙にひらひらしている、田噛の口から次々出て来るそれに思わず目を見張っていると自身の手が濡れていないことに疑問を感じた田噛も目を開けて自らの体内で吐き出したものに目を見張った。
「……んだよ、コレ」
「……花びら?」
「おい、触るな」
口元から手を離せば、骨ばった手に纏わり付く真っ赤な花びらと思われるもの。触ってはいけない気がして田噛はゆっくり手を伸ばして花びらに触れようとした佐疫の手を制する。驚くしかなかった、獄卒は人間とは違い死んでも蘇生して生き返る、人間と同じで風邪も引くし体調だって悪くなるが、こんな病気なんて聞いたことが無いし見たこともない。あくまで冷静な田噛は口元に纏わり付いた花びらを拭って一枚手に取る。花びらは真っ赤で、普通にどこにでもあるようなものだった。
「……佐疫、こういうの聞いたことあるか」
「いや、無い、……とは言いきれないんだよね」
「どういう意味だ」
「昔どっかの本で見たことがある……本当に昔だから詳しいことは覚えてないんだ。後で調べてみるよ」
「……」
眉間に皺を寄せて、指に挟んでいた花びらをくしゃりと握り潰す。奇病、まさにその言葉がぴったりだった。花が口から出てくるなんて聞いたことが無い、体内で花を形成するものなんて存在しないし、一体なんなのだろうか。
「めんどくせぇことになったな……」
「とりあえず、他言はしないでおくよ」
「……ああ」
寄せ集めた花びらをゴミ箱に捨てれば、吐いたことによって妙にすっきりした自分がいた。
自分がこんな奇病にかかるとは、一体どうしてしまったのだろうか。田噛はふっとため息とも取れるような息を吐いて手を洗うべく立ち上がった。
*
「あ、田噛先輩!」
「……」
花を吐いた後は、詳しいことは佐疫に全部任せて田噛はずっと夜まで寝ていた。お腹がすいたので食堂へと向かっている時に、ちょうど名前が後ろから声をかけてきた。その声を聞いた瞬間一気に色んなものが吹き飛び、田噛は溢れ出る想いを押さえてゆっくり後ろを振り返り彼女を見る。長い髪は束ねられておらず、ゆったりしたシャツに長いズボンというラフな格好をした名前は田噛の橙色の瞳を目に入れた瞬間に顔をほこらばせてきた。
「こんばんは、これからご飯ですか?」
「まあな。……お前もか」
「はい! 良ければご一緒しても良いですか?」
「……好きにしろ」
ゆるゆる釣りあがる口角を隠すため田噛はそのまま視線を逸らせて背を向ける。いっそ手を握って連れて行きたい衝動に駆られたが先ほど吐いた花がついた手で触るのは躊躇われた、念のため手を洗っていたが、それでも彼女を汚したくないという妙なものが心の中で疼いていた。
「(っとに、……だりぃ)」
「先輩?」
「なんでもねぇよ」
無意識に彼女の頭に触れようとした手をピタリと止めて、自然な流れで自らの髪をかき乱した。
恋というのは本当にめんどくさい、想っている側も、それを知らない想われている側も。素直に伝えようと想った事は何度もあったが、自然に会話を出来る仲が、好き、という言葉で簡単に壊れてしまうということを考えると言えなかった。きっと彼女のことだから気を遣っていつも通り話しかけてくるか、どこか余所余所しくなり避けられるかの二択だ、それしか考えられない。
ならばアピールするなという話だが、彼女を目に入れれば自然と自分でも無意識にそういった行為をやってしまう。
「先輩、なんか最近変ですよ?」
「んなことねーよ」
「そう、ですかね?」
彼女の声を耳に入れて、田噛はそれ以上喋らなかった。
「よく分かりませんが、無理はしないでくださいね」
屈託なく笑った名前を見ていると、不思議と気分の悪さは出てこずにさっきまで悩んでいた謎の病気のことなんて頭から消し飛んだ。つくづくべた惚れ、自分がここまで可笑しくなるなんて思っても見なかった田噛は行き場のない感情を舌打ちで吐き出した。
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