×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

獄卒乙女 肋角←谷裂♀前提

 彼は知っている。
鋭利に吊り上げられた中に埋まるアメジストのような輝きを持つ紫の瞳が、彼とあの人を映す時に微々たりながら変化するのを。
 元々は女だけで形成されていた空間に転がり込んできた身である名前は、最初こそは異質な存在である己に臆し影に溶け込むようにひっそりと、その空間に誰とも関わらず、まるで最初から存在していなかったように毎日を生きていた。
 しかしある日、自らの瞳と酷似した髪を持つ谷裂が「男の癖に女々しい。根性を叩き直してやる」誰よりもストイックで頑固、自らの信念を貫き性別の差を気にせずに縮こまり影に溶けていた名前の手を引いたのだ。
 雷が走った、とよく自らが好んで読んでいる文庫本の中に時たまこう比喩される文があるがこの時は違った。
落ちたのだ。奈落の底に繋がるが如く掘られた穴の中に自ら足を踏み入れ、何人にも邪魔される事なくストンと、水面に小石が落とされ奥底に沈んでいくように名前も彼女の真っ直ぐな紫の中に。

 今までにない高鳴りを覚えた自分の身体を素直に受け入れ、ただ彼は彼女の中で良い弟、兄、同僚であろうと勤めた。とりわけ目立つ事をせずにただ敬愛と思慕、恋慕を少し織り交ぜただただ良い人を演じ続けた。心の中ではもっとどす黒くドロドロに溶けた欲求垂れ流しにしながら、彼女の中で自分の株を上げ続けたのだ。
 いきなり想いのはけを伝えても鍛錬や己の決めた道を突き進み恋情には慣れていない彼女を困らせるだけなのは分かっている。だから、特別な視線を向けず、同い年の異性という事も気にさせないようにただただ彼女に接する、家族としてしか見られない。と言われても構わない。ならばその後は元々持っている男という立場を少しずつ曝け出して分からせれば良いのだ。
 しかし、恋に落ちた名前がまた新たな感情が己の身に落ちていく事を、辺りがうっすらと静まり返る夕刻に知ることになる。今日中にやらなければいけない仕事も終わらせ後は夕飯を食べるだけだと身体を伸ばし廊下を歩いていた名前の瞳に、一際輝く銀色と紫が浮かび上がり思わず顔が綻んだ。

「お。谷裂、」
「……肋角先生」
「(……あ)」

 一粒の、雨音のように静かで消え入りそうな声だった。しかしそれはしっかり名前の耳に入り込み、淡く輝くアメジストの色の瞳も目に映りこみ脳内に貼り付けられた。
 彼女が立っているのは執務室、自分達の先生である肋角という褐色した肌を持ち、精悍で威厳があり、どっしりとした体躯に伴う大人特有の色香を含んだ自分が尊敬の眼差しを向けている男性の部屋だ。胸に添えられた書類をいとおしげに抱き、温度で溶かされる飴玉のように蕩けきっているそのアメジストは、慈愛や思慕だけで片付くようなそんな生ぬるい意味は込められていない。一歩、また一歩と近付いても彼女はこちらに気づく事が無く、青白い肌にうっすらと朱色を混ぜ込みただただまるでその目に直接写しているかのように扉を見つめている。
 この時、名前は突き刺すような紫を見たときとは違う感覚が身体中を駆け巡った。落ちた、という生易しい言葉では片付けられないほど重く、繊細でありとあらゆる神経を撫ぜ上げたかのような。ぞくり。どこか心地が良い感覚だけが瞬時に脳内を浸して行きゆるゆると乾ききった唇がつり上がる。この感覚は何なのだろうか、恋い慕っている相手が別の誰かに恋慕を向けているにも関わらずあの時落ちた時は全く違う無重力の中に揺らめく地に足が付くことのない重力が消滅した世界に置かれたような言葉では言い尽くせぬ快感にも近いこの衝撃は、なんだ?

「谷裂」
「え、あ、名前!? な、何の用だ!」
「んな大声出すなって、飯食いに行こうと思ったらお前が居たから声掛けただけだ」
「……そう、か」

 夕日の橙色だけが自分達を、館内を染め上げる中でも、谷裂の頬は赤く女の顔だった。ほんのり色づく唇を真一文字に結び、何かを言いたげに下からこちらを睨みつけるその紫は、決して彼に向けられる事は無いのだろう。そんなあやふやな過程を組み立て勝手に確信付ければ心臓を締め付けられる所か酷く興奮した。何事も無かったかのように手袋が嵌められている自らの手で口元を覆い、名前は橙色で僅かにオレンジがかった銀鼠の瞳を細めて、言葉を彼女に投げ付けた。

「なあ、肋角先生のこと好きなのか?」
「なっ!? な、何を言っている!」
「どうなんだよ」

 表面上では極めて笑顔で相手に警戒心を与えないように滑らかで柔和な、思わず息を呑んでしまう程美しい笑顔を作り上げて問うた。以前同僚である木舌にどこか女性らしさを含んだ中性的な顔立ちをしているね。と言われていたことを思い出した、男特有の骨ばった身体は学ラン越しからでは全く目立たず、詰襟の所為もあってか首の真ん中に突き出る喉仏も隠れてしまっている、更に中性的な見た目からしばしば女性に間違えられる事はあったのは否定しない。耳より数センチ離れたところまで髪を伸ばしているし、男装の麗人と言えば思わず首を縦に動かす人も少なからず居る筈だ。
 橙がかった真っ白なセーラーと、紺色のスカートがふわりと揺らめき目の前で縮こまっている女は口をジッパーで塞がれたかのように結び動こうとしない。

「谷裂」

 烈火の如く燃え盛るようなほど気迫を含んだ鋭利な紫は、名前の中に眠る理性の鎖をゆっくりと外していく。尚も変わらず、不自然なほど歪に口角を吊り上げる名前を橙に混ざる紫色で数度映し、彼女はすっかりパサついた唇でゆっくりと、重々しく言葉を零した。

「……ああ。肋角先生は、家族や敬愛すべき存在を超えた恋情の意で、慕い上げている」
「…………」

 吐き出された言葉のナイフは、彼の中に眠る闘犬の首に繋がれた鎖を外すには十分過ぎて、鎖の擦れる音が彼の脳内にゆっくりと響き木魂した。まるで空高くに登る太陽を飲み込んだかのように身体の中からじわじわと体温が上がりだしそれと同時に稲妻が身体中に駆け巡る。
 彼が、名前が愛する紫は、あの緋色を見るときだけ一際輝くアメジストに変化し自分に向けられる色はただの何の変哲も無い辺鄙な紫だ。心臓が五月蝿いくらいに鳴り響き、館内は暑くないにも関わらず一筋の雫が彼の輪郭を伝い詰襟の中に消える。
 嘆かわしい事態なのに、彼の中では闘犬が暴れ回り得も言えぬ快感だけが走りまわし嘆く余裕なんて微塵も無かった。吐き出した言葉をぶつけた後も全く微動だにしない名前を見て不審に思った谷裂は今だ熱を孕んだ頬のまま、緩やかに細められた銀鼠の瞳をその紫色で見つめ顔を歪ませる。

「名前? 何を黙っているんだ」
「ん? 悪い悪い、なんでもねぇよ。……それよか、教えてくれて有難うな。俺も応援してるから」
「ふん、別に想いを伝える気なんて無い」
「んな寂しい事言うなよ、出来得る限り協力すっぜ?」
「考えておこう。……じゃあな」

 一度だけ踵を返した谷裂の短い紺のスカートがふわりと風を扇ぎ宙を舞った。中には黒のスパッツを履いているから別格羞恥心と言うものは備え付けていないのだろう。僅かに揺れる銀髪の隙間から覗いた小さな耳は顔の熱を奪い取ったかのように燃え盛る炎みたいに赤く染まっていたのを、名前はしっかりと瞳に写した。
 空間にぽつんと佇む今だ興奮を抑えきれない一人の男は、ふらついた足取りで壁に寄りかかるとそのまま、ずるずると漆黒の学ランと壁を擦らせ地面に座り込んだ。伸びきった黒髪を掻きあげ、先ほど視界に焼き写したあの蕩けたアメジストの瞳、羞恥しか持ち合わせていなかった赤く熱を孕んだ頬、こちらを射抜くが如く向けられた燃え盛る紫色の瞳、橙に反射し輝く銀色の中に潜む赤、全部全部瞼の奥底から脳の奥底までに行き渡り消え去る事が出来ない。

「……は、ははっ」

 恋情を向けていた自分が、本当に恋をしていたのはどうやら谷裂自身ではなかったらしい。あの時の無重力に身を投げた感覚はただのまやかしで、太陽の奥底から覗く宇宙の暗闇の中に、隠れていた一つの星を見つけた事で真実に辿り着いた。
 乾いた笑いが喉の奥底から滑り、変に高揚した気分を鎮める事無くただただ名前は愉快に笑い続ける。

「なんだよ、本当は、本当に好きだったのはあいつであり、アイツで無かったんだ」

 谷裂では無く、誰かに想いを馳せ叶わぬであろう僅かな希望に身を投じ一人で快楽に溺れていた谷裂自身に衝撃を受け、酷く欲情したのを彼女は知っているのであろうか? あの誰にでも向ける紫が、自分にだけアメジストに変化する事を期待していたと想っていたのは勘違いだった。アメジストが誰かに向けられる姿こそが彼女の真の美しさであり、甘美で狂おしい程に美醜を含めていたのだ。
 ああ、嗚呼、なんと酷く甘美で醜く、眠っていた自分の中の性的欲求を引き出すほどの威力を含んでいただろうか! あのアメジストを見るのは自分だけで良いのだ、誰にも見させないし気付かせない。蜜をたっぷり含んだ美しい花に卑しく寄るのは自分だけで良いのだ、その蜜を味わうことをせず、ただその蜜を求めに来た虫をひたすらに待つ。自分はそれで良い。

 さあ、早く堕ちてくれ。
緋色が寄り付かずに、願う事無く崩れ落ちた時はこの俺がしっかりと受け止め、別の道を切り開こう。
 自分に差し出されたアメジストも、あの隠された部分がちらりと見せた“女”という性も、そんなのいらない。俺が受け取っても意味なんか全く見せないのだ。
あれは別の誰かが受け取るからこそ一際美しく輝くのだ、その時の彼女はきっと最上級に美しくなり本当の“女”を開花させるだろう。そうしか考えられない。

「嗚呼、愉快だ。愉快だなぁ」

 早く、早く。まだ光を知らぬその原石をお前の想いが無事結ばれた時に最上級に輝くそのアメジストを、俺に見せておくれ。
それがいつこの目に収める事が出来るのか、期間すら予期出来ないにも関わらず、名前の身体はふつふつと烈火の炎のように熱く、理性の鎖を静かに焼き払った。

---------------------------------
恋する肋角先生にはアメジストの瞳。その他には紫色の瞳。
個人的に、肋角先生に片思いをする谷裂ちゃんが好きです。
新胴は谷裂ちゃん事態が好きなんですけど、誰かに片思いをする谷裂ちゃんを見た瞬間その思いを馳せる姿を愛してしまったようです。
本当の新胴くんは、もっと真っ直ぐな少年の、はず。

題名:英雄様