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短編
咎めまみれのインマヌエル
 今日やらなければならないお祈りの仕度も終わりナマエは大広間に備え付けられている古びたソファに一人座り、分厚く小さな聖書を膝の上に乗せ読み耽っていた。肩上で綺麗に切り揃えられた撫子の髪を一房耳に掛け髪と同じ色の瞳の中に活字を映し出し、人へ差し伸べる手を捧げた包帯に包まれた左手でページを摘み、読み終えるたびにゆっくりと捲くっていく。
 静寂だけが包む部屋の隅で小さく響くページを捲くる音だけが木魂す。ナマエはこの時間が嫌いではなかった。一人で居る時間よりも修道院の屋根の下で共に暮らす仲間との時間が多い故に、こうして一人で読書に集中する時間も必要だと思っているから。

「……」

 聖書を読む時間は余計な考えは捨てられ、本の世界に入り込める。丁寧に並ぶ文字を撫子色で追いかけ、それに合わせページを捲る。時折体制を変えながらも、一度本を手に取ってしまえば最後まで読んでしまうのが彼女の悪い癖でもあるのは、自分でも知っているが改善の余地は見せない。好きなものは最後まで、楽しみたい。
 ふわりと意識が本の世界へ入り込む、羅列した文字、白と黒で形成された薄い紙、息をすることも忘れている少女の姿が大広間に入ってきたヤロクの瞳孔に映る。珍しい、どこから出たのかも分からないため息を一つ吐き出しソファへとゆっくり近づく。

「ナマエ」
「……ん?」
「随分と間の抜けた聲だ……」
「あ、す、すみませんわたしとした事が」

 普段から彼女は癖なのか、誰かと会話をするときは必ず敬語を忘れずにいる。それがどんな相手だろうと同じだ、この時も、きっとすぐに本から目を離し「なんでしょう」と聞かれるかと思ったのに予想外の気の抜けた、素の名前が一瞬だけ見えた気がしてヤロクは目を見開いた。思わず指摘すれば彼女はハッと驚いた表情を見せすぐにいつも見せている笑顔を向けて小首を傾げる。
 特に用事があるわけでも無い、けれど一人で読書をしていた名前が目に入り思わず声を掛けてしまったのだ。

「聖書か……」
「ええ。すべてを読み終えていなかったので読んでしまおうかと思いまして」
「……」
「如何かなさったのですか?」
「いや、なんでもない」
「おかしなヤロク」

 くすりとナマエが笑えばヤロクは少しだけ不服そうに眉間に皺を寄せたが、何事も無かったかのように首に掛かったロザリオに触れ、ナマエの隣に身を沈める。二人分の重みが乗ったソファがぎしりと音をたて、そのままゆっくりとナマエの肩に凭れ掛かった。ヤロクは院に居る子ども達の中でも身長が高い方だ、肩の高さも違うしヤロクがさらに寄り掛かるとちょうど彼の耳が柔らかいナマエの髪の毛に触れ感じたくすぐったさに身を捩る。

「……」
「あの、ヤロク?」
「読まないのか」
「何を?」
「聖書」

 この状況で読むというのは中々に難しい問題だと思うけれど、ヤロクは俄然動く気配が見当たらない。寄りかかられて嫌な気はしないし、時折こうした触れ合いは行う、けれど、ヤロク自らがこうして触れ合いを図ろうとするのは中々に珍しいことだ。と、言いつつもナマエも女の子である為年が近いヤロク達よりか幾分年下である月白と白磁との触れ合いの方が多いのだけれども。

「……」

 ちらりとヤロクの方を見たが、やはり動く気配は無い。まあ別に読まれて困る者ではない、そのまま聖書に目を写し数行読み進めていると、大人しく凭れ掛かっていたヤロクがもぞりと動く。思わず本のページの上に手を置き、彼の方を向ければ彼は無意識なのか意図的なのか、ナマエの髪に唇を寄せ、独り言のように小さく言葉を零した。

「静かだな」
「そうですね。そういえば他の方々は如何なさっているのですか?」
「アドムとラバンは散歩、カホルは知らん。ツァホヴはどうせ庭の花に水でもやっているのだろう」
「あヽ、だからですか」
「……落ち着かないな」
「ふふ」

 広い空間に、二人だけ。どこか寂しさが残るようなそうでもないような、不思議な感じ。互いに饒舌ではないためでもあるが、嫌な静寂では無い。ゆっくりと柔らかく仄かに香る自分とは違う匂いを感じながらヤロクは目を閉じる。
 これだけで、隣に居る温度と空気を感じるだけで心地が良かった。なぜだろう、分からない、理解しがたい感情なのに嫌悪なんて感じられないことにも不思議で溜まらない。けれど、今はそんな事を考えたくないくらいこの時間が愛おしく惜しい。

「ナマエ」
「はい」
「……なんでもない」

 分からない、分からなくても良い。未成熟だからこそ恩恵を受けるものもある。いつだって彼らは子どものままで、天主様の子どもなのだ、だからこそ一番大事なものを捧げこうして生きているのだ、想うは天主様のみ。だけど、ほんの、本当に少しだけ、ナマエにだけは、特別な情が芽生えていることを彼は知っているだろうか。

「……『神はいつだってわれらとともに』」
「……インマヌエルか」
「はい。何か様子が変だったので」

 一人でお悩みにならないように。と空いた手を浮かせヤロクの切り揃えられた髪を優しく撫で付ける。彼女の手首に巻き付いているロザリオが小さく音を立て揺れ、感じたくすぐったさに思わず身を捩りふっと息を吐いた。

「私は普通だ」
「ヤロク」
「なんだ」
「ちゃんと、傍に居ますからね」

 読みかけの聖書をぱたんと閉じて、ふわりと微笑んだナマエと、優しい手つきにヤロクは思わず惚けてる。別格特別なことではない、一緒に暮らし食事も共にしているからこそ生まれる家族愛なようなものから生まれているのかもしれないのに、なぜかその言葉が別の意味のように聞こえたのは気のせいだろうか。
 身体がじんわりと熱を帯び始め、それと同時に顔の色も変わっているような気がしてならない。否、なっているに決まっている。謎の羞恥心に包まれ頭に乗せられていた手を解く。

「……言わずとも分かっている」
「言葉にしなければならない時もありますからね」
「ナマエ、」
「はい」
「破ったら許さないからな」
「……その時は針千本飲みますかね」

 聖書の背表紙を指先で撫でながら、二人は顔を見合わせずくすりくすりと笑いあった。天主様が我らの全て、だが、ほんの少しだけ、君が居てくれると嬉しい。

題名:scald様
ヤロクの口調掴みを……。
インマヌエル旧聖書に出てくる登場人物。同時にインマヌ(われらとともにいる) エル(神)という単語を組み合わせているそうです。

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