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 あー、やってしまったなぁ。何て、薄暗いぼろ屋の壁に凭れ掛かって抹本は霞みゆく意識を必死に繋げようと既に閉じかかっている瞼を必死にぱちぱちと動かす。
 冷たい霊気に晒され元から冷たい身体は更に温度を失い、氷の様だろう。身体中から零れ出た赤黒い鮮血は吹き込む冷風によって凍り付き霜が立つ。ひゅー、ひゅーと潰れた喉仏から出る声にもならない無機質な吐息は口から出る酸素共に真っ白い煙となり吐き出され暗がりに溶け滲む。
 足は、切断された。せめてもの対抗で外套から取り出した試験管やフラスコ類は無残にも床に砕け落ち入っていた色とりどりの液体が床に染みを作り何とも言えない、眉を顰めたくなるようなきつい臭いが鼻から通っていき肺を満たす。

「(どう、しよう……)」
「シネ……オマエモ、アイツモ」

 雑魚共が巣食う場所で、これくらいなら抹本でもいけるだろうという理由で派遣されたのに見事返り討ちされた。生憎この仕事を受け持つ筈だった特務室の連中共は各々違う仕事についているので受けもてる人が居なかったのだ、だから、「これくらいなら大丈夫」と思ったのが間違いだった。
 切断面を興味ありげに見つめる真っ黒い生命体、そして目の前を、意味不明な言葉を零しながらうろつく憎悪と醜悪で出来た亡者が徘徊しているのが目に入り、吐き気が襲ってきた。
 えぇと、最初は小さな敵を薬品でぶっ掛けて丁寧に殺していったのに、いつの間にか別の場所に居た亡者、今回の捕縛対象でもあった、死ぬ前に大事な人に裏切られ、そのまま殺し遺棄してしまった亡者。思っていた以上に強敵で成す術もなく失いかけた意識を戻せばこの悲惨なありさまだった。

「(手が動けば、応援呼べるのになぁ……)」

 生憎もうそんな体力など残っていなかった。

「あっ、ぐ!?」
「コロスコロスコロスコロスコロスニクイニクイニクイニクイ」

 亡者の手が伸びて、抹本の首を引っ掴むとそのまま持ち上げた。既に理性など無くし殺気だけで形成されている亡者の力は並大抵なものではない。伸びた爪が首の薄皮を裂き、力の強さで骨の軋む音が脳内に響き潰れた喉から痛みが全身へと周り行く。対抗する力も無いし、声にならない声を抹本が吐きだす度に亡者は嬉しそうに、狂気じみた笑顔を曝け出す。

「っ……」

 ああ、もう死んでしまおうか。死んでしまえば異変を感じた上司が応援を呼んでくれるだろう。後で謝っておかないと、薬も作らなきゃ、何て今考えるべきではないことで頭を一杯にさせて抹本はゆっくりと目を瞑ろうとした時だった、
 こつこつと地面とブーツが触れ合う音が近付いて行き、それと同時に、

「抹本? ま……」

 聞き慣れた声が既に機能を失い掛けていた耳へと入り込み、思わず垂れ下がった黄緑色の目を見開いた。

「……え?」

 結った髪を宙へ躍らせ、小柄な身体には似合わぬ巨大な武器を背負った同僚が姿を見せ、見るも無残な光景を見た時に暗闇の中で浮かぶ銀を見開いた。
 名前、と呼ぼうにも声帯が潰れていた、へへやられちゃった、という意味合いで似合わない程不自然な笑顔を向ければ状況処理が追い付いていない同僚はただただ言葉を失い呆然と立ち尽くすのみだった。
 と同時に亡者が素早く反応した。

「シネ」
「う、あっ!?」

 狙いを定めたのか、亡者は既に死にかけている抹本から手を離し床へ落とすと伸びた爪を構えそのまま立ち尽くしていた名前に向かって手を振り上げた。
 逃げて、と言おうにも叫べなかった抹本の声は無残にも届かず、亡者の長く伸びた爪は名前の肩口から腹に掛けて食い込み、そのまま力を入れて斜めに動かせば柔らかい肉は抉れ開いた傷口から赤い鮮血がぷしゃっと舞い亡者の顔に飛び散る。突然襲った攻撃に受け身も取れなかった名前は担いでいた武器を地面へ落とし、一気に減った血液に追い付かず膝から崩れ落ちた。

「な、」

 ああ駄目だくそ。声帯の回復が追い付いていない、駆け寄ろうにも足は切られているしどうしようも出来ずに、抹本は短く整えられた爪で引っ掻き微動だにしない名前を視界に居れた。
 抉れた部位に手を当て呼吸を繰り返す、確か、彼女は痛みを感じることはない。だが生命の源である血液を一気に失えば下手をしたら死んでしまう。

「アレ……シンデナイ」

 制帽が落ち、名前の前髪を引っ掴んだ亡者はぎりぎりまで顔を近付け青白く虚ろなどの眼窩を覗き込む。衝撃を口を切ったのか色を失った唇の端からは血が滲み出ており、白に映えた。

「(くそっ、このままじゃあ……!)」

 このまま彼女も殺されてしまうのか。と得も知れぬ恐怖感が抹本の背中を駆け巡り脳に警報を鳴らした、ああ、もう駄目だ。気の早い諦めにそのまま床に突っ伏そうとした瞬間、妙に、この場に似つかない高い声が耳へと滑り込む。

「抹、本……君を甚振ったのは、こい、つ……?」
「……え?」

 血を失い色気を失った表情の名前が、こちらを見ている。その瞬間、先ほどとは違う感覚が抹本の背中を駆け抜け、神経を直接撫ぜられたかのような昂ぶりまでもが襲い掛かった。
 淀んでいた瞳が、少しばかり色を成している、この瞬間抹本は一筋の光を見つけように表情を明るくさせる。

「……ねえ」
「(ああ……分かったよ)」

 お前なら何て言うのかわかっているだろう、早く。とでも言いたげに亡者を無視してこちらに笑みを浮かべる名前に抹本は回復し出した声帯に神経を使い、蚊の鳴くような声で答えた。

「う、ん……ぼこぼこ」
「あ、は」

 見逃さない。その瞳が答えを耳に入れた瞬間に爛々と輝きを見せたのを。興奮と高揚で大きく見開いた瞳と、歪に歪んだ口元を。

「ダマレシャベルナシ、」
「黙るのも死ぬのもてめーだよ」

 やっぱり。場に似つかない高らかな声で吐き出された言葉の棘と共に、力の無かった名前の右足が亡者の腹部にめり込んだ。
 あの調子じゃあ既に傷口は塞ぎかかっているだろう、もっとも、この後の展開では開いてしまうと思うけれども。

「ガッ!?」
「あっははははははは! ねえねえ驚いた!? そりゃさっきまで死に掛けの奴にまさか突然反撃されるなんて誰も思わないもんねえ!」
「(始まった……)」

 仲間が瀕死に迫られたとき、自らが深手を負わされた時に限り、彼女の中に眠る理性の鎖が一気に断ち切れアドレナリンが放出し彼女はさながら戦闘狂の如く暴れ出す。
 無慈悲に、残酷に、冷徹冷酷に。ただただ敵が苦渋に満ちた表情を見せる度にその表情に明るさを見せ甚振ることに快楽を感じるサイコパス、理性は全て断ち切られた訳ではないから仲間には直接危害を加えないが、流れでうっかり、なんて事は良くある。
 最初こそはその変貌振りに同僚たちは難色を示したが本人もどうすることが出来ないと嘆くしこの状態だとあっという間に仕事が片付くから目を瞑っていたり。

「ア、アアアア」
「いいね……その声、もっとさ……なきなよ」

 うずくまった亡者の背にブーツを乗せると思い切り力を入れ踏み抜く、その時の名前の表情と言ったら! まさに快感、恍惚、楽園に放り込まれた放浪人の如く至極恐悦そうに、幸せを堪能している幼い少女のように純。粋で眩しいほど輝いているのだ。ああこの笑顔がもっと普通の時にでも出ればきっとモテるに違いないのに。何て呑気に考えながら重たい身体を起こし抹本は壁に凭れ高見の見物。下手に手を出したら自分も殺されかねない。

「アアアア! アアアア……イタイ、イタイイイイイ……!」
「はあああああぁっ……! ああもうすっごくゾクゾクする……、好き、大好き……」

 床に落ちていた大鉈を拾い上げれば名前は一度足を亡者の背から離し、鋭利に輝く銀色の刃を思い切り亡者の背中に喰いこませ切り裂いた。あまりの速さに音も聞こえず、しかし確かな手応えと薄黒い液体がシャワーのように噴き出し名前の制服を染め上げる。
 今にも蕩けそうなほど、また身体から湧き出る興奮が抑えきれないのか顔を赤くし、見開かれた瞳孔からは嬉々とした感情が一筋の光のように輝く。独り善がりに聞こえるそのセリフは一見すれば艶やかな雰囲気にも聞き取れるが、どこにもそんな見方なんてない。まさに鬼そのもの、殺戮だけを生き甲斐とする狂気的な絡繰り人形のように血の模様で身体を彩る女は己の武器で標的を貫いていくだけだ。

「はははははははははは! 痛い? ねえ痛い!? そりゃ痛いかあ! だってお前すっげー苦しそうだもん! 痛くなかったらんな耳障りな声なんてださねーよな! けどこっちだってヤられるところヤられてんだよ、この位はお礼したって良いよね!」

 見ているこっちが引いてしまうくらいの気迫だ。完全に自分の世界に入り込んで呆然と見学している抹本なんて見えていないだろう、亡者の頭を引っ掴んだと思えばそのまま硬い地面に叩きつけ不気味な程眩い笑顔を向けている名前、頭のネジが外れていると理性なんか無かった亡者ですら、その殺気に恐怖を感じ無意識に言葉が口から零れ出る。

「ゴメッ、ナサ……タダ、ニクカッタダケナノニ」

 苦しげに聞こえた声は、しっかりと届いた。

「えー……? ああ、裏切られたんだっけ、自分たちと同じくらいの歳の奴に」

 好き勝手に亡者を痛めつけていた名前の手が思わず止まった。全く、これじゃあどちらが悪者か分からないじゃないか、と人知れず抹本はじわりじわりと身体が回復していくのを待っている間に亡者と獄卒のやり取りを見続ける。さほど興味無さそうに言葉を投げかける名前の言葉の後、数秒遅れて亡者は無機質な声色で言葉を紡いでいく。

「アイツガワルイウラギッタンダ、ズットズットシンジテイタノニ」
「……ちゃんと、喋ってる」
「名前が、こわくなったんじゃない?」

 声帯がやっと完全に回復したらしい。同時にあの名前の気に充てられて気持ちが昂ぶっていたのか切り落とされていた四肢も回復している。絞り出すような声で抹本が言葉を投げかければ名前は一瞬だけ眉を潜めたが「まあどうでも良いけど。始末すればこっちのモンでしょ」とすぐに次の攻撃を、否甚振りを開始しようとしたのを察知した抹本は「待って!」と再び慌てて声を荒げた。

「なに」
「このまま閻魔庁へ連行しよう」
「まだ生きてるよ?」
「殺す必要無いだろ? 殺すと再生に時間掛かるし先生も大変だよ……」
「ふうん……。ま、時間もあんま無いし、仕方ないか」

 暴れたりないのかどこか不服そうに唇を尖らせながらも名前は衣嚢から、方じゃ捕縛用に支給されていた縄を使い手慣れた手つきで亡者を縛り上げる。そのさい亡者は全てを諦めたのか、はたまた下手に抵抗したら今度こそ殺されかねないと悟ったのか終始大人しくしていた。
 回復したての足に力を入れて立ち上がれば、名前から縄を受け取ってはっと短いため息を零しながら彼女の頬に飛び散った血を袖で拭う。

「凄かったね……」
「……そ、そうかな」

 尻すぼみになっている。どうやら亡者を縛り上げている間に気持ちの昂ぶりが治まりだいぶ落ち着いたらしい、先ほど見た時は違う形で頬を赤くさせ、こちらを一切見ようとしない名前の頭を抹本は撫でた。
 先ほどのように時折あんな狂った姿を見せて、そのあとほとぼりが冷めたら名前は嘘のように大人しくなる、どうやら恥ずかしいらしい。それが未だに理解出来ないがあんな大興奮でテンションが高い姿を見られることにはかなりの抵抗があるとのこと、やはり理解出来ない。
 それなら止めれば良いじゃないか、と同僚の誰かが言っていたが、自分でも戦闘中に起こる想定内のハプニングから外れてしまうとどうしようもなく自制が効かなくなってしまうとのこと。そのハプニングが彼女の場合は瀕死にされた仲間の姿と自分が死ぬ寸前の場合。

「あんなに暴れて、傷は大丈夫?」
「うん。塞がってる」
「そっか、なら良かった」
「なんか久々だったからか……不謹慎ながら楽しいと思ってしまった」
「……楽しければ、良いんじゃないかな?」

 今が楽しければそれで良い。例えどんな状況であろうと。異質だろうと異常だろうと言われたって構わない、だって抹本も名前も、人の道から離れた人外であり地獄を生き抜く鬼であり獄卒なのだから。

題名:scald様