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「天気、悪いですね」
「雨降る前にさっさと帰るぞ」

 館の賄い婦であるキリカに頼まれたお使いを済ませ終えた二人は、店を出るなり先ほどまで広く澄み渡っていた青空を蝕むようにうねる灰色の形をした雲を視界に写し空を見上げた。獄都にもきちんと四季は存在し各々月によって様々な行事を楽しむのだ。この時期は降水量が多くそれに伴い時折身体に纏わり突くような生暖かい湿気も出てくるので洗濯物が良く乾かないと洗濯係のあやこが嘆いていたのを名前は曇天の空の元一瞬だけ脳裏に掠めた。
 雨が降る前特有の、どこか少しだけ埃っぽいにおいと空を覆う灰色の塊、着々と空は人々を濡らす水を空から零す準備を進めている。無愛想に吐き出された田噛の言葉を耳に聞き入れ名前も無言で頷く。
 ふっと息を吐き出しどうか降りませんように、なんて鬼である身としては考えられぬ神頼みとやらをして、二人は館に戻るべく店を後にした。

「殆ど雨ばかりで少しだけ憂鬱になりますね」
「湿気がうぜーしこの時期だとあちぃし碌なことがねぇ」
「早くお天道様拝みたいです」
「なんとかしろよ」
「そういうの無茶振りって言うんですよ先輩」

 お互い一つずつ持っている買い物袋が歩くたびに音を立てる。任務以外ではあまり外に出ない分この時期の暑さには双方ほとほと参っており正直買い物に行く事も億劫で仕方が無かったのだがいつも美味しいおやつや食事を作っているキリカの頼みを蔑ろにするほど二人は落ちぶれていない。食事の献立を考えるのは大変だし何より一人で切り盛りしているのには尊敬すら感じている。お互い、否、みな彼女には感謝しているからこそ頼みを断る輩は居ない、それは洗濯係のあやこでも同じだ。
 館に距離が縮んでいく度に先ほどまで視界に映っていた青空はすっかり灰色の雲に侵食され雲が織り成す陰で辺りが少しだけ暗くなる。

「……一雨来るかもな」
「間に合うと良いんですが……、ん」
「っ」

 なんの気無しに吐き出された田噛の言葉に、名前も言葉を重ねよう口を開いた時、空から雫が降り注ぎ彼女の口元に触れた。
 雨? と言葉に吐き出そうと思った時には既に遅し、ぽつぽつとアスファルトを叩く音が次第に響き渡りいつの間にか空からは天然のシャワーの如く大量の雨が降り注ぎ容赦なく二人を、道行く人々を無常にも濡らしていく。

「うわっ、降ってきた」
「ちっ、おい一先ず屋根のある場所で宿るぞ」
「は、い!」

 反射的に手を前に翳そうとした名前の手を勢いのまま握り締めると田噛は半ば引き摺るように名前の体重を持って行き走りだした、獄卒であり常に怪異を倒す事などに精進しているので身体能力は高い故転ぶ事は無かったが、行き成り引っ張られるものだから名前は少しだけバランスを崩しつつも田噛の手を握り返し彼の背中を追うように叩きつける雨の中駆け出す。
 幸いにも買い物をしていた場所が獄都商店の中心街だったため屋根がある場所は多々ある。走りながらどこか雨を凌げる場所は無いかと橙色の瞳で探していれば大きな屋根がある店を見つけそのまま滑り込むように屋根の元へ入って行った。買い物袋を地面に置き人の声を掻き消すほどの大雨を二人で見つめ、声にならぬため息をポツリと零した。

「降っちゃいましたね……」
「あー……向こうの空は晴れてるからすぐ止むだろ」

 言われて、濡れた睫に縁取られた銀鼠の瞳をぐるりと動かせば確かに灰色の雲に覆われているのはここら一帯で屋敷側の方の空は気持ちいいほどに晴れ渡っていた。灰と青が入り混じりなんとも言えぬコントラストが大きなキャンパスに描かれておりどこか神秘的に見えてほぅ、と声にもならぬ声を名前は吐き出そうとするが、その前に田噛の濡れた手が同じように水滴が流れる顔の輪郭に触れピクリと驚きとくすぐったさで肩を跳ねさせる。
 ふっと顔を向ければ雨で髪が濡れ、同じように輪郭から雨水を垂らす田噛がじっとこちらを射抜くように見つめていた、濡れていつもとは違う髪の毛先からは雫がポタリと零れ、しっとりと肌に張り付いている衣服も相まってかどこか男性らしからぬ妖艶さを秘めており名前は見惚れるようにその姿をただ、じっくりと瞳に写す。

「(綺麗、というか色っぽい……)」
「随分濡れたな、平気か?」
「え、あ、はい。ハンカチあります」
「貸せ」
「……どうぞ」

 輪郭を伝う雫を指先で掬い取った田噛は前髪を掻き揚げて気だるそうに言葉を発する。絵画とまではいかないが、女性向け雑誌に出ていてもおかしくないと思ってしまうほどの姿に見惚れていたとは言えず、田噛の問い掛けにあやふやに答え服のポケットから少し大きいサイズのハンカチを取り出し彼の手に乗せた。布を受け取った田噛はそのまま一歩名前に近付き彼らしからぬ優しい手つきで目の前の少女の顔にハンカチを押し当てそのまま水滴を拭っていく。

「ん、先輩?」
「喋んな。濡れたままじゃ風邪引くだろ」
「いやでもこの時期ですから大丈夫ですよ」
「黙って俺に拭かれろ」
「はーい……」

 自分だって濡れているのに、思わず口から零れそうになるがどこか自分の水滴を拭っている田噛の表情は柔和で楽しそうだったので何も言わずに口を紡ぐ。常にだるいやめんどい、もはやその言葉だけで形成されているように見える怠惰を具現化したような性格をしているが本当は面倒見が良いのでは無いのだろうか? 思えば既に何百年も共に過ごしているがよくよく考えればまだ田噛を含め特務室のメンバーは知らない事があるような気がする。まあ、一人の人物の全部を知るなんて事は限りなく不可能な事だ。
 
「やっぱり、仲間内でも知らないことがあるのは当然ですよね」
「何言ってんだ」
「すみません」

 かなり訝しげな目で見られたことに言葉を詰まらせ思わず苦笑を零してしまう。確かに流れていた沈黙の中で素っ頓狂な事を吐き出されても態度はああなるのは一目瞭然、今だ地面を激しく叩きつける雨で掻き消されれば良かったのに、と小さく後悔をしてしまう。
 濡れた前髪の間から商店街を見ればいつの間にか人は殆ど居なく雨の音だけが二人の鼓膜を静かに揺らし、生暖かい湿気が肌に張り付く服の上から撫で上げる。

「……止みそうにねぇな、傘買うか」
「この店の隣、ちょうど傘屋ですよ」
「……タイミング良いな」
「そういう運命だったということで」

 シャッターが閉まっている店の屋根の下、互いに後ろを振り向けばぼんやりと提灯のおぼろげな光が灰色の雲が作り上げる影の中で居様に目立っている。赤い暖簾に浮かび上がる傘のマークに茶色の瓦屋根、木戸に埋め込まれたガラスからは色とりどりの傘が立て掛けられているのが遠目からでも分かった。

「買ってくるから待ってろ」
「あ、お金」
「いらねぇ。そん変わり買った傘は俺のだからな」
「んー……良いんですか?」
「この前平腹に傘ぶっ壊されたから新しいの欲しかったんだよ」
「まじですか……。じゃあ先輩の傘に入れてください」
「……おう」

 買い物袋を名前に任せ、田噛は重たい足取りで木戸の扉を開き傘屋の中に入って行った。けれども、本当にこの店の隣に傘屋があったのは運が良いと言えば良いのだろうか、しかし商店に傘屋なんてあっただろうか? 最近はあまり商店街の方にも顔を出していないからもしかしたら新しく出来たのかも知れない、少しだけ乾き始めた衣服をぱたぱたと扇ぎどんよりとした空を、似たような色をした瞳の中に取り入れ目を細めた。

「……」
「買ってきたぞ」
「……ああ先輩、お帰りなさい」

 時間にして数分くらいだろうか、ざぁざぁと音を立て地面に水溜りを作っている雨粒たちを見ているといつの間にか肩を叩かれ隣に田噛が立っている。いつもと同じ鉄面皮で、袋には包まれていない傘を一本外に向け、そのまま開いた。普段なら一変たりとも変わらぬ普通の傘だが、見慣れないその形に名前は目を見開いた。

「先輩、これ番傘ですか?」
「あ? ……お前、蛇の目傘知らねぇのか」
「じゃのめがさ?」

 田噛が持っている持ち手を中心に、中は白く周辺は紺色が輪上に塗られており確かに言われて見れば蛇の目のような模様が施されている。様々な文化と時代が都市毎に存在するあの世の首都獄都、名前は明治大正、昭和初期時代の区域に住んでいるのだが自分が生前生まれ育った場所で身に付いた習慣や刷り込まれた平成という文化が染み付いているためか最初は見慣れない機関車やクラシックカー、持ち運び方の携帯電話に驚き戸惑っていた。最も現代もとい平成の文化も入り混じっているので全てが見慣れないもので形付けられているわけではないのだが。
 和傘は知っている、番傘なんかも先輩姉さんが良く使っているのを見たことがあるしたまに自分も使っていたりする。けれどもこのような不思議な模様をした傘は見たことが無かったため、尚且つどこか愉快な名前に名前は目を輝かせた。

「蛇の目傘……」
「(興味津々、って顔してんな……)」

 分かりやすい表情の変化を見て田噛は思わず笑いそうになったが何食わぬ顔をして買い物袋を持ち名前の方にも傘布を持って行き更に激しさを増す雨の中へ足を踏み入れた。
 ざぶざぶと雨の中を泳ぐように歩きながら、田噛は極力名前が濡れないように傘を彼女の方に傾ければそれに気付いた名前は、俯いたまま田噛の肩と自分の肩との距離を埋めるように寄り添う。紙に叩かれる和傘の元互いに口を噤んだまま歩く事に些か気まずさを感じ、先ほど目を輝かせこの傘を見つめていた名前を脳裏にかすめ田噛はそっと言葉を吐き出す。

「番傘は、シンプルで少しだけ太身な傘だ」
「え?」
「対して蛇の目傘は糸飾りとかが施されていて美しさを重視した細身な傘」
「……」
「あと蛇の目傘の一つとして、和紙と薄い絹を重ね合わせた羽二重生地っつーのを張った蛇の目傘は“羽二重”。通常の和紙よりも丈夫で長持ちして色も結構鮮やかなのが多い」
「和傘って結構種類あるんですね……」
「まあ和紙とか丈夫な丈とか使うから洋傘よりも値段は高いけどな」

 雨量が凄みを増し激しく傘布を叩きつける雨音に耳を傾けながら、田噛がすらすらと吐き出した言葉を一語一句聞き逃さずに名前は心地良さ気に目を細めて聞き入れた。ここまで詳しく説明されるとは思ってもいなかったが、名前は田噛の声が好きだから不快な気分にはならないし閉ざされていた知識の引き出しが一つ増えた。田噛は大抵のことは聞けばすぐに求めていた答えが返ってくる、頭が良いし知識の量の膨大だ。

「先輩ってある意味歩く辞書ですね」
「お前みたいに分かり易い顔で気になる気になるって言ってる奴もいるしな」
「うっ……そ、そんなに分かりやすかったですか?」
「ああ」

 意識していなかったのか。何か物珍しいものを見ると頬を誇らばせ銀鼠色の瞳を更に明るく輝かせる顔はどこかあどけなく幼さを含み愛らしい、なんてらしくもない言葉は言えずにただただ難しそうに眉を潜める名前を視界に写し彼女にバレない程度に口角を吊り上げた。歩く辞書なんかではない、ただ、きっと多分人よりも物覚えが良かったりその単語や文に含まれた意味の奥底を理解するのが得意という事だけなのかもしれない。それと、こうして分かりやすくも本能に思わず忠実になってしまうほど物事に興味を示してくる名前が、自分が述べた物事の意味で顔を綻ばせたり不思議そうに小首を傾げたり、ころころと転がるように表情を無意識に変えていくのを見たいがために知識を蓄えているのも、その一つに入るかも知れない。
 
「じゃあ先輩、これは知っていますか?」
「……んだよ」

 蛇の目模様の傘が揺ら揺ら雨の中を漂うに揺れ、叩きつける雨音の中で囁くように吐き出された名前の言葉は、どこか鈴が鳴るような美しい声に聞こえ田噛は一瞬だけ時の流れを忘れかけた。少しだけ見上げる形でこちらを向く彼女は、いつもと変わらぬ笑顔を浮かべている。

「人の声が最も綺麗に聞こえるのは、こういう雨の日なんですよ。……声が雨粒にして反射して傘の中で共鳴するんです。特に雨量が多くこうして囁くように喋る時が最も美しいとも言われているみたいで……」
「……ってえと、相合傘っつーのは互いにとって一番良い声を聞き合っているのか」
「そうなりますね。……だから今の田噛先輩の声も美しいのでしょうか?」
「……さあな。俺は名前の声は好きだから、更に良さが分かったような気がするけどな」

 先ほどよりも意識してなのか、どこか低く囁くような声色で言葉を紡いでいく田噛の言葉は傘の中でゆっくりと共鳴し名前の鼓膜を揺らした。思っても見なかったことを吐き出されて、自惚れないように雨の音に紛れて聞こえないフリでもしてしまおうかとも思ったけれどいつの間にかぴったりくっ付く肩の真意を探るように買い物袋を握っていた手に力を入れた。

「……そ、相思相愛ですね?」
「意味わからねぇよ」
「自分も、田噛先輩の声好きですから」
「……」
「仲間内で知らないことがあるんです。知ろうとするために、……ずるくなったり弱くなったりするのは仕方ないですよね?」
「そうだな。……月が綺麗だな、とでも言ってやろうか?」
「じゃあ、死んでも良いわ。とだけ返しておきます」

 互いに顔は見ず、囁くような会話をすることでどこか酷く心地良い感覚を得ている。ぱたぱたと布傘に触れる雨音も、時折視界に写す紺色の蛇の目も、骨ばった手が握る持ち手部分も、全てが雨が作り上げた幻影のように儚げで美しく全身に溶け込んでいく。
 心理を探るように交わす言葉の合間から気持ちを、少しだけ自惚れを入れ、掬い上げればいつの間にか一つの意味に辿り着いた。

「……寒くねぇか」
「先輩が居ますから、平気です」
「……ん。今度の雨の日も、これ使って出掛けるぞ」
「はい」

 傘の下で吐き出された言葉は、普段の声色よりもより美しく双方の鼓膜を揺るがし雨音にゆっくりと消え失せていった。

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蛇の目傘を使う田噛が書きたかったんです。どうせなら和服にでもしようかなと思ったのですが入れるタイミングを失い仕方なく服の描写は諦めました。
というかほのぼの友情系にしようかと思ってたのに相思相愛になってた。
番傘は男性が使うことが多く蛇の目傘は女性が多いらしいです、あくまでもらしい、です。番傘を使う女性も蛇の目傘を使う男性もたくさん居るとのこと。