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生前のきりしまと出会う話


ぱちぱちと瞬きを数回繰り返せば青い瞳いっぱいに映るのは辺り一面に咲き渡る血のように赤い彼岸花と、彼岸花を切り裂くように流れる大きな、果てしなく無限に続く川だった。幼い少年は先ほどまで大好きな母親と一緒に眠っていたはずだ、それなのにどうしてこんなところに? 訳が分からずにただ呆然と彼岸花が立ち並ぶ場所に立っていたが、一面に埋め尽くされた彼岸花と誰も居ない、一人ぼっちのこの空間が急に怖くなり鼻の奥がツンと痛み出した。

「おっかあ……」

 絞り出した声はあっと言う間にこの赤い彼岸花が咲き乱れる空間に溶け込み誰の耳に入ることも無い。さらさら流れる川の奥にも無限に続く彼岸花、少年は思いきって足を踏み出す。
さく、さく、さく、足を踏み進め歩いて行くが目の前を流れる大きな川の中で足をぴたりと止めた。さらさらと流れる透明できらりと何かに反射するかのように輝く川を一瞥したあと一度だけ後ろを振り返るがそこには誰も居ないことを改めて確認すると大きく息を吸い込んで足を川に浸した。

「っ、つめた……」

 冷たい、氷のようだ。何も纏っていない足でこの奥へ進むにはかなりの労力が必要になると幼いながらに理解した。自分が住んでいる村の冬も、ここまでは酷くない、それほどまでに冷たく自らの足に容赦なくその冷たさが刺し込んだのだ。
 けれど、ここで立ち止まっていても人が来る気配なんて無いし侘しさが募っているだけ。少年は先ほどまで涙で緩んでいた青い瞳をきっと吊り上げると思い切って川に飛び込もうと再び足を川に伸ばした。

「……駄目よ。戻れなくなっちゃう」
「!」

 後ろから投げ掛けられた声に驚き、バランスを崩し川の中に飛び込んでしまいそうになったがそれは後ろから伸びた腕により遮られた。両肩を掴まれ後ろへ引かれればぽすんと小さな音を立て背中に布の感触を得た。
 高い声につられおそるおそる顔を上にあげれば人間にしては不自然なくらい青白く生気の宿っていない肌とカーキー色の軍帽が作る影で目元を隠された軍人のような人物が自分の身体を支えていた。不自然に膨れ上がった胸元を見て幼いながらにこの人物が女性だと気付いた少年は少しだけ警戒しながら距離を離し、震える唇を動かし言葉を発する。

「……お姉さん、誰?」
「お姉さんはね……えっと、……君が住んでいる所よりもっと遠い所に住んでいる人だよ」
「とおい、ところ?」
「そう。ずーっとずーっと、遠い所」
「……」

 自分と視線を合わせるように身体を曲げた女を見れば、自分達が住んでいる村の者とは全く異なる軍人のような服を身に纏っている。軍帽が作りだす影により目元は見えないが柔らかく作られた女の口元は笑みを浮かべており強張っていた少年の身体は徐々に柔らかさを取り戻した。

「それよりも、君はどうしてこんな所に?」
「分からない……気が付いたら、ここにいて……」
「……そっか。念のため聞くけど、あそこの川の奥は一人で渡ってないよね?」
「うん」
「そっか、なら良かった」
「お姉さん、俺……帰りたい」

 綺麗な青い瞳が揺らぎ、少年は不安げに少女の腰元に縋り付いた。黒髪に青い瞳、些か幼い顔付きだがその姿は少女が恋い慕い想い合うある人物と重ね合わせ、制帽の影に覆われている双眸を細める。
 本来ならば人が立ち入る事は出来ない場所、ついにはその瞳から涙を落とす少年を見れば胸がきつく締め付けられ少女は白い手袋越しに少年の涙を拭う。

「大丈夫。お姉さんがきちんと元の世界に帰してあげるから」
「……ほんと?」
「本当。じゃあ、川を渡りましょうか」
「あの川、冷たいよ? それに渡っちゃ駄目なんじゃないの?」

 鋭い、いや先ほどの言葉をきちんと覚えているから賢いと言った方が良いのだろうか。この川は此の岸と彼の岸を跨ぐ言わば三途の川のようなものだ彼岸花を切り開いたところには賽の河原、そして、緊急で入り込んできた任務内容は“時空の歪みで迷い込んだ生者を保護し一時的に預かり元の世界に帰す”というモノだった、時空が歪んだこと事態はきっと怪異の影響としか考えられないがあの世に住まう者が生きていた姿で入り込んでくるなんて誰が思うだろうか。

 いや、今はそんな事で頭を悩ませている場合ではない。早くこの子を元の世界に帰してあげないと取り込まれてしまう。不安げに縋り付く青い瞳の少年の手を握り締めて少女はもう一度少年と視線を交わすべくその場に屈んで柔らかい黒髪を撫で付けた。

「大丈夫よ。帰るにはもう少しだけ時間が掛かるけど怖くない?」
「俺男の子だから平気だよ」
「ふふ、偉い偉い」
「俺、偉いの?」
「偉いよ? とっても偉くて良い子」
「……えへへ」

 無垢な子どもはなんとも愛らしいことか。制帽の影で密かに黒曜色の瞳を細め少女はもう一度少年の髪を撫で付けると、そのまま少年の脇に手を通し軽がると持ち上げた。

「わ!?」
「川は冷たいし、君が渡ると危険だからこうしていこうか」
「お、俺一人で、」
「だーめ、帰りたいでしょ?」
「……」

 持ち上げた少年の身体を腕でしっかりと抱き上げて笑い掛ければ少年は恥ずかしさで頬を赤らめるが妙に説得力のある少女の言葉に言葉を詰まらせた。
 この三途の川を生者が渡れば完全にあの世の人間になってしまう、それにこの川に棲みつくヨクナイモノがこの少年を囲み厄介な怪異へと導いてしまう危険性もあるのだ、鬼としてあの世で生きる自分がしっかりと然るべき場所まで導き菩薩や閻魔に言えばきっと無事にこの少年も帰れる、自分の仕事は彼を獄都まで連れて行くことだ。
 不安気に少女を見つめる少年の瞳には、帽子の影でうっすらぼんやりしか見えない少女の瞳と柔らかく弧を描く口元が映る、しかし妙な安心感が身体を包み込みそのままゆっくりと少女の首元に手を回した。

「(何も無ければ良いのだけど)」

 少年の背中を軽く叩き、氷のように冷たくなった川へと足を踏み入れた。とは言っても自分は製靴を履いているのでさほど冷たくは無いので気にはならないが、やはり不安に思っていたことは起きてしまった。

「っ」
「ア……アアアアアア……ナカマ、オイデ……」

 川の奥底、深いところから伸びた青白い手が、少女の足を掴んだ。幾多にも浮かび上がった真っ白い手は何かを掴むかのようにしきりに指を動かし、まるで川底へ誘うかのように手招きのような動作を繰り返していく。

オイデ サミシイ クライ コワイ

 静寂の中に木魂する低く呻くような声は少女と少年の鼓膜にねっとりと絡み付き脳内神経を縛っていき身体の動きを抑え込む。今だ未練があり、戻る事も進む事も出来ないモノがこの川には居るのだ、憎悪だけで溢れているからこそ、自分達鬼とは違うひんやりとした感覚はあの世の鬼である少女の身体に容赦なく絡みついた。
 体温も感情も無い、ただ憎悪だけの物体に全身が粟立つ、気持ち悪い。その言葉だけが脳内を支配するのに、動けない、徐々に伸びて行き取り込もうとする手は、少年の瞳にも映り込んだ。
 
「お、おねえちゃっ、」
「はあ…」
「!」

 あまりの恐怖で青い瞳が揺らぎ、更に強く強く少女に縋り付いた少年の言葉に被さってきた言葉は先ほど身に染みた川よりも冷たく、凍てついた乾ききった言葉。思わず身震いするほどの声に少年が少女の顔を見たときそこには帽子の影から恐ろしいほど黒曜に輝く双眸が浮かび上がり言葉を失った。
 ざわりと周りの彼岸花達が音を立てて揺れたような錯覚を覚え、気がつけば川から湧き出て蠢いていた手たちは動きをぴたりと止める。

「消えろ、怪異風情が」
「〜っ!」 
 
 少女に耳元を抑えつけられた少年の耳からくぐもった怒声が響き渡った、あの温厚で柔らかな印象しかない少女からこんな言葉や声色、表情が出せるなんて思ってもみなかった少年はあまりの恐怖に畏怖し少女に強くしがみ付いた。
 吐き出された言の葉はまるで言霊のように辺りをざわつかせる、川から生える手は力を失い、少女の足から静かに離れるとそのまま川の中へと深く沈んで行く。実態が不安定なものにはやはり少しばかり体力を奪われてしまう、少しだけ切れた息を乱して、すぐに川から上がっていく。

「ごめんね、大丈夫? 痛いところとかない?」
「……大丈夫。ちょっと怖かったけど」
「うん、あれは悪い奴等だからね。……君は、あんな風になっちゃ駄目だよ」
「……?」
「なんでもないよ。じゃあ急ぎましょうか」

 少女の言葉は、少年の頭の中に深く残る。



「お姉さん、疲れない?」
「お姉さんこう見えて体力有るから大丈夫よ」

 深くどこまでも広がる海のように、遥か彼方まで仰ぐ空のように、宝石のように輝き澄み渡る青い双眸は少女が大好きな彼と全く同じで、いっその事ずっと手元に置いておきたいと錯覚してしまうほどの輝きを放っている。


続きが思いつかなかったです

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