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 一生死なぬ身体、他者に同情の念を寄せ哀れみを向けその手を差し出し幸せな道へ運び出すといった、そんな妙に人間くさい事なんてこの身を授かった時から消え失せてしまった。それに伴いあいつの後ろに立つ存在として、『副管理長』という大きなレッテルを背負いこの身に部下を抱える身としても余計な感情は一切持ち合わせずに、ただ冷徹無常。無慈悲に冷酷に。見かけだけの優しさを見せることしか出来ないのも事実。
 希薄で、薄っぺらい紙一枚で形成された感情なんて無いに等しいものだと気付いたのは、何時ごろうか。多種多様、宝石のような色とりどりの瞳孔はいつも乾き。つりあがるか細められるか。閉じられるか。五つにも満たない選択肢を何百年も繰り返し生きていたのに、それが当たり前だと思っていたのに、この目の前でじっと蹲っている女が成す行為に理解が出来ずにただ呆然と棒のように立つ事しか出来ずに居る。まるで塩でもなめたかのように喉の奥がじりじりと焼けるように熱い。

「……名前」
「さい、とうさん……」

 冷たい床に座り込み顔を覆っていた手が離れ、理解不能なことをしていた部下である名前は私の名前をポツリと零した。怒りを示しているわけでもないに関わらず、他のものよりも小さなその体躯は震えており、整った青白い顔立ちもどこか赤く朱を帯びている。

「泣いているのかい?」
 
 灰よりも白、ダイヤモンドに近いような澄んだ銀。顔の窪みに収まったその銀の瞳孔から止め処なく溢れ出る雫を指で掬い上げ、小さな水で揺れ動く宝石のような輝きと潤いを宿す瞳をじっと見つめればさらにその目は細められる。

「さいとうさん」

 途切れ途切れで掠れ出た声は、今はとにかく縋る存在を欲しているかのような、酷く言えば藁にもすがりたいと言う思いが乾いた声色に込められており、私の服を強く握り締めるその姿を見て、堪らなく惨めで虚しい気持ちが身体をじわじわと黒雲のように蝕んだ。下手に気を抜けば表情に出てしまうほどの大きさで、気持ちを振り切るようにまた彼女の目から溢れ出た雫を掬い取った。

 どうしたんだい。
私的な、彼女を哀れむような意味をこめずに吐き出た水分を無くした七文字の言葉を彼女に投げ掛ければ、更に銀からは透明な水が溢れ出て私の手袋に水分を滲ませ、触れていない水は彼女の青白く蒸気した輪郭を緩やかに伝いしっかりと閉ざされた制服の上にはらはらと小雨を降り注ぎ染みを作っていく。くしゃりと歪んだその姿を見たならば、あの子達はなんと言うだろうか。困惑したように眉を潜めるのか、らしくないと言い笑うのか、私のようにどうしたんだいと優しく声をかけこの雫を掬い取るのか、いや全てが当てはまるだろう。このような事は、本来あるはずが無いのだから。

「お前が泣くなんて珍しいね、よほど辛い事があったんだろう」

 今作り上げた慈しみ、慈悲、哀れみを込めた手でさらりと靡く黒髪を撫ぜ上げれば僅かに開ききっていた鋭い犬歯が覗く口はきゅっときつく結ばれる。ああなんてかわいそうな子なんだ、かたかたと震える小さな小さな体躯を今すぐにでも抱き締めただただ包んであげたいのに、この身を襲うのは酷く醜悪で不愉快で、吐き気がしそうな程の黒い渦が身体を飲み込み機械的にその黒髪に指を通す事しか出来ない。この感情は、なんなのだろうか?
 泣かないでくれ。お前が泣く姿を見ると私は酷く虚しく困惑と身を襲う空虚や焦燥感でいっぱいになりどうしたら良いのか分からなくなってしまう。見たこともないほど顔を歪めその瞳孔から水を零す姿に私は、初めて戸惑いという言葉を感じた。

「災藤さん、さいっ……ふっ、うぅ……」

 ずっと黙っていた私に不安や恐怖、見放されてしまうという孤独感を覚えたのだろうか。私の服を離して暇を持て余していた名前の手は冷たく静寂した宙を掻き、私の身体に容赦なく回されきつく力を込められる。

大丈夫だよ。
怖がることなんてなに一つ無いんだよ。
傍に、居るよ。

 彼女のこの姿を見たくないからこそ、吐き出したいこの言葉は喉の奥で粘着物のように張り付き出てこない。彼女の柔らかな黒髪を撫でていた手が意思に反し震えて動かない。見たことが無い名前の揺らめく銀と赤く熱を孕むその妖艶さ。醜いまでに歪んだその表情が垣間見せる儚げな姿。言葉では形容し難いほどその姿を見てこの身体に纏わりつく感覚をどうしても剥がしたかった。
 なぜだろう、泣きたいのに、泣けない。じわりと胎内の中を揺蕩うこの妙な心地良さと気持ち悪さを取り除きたいだけなのに、この乾いた曇天の中を覗く空のような灰青はなにかを生み出すことなく腕の中で震える小さな少女を映すことしか出来ずに居るのだ。なぜ泣きたい、という感覚に襲われているのかは私にも分からない。けれど、この身は、目は涙を欲しているのは間違いない。

「ああ……、名前」

 幾多、幾千もの年を重ね共に過ごし、幼いお前の姿をずっとこの目に焼き付けこの身体、腕に触れてきたのに初めて見た姿と、心に雪崩れ込むこの感覚。美しく儚く、思わず目を細めてしまうほど綺麗なその雫。
 私は、お前が羨ましいよ。
誰かに本来持つべきものではない恋慕を抱き、その淡く脆い意のためか身を打ち砕き喉を掻き毟りたくなるほどの衝動が身体を襲い受け止める事が出来ずに砕け散ったのか、すぐにでも慟哭しそうなほど震えて情けないほどに嗚咽を零す関心を寄せていない人間にえらく似ているのに美しく見えて尊さを感じさせるその姿。羨ましいんだ。
 
私も、もし、そんな事がありえるならば……。
彼女のように美しく涙を流せるのだろうか。
教えておくれ、名前。

「……災藤さん?」

 じくりと膿んだ傷口のように鼻の奥が酷く痛みをうんだ。しゃくり上げられる嗚咽の中で漏れ出した私の名前には、先ほどまでの悲しさは殆ど含まれて居ない。
 名前。眼下に居る彼女の名前を呼べば、その名を持つ本人は潤み赤く腫らした銀に灰青を映し、微々たりながらも疑問の意を示すかのように小首をゆっくりと傾けた。
 お前が、羨ましい。視界が、世界が揺らいだ。ひゅう、と声にもならぬ身体に纏わりつき喉を支配していた黒い塊を吐き出したつもりで、お前の今にも壊れてしまいそうなほど脆い肩にそっと額を押し付けた。

「……はい」

 余計な事は一切言わずに、私が被っていた制帽をゆっくりと取り払い、数分前私がしていた事と同じように白い手袋越しに赤子をあやすかのように私の髪を細い指先で丁寧に撫で付けた。手袋越しにも関わらず、体温が殆ど無いはずの鬼の手は火傷してしまいそうなほど熱く、どうする事も出来ずにただただ部下に縋り付くこの私を包み込む温かい陽光のようで、視界がじわりと強く滲んだ。
 一生、未来永劫死なぬ身体を持つ私達と同じ血肉を持つ君が、泣くという行動をした君が、憎く愛らしく、羨ましい。

「ふふ。……震えてますよ」
「……お前のせいだよ」

 ふは、と精一杯の破顔一笑を見せるわけでもないのに作って、震えが止まっている温かく大きな背中に全ての感情を込めて爪を立てた。
 縁がないと分かりきっていたのに、誰かがそれを覆しいとも簡単にやってのけた行為に馬鹿らしく嫉妬の念を抱きながらも生まれる事が無かったはずの同情や思慕、言葉には出来ないほどじんわりと熱い感情を得ることは、出来たのか。この頬を流れるそれは、私の考えを肯定しているのか否定しているのか。
 それはきっとこれから先、一生分かることは無いだろう。

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ツイッターでちょっと投下していたネタに肉付け。
泣けないはずなのに泣いている君が、羨ましく憎かった。