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その銃口が向かう先


※過去捏造注意

 痛い、痛い悲しい。苦しくて、何度も水の中をもがく様に手を伸ばし、苦しさから逃れようと必死に足掻いていた。死にたくても死ねなくて、頭の中ぐるぐるになって肺からたくさんの水をごぼごぼ注いでは吐き出して、死にたいなぁと感じた所でいつも意識が途切れていた。
 逃れない悪夢のせいで身を蝕んでいたのに、待ち焦がれ過ぎて持っていた記憶がぽっかりと消えてしまう位の驚きが、私の前に来て、ついにとうとう、待ち望んでいた人が戻って来た。

「さ、えき! さえきくん!」
「……久しぶりだね、名前」

 遠い昔、親が厳しく桎梏された私の元に遊びに来てくれていたさえきくん、幼い私が抱いた恋心。幽閉に近い環境で、唯一光が射しこんでいた窓から顔を出して笑顔を向けてお話をしてくれたさえきくん。
 淡く揺らいだ恋心を秘めたまま私達は大人になっていき、ある日彼が言ったのだ。

「人を撃つのが怖いんだ」

 戦争に駆り出される、彼は苦渋に満ちた、泣きそうな顔で言ったのだ。嗚呼、外に出られず太陽の光の下ではそんな事が起きていたのか。両親に見放されさえきくんのお話で外の事を知っていた私は目の前が真っ暗になった。
 その時はなんと言ったら良いのか分からなくて、ただただ彼の瞳を見つめる事しか出来なかった。そこから先は、酷く客観的に覚えている。
 ぷっつりと彼が来なくなったのだ。遠い地に出向いた彼のことだ、帰りが遅くなったのだろうと思っていたのだが来る日も来る日も、待ち望んでいた唯一の希望は来なかった。

「死んだらしい。敵を撃って殺めたから、極楽浄土には逝けないわね」
「仕方が無い。それが戦争だ」

 数十年ぶりに見た両親の顔には年相応の皺が刻み込まれ、声もしゃがれている。けれどそんな事よりも何よりも衝撃だったのが、人を撃つのが怖いと言っていた彼が人を撃った事に。優しい人で、聡明で、毎日毎日体調が悪い日でも来てくれて、優しく接してくれたさえきくんが人を殺めた。
 それがなぜか、私の中で何よりもショックすぎて、分からなくて、彼が死んだという事実も受け入れて、受け入れたのかな? 私は。
ああ、ここで記憶が途切れている、なんでだろう。どうして私は、あの時の大きさのままで変わらないのかな。
 そして、毎日毎日寝るたびにあの地獄のような苦しみだけが襲う夢を見るようになった。駄目だ、泣いたら、みっともないのに、けれどずぅっと待っていたさえきくんが、今目の前に居て。
 それを考えるだけで目の前が滲んで、

「ふっ、く……」
「ほら、泣かないで名前」

 私の目から止め処なく零れる涙を、さえきくんは青白く細長い指で掬い取った。あの頃の記憶に残るさえきくんとは、どこか違う気がするけれども私にとってはさえきくんはさえきくんだから、見慣れない軍服を纏っていても、瞳の色が吸い込まれそうな綺麗な水色になっていても、変わらないんだ。
 男の子にしては妙に細い腰に腕を回して、ぎゅうぎゅうと彼の胸元に顔を埋めて馬鹿みたいに泣き喚く。さえきくん、さえきくん、私の大好きで、大切で、何にも変えがたいほど大好きなさえきくん。

「死んだって聞いたとき、凄く吃驚したんだよ……! けど無事だったんだね!」
「……名前は、あの頃から変わらないね。ああでも、ちょっと大人っぽくなったかな?」
「さえきくんは優しいからさ、人を撃つなんて絶対に有り得ないと想っていたんだけど、嘘だよね?」
「名前……苦しかったよね」
「さえきくん?」

 なんだろう、どこか可笑しい。回した腕に力を幾ら力を込めても、さえきくんの腕が私の背中に回される事も無いし、私の問い掛けに答えることもなくさえきくんの目にはどこか憂いや哀れみが込められている。
 あれ、なんで? 今目の前に大好きで会いたかった人が居るのに、今の私の身体は夢の中で味わった呼吸が出来ずにひたすらもがく、水中の中に身を落とされたようなあの苦しみのようなものがじわりじわりと染み込んで行く。

「名前、」
「やだ、やだよ……さえきくん」

 そんな目で見ないで、苦しいよ、痛いよ。苦しい、寒い。やだ、やめて。光の無い哀れみだけが宿った瞳は遥か昔から知っていて、お父さんやお母さんの顔が脳内を過ぎっては消えていく。
 そんな目で見ないでよ、人を撃つのが怖いと言うほど臆病でいつも会いに来てくれていた優しいさえきくんでしょ?

「両親を殺め、自ら命を絶った罪は、重いんだ。……ごめんね」
「え……」

 ああ、

「わ、たしは……」

 そうだ……。私は、

「だ、だって……あいつ等が、あいつ等が……」

 前々から思っていたのよ、あの子身体が弱いくせに毎日毎日ここに来て貴女に余計な知識を与えてばかりいたから、大金をはたいて徴兵させた甲斐があったわ。

「さえきくんは、弱くなんか……」

 あの戦争のせいで身体が更に弱くなって疫病に掛かってしまうとは、難儀ね。

「さえきくんは、なんでっ……分からないよ……!」
「名前、ごめんね」

 偶然聞いてしまった両親の言葉、その言葉を聞いた途端に振り切ることが出来なかった殺意だけが身体を蝕み私は寝ている両親を殺めた。さえきくんは戦争で、命を落としてしまった、それは不運なことだと割り切っていたのに、わざとそうなるように仕組んだ両親が憎くて憎くて憎くて憎くてどうしようもないほど腹が立って、その感情だけが私を動かしているのだ。

 人を殺めた私は、きっと極楽浄土にはいけないだろう、だからきっと彼の元に逝けると思った真冬の凍りつくような冷たさの湖に飛び込んで……。

「君がずっと見ていた夢は生前の死因、死んだ後極楽浄土にも地獄にも逝けずに数百年もこの地で彷徨っていた君を見つめるのは大変だったんだよ」
「さまよっていた、って……私は生きてるよ? ちゃんと、ここにいるよ」

 だからそんな冷たい目で見ないで。あいつらと同じ目を向けないで。目の前が暗く歪み電流が身体の中を駆け巡り私は、彼の背中に回していた腕に力を、込める。

「ずっと待たせてゴメンね。ちゃんと解放してあげるから、罪を償って幸せになって」
「なんで……、私は、やっとさえきくんと会えたから……二人で幸せに……」
「俺は君と一緒に居る事は出来ないんだ。けど、せめて俺の手で解放してあげたいと思って頼んだんだ。ごめん、ごめんね名前」

 子どもが出来ない両親が、私を拾ってくれたけど、その後直ぐに両親には子どもが出来て私は要らない子になった。自暴自棄になり毎日死にたいとぼやいていた私に差し込んだ一本の光だった貴方が、なんで怖いと言っていたはずのソレを私に向けようとしているの?

「言っている意味が分からないよ。なんで、ねえどうしてそれを向けるの……!?」
「境遇も境遇だ。きっとそれなりに対処はされるよ」
「さえきくん!」
「……愛していたよ。名前」

 人を撃つのが怖いと言っていたあの頃の彼とは違い、凛とした表情。
切なげに告げられた言葉の意味を理解する前に鉄で出来た空洞の穴から出てきたものが、私の身体を貫くまであと、数秒。

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