雨上がりと、
霧が立ち込める森でも、雨が降り雪が降る。
季節感なんてものは分からないけど、今が梅雨、という事は私には分かる。
「……梅雨って嫌だなぁ……」
「え? どうしてだい?」
私が窓を見つめながら呟くと、ご機嫌気味に天秤を磨いている審判小僧が聞き返してきた。
「だって梅雨ってことは雨が降るでしょ? 雨は服が濡れるし、レインコートを着ていても濡れるところは濡れちゃうんだもん……湿気で髪の毛凄いことになるし……」
私の心を見透かしているようだし。私は声に出さずに、心の中で呟いた。
「ここではそんなもの必要ないだろう?」
「こっちではね、だけどあっちでは必要なの。降るときはザーッて一気に降るときもあるんだよ?」
「ふぅん……」
あっちの世界では楽しいことなんて何もなかった気がする、否、それは多分私が経験した楽しい思い出が少なすぎて思い出せないだけかも知れない。
重たいため息を零して、シトシト降る雨を見つめる。
「……リヴはさ」
「うん?」
ポツリと、審判小僧が何かを呟いた。私は後ろを振り向いて彼に顔を向ける。
「雨は、嫌いかい?」
「うーん……嫌いって程ではないけど、苦手かなぁ……」
「そっか」
「審判小僧は、好きなの?」
「僕はよく分からないや」
「何それ」
思わず笑みを浮かべる。
「……」
「……ほら、」
審判小僧が、ふと口を紡いだ。
私は小首を傾げながら彼を見つめる、すると彼は思い立ったように、私の隣に座り込んだ。
「リヴ」
「ん?」
「……人間も、人外も、動物もさ、悲しいときや苦しいときに涙を流すだろう?」
「……うん」
「だけど、いつまでも泣いていたら前に進めない、嫌でも泣き止むしかないんだ」
「……うん」
「泣き止んで、涙を止めて前に進む。そしてまた色々な体験をしていく。涙が止んだ後はきっと楽しいことがあるはずだ」
「……」
彼が言いたい事がよく分からない。だけど私は、黙って彼の言葉に身を委ねる。
「だけど、泣き続けて、自ら命を落とす人もいるけどね」
「……そうだね、どうして泣き止まないの?」
「……それは、きっとこうして傍にいてくれる人が近くに、周りにいないからだ。……誰かがいるだけで、気持ちは和らぐ」
「……」
「人も泣き止むんだ、雨も止むよ。そして楽しいことがある!」
「人が泣き止んで楽しいことがあるのは分かるけど、雨が止んでも楽しいことはないよ?」
怪訝そうな顔をして呟くと、彼は立ち上がってカーテンを閉めた。部屋が、彼の顔が少しだけ暗くなった。
「外に行こうか、リヴ」
審判小僧が私の手を取って立ち上がらせる、私は。
「でも、外は雨が降っているよ?」
「いいからいいから」
グイッと引っ張られて、私と審判小僧は部屋を出る。
ひんやりとした空気が肌を包み込む。ここはいつもそうだ。
ただひたすら廊下を歩いて行く、冷たい空気が私の頬を包む。
だけど彼がしっかり握っている手だけは暖かかった。
「リヴ」
「?」
もうすぐ外へ出る、不意に審判小僧に声をかけられて、私は声を出さず顔を上げる。
「人が泣いたあとは、その想いの分だけ楽しいことがある、空だってきっとそうだ、……………………この虹みたいに、ね?」
「……ぅ、わあ……!」
審判小僧が扉を開いた瞬間、雨は止んでいて、代わりにとても大きな虹が空に架かっていた。
森の木々に水滴がつき、それが太陽の光に反射してキラキラと光っている。
「凄い、綺麗……」
思わず笑顔が出た。
こんなにくっきりはっきりした虹なんて見たことがなかったから、感動が大きかった。
「ね?」
「……ん、そだね」
審判小僧が、私に綺麗な笑顔を向けてきたので、私も同じような笑顔で笑い返した。
「僕さ、思うんだ」
「なに?」
「雨って、きっと他人の心を見透かしてるときがあるんじゃないか、ってさ」
「……何を根拠に?」
「リヴ、……部屋にいたとき泣きそうだったろう?」
「!」
「僕には分かるよ、審判小僧だからね。きっとこの雨は、リヴの心を見て代わりに泣いてくれたんじゃないかな?」
「……ふふっ、可愛い考え方だね」
「褒めているのかい? それは……」
ムッとした表情になる審判小僧。それがとても可愛くて、私は手をギュッと握る。
「本当に、楽しいことがあったね。私、泣いてもないのに」
「泣いていなくても、楽しい事はいくらでもあるさ。僕が作ってあげる」
「ぁ……うん」
いきなりの審判小僧の発言に思わず顔に熱がこもるのが分かる。
それは多分、他の誰かじゃなくて、審判小僧だからこそ熱がこもるのだろう。
「さて、少し冷えてきたし食堂へ行ってシェフに温かいスープでも作って貰おうか!」
「うん、そうだね」
握られたままの手を、確認するかのように強く握り締める。
ジャランとラブの天秤が揺れる。
中に入ろうと扉のドアノブに手を伸ばすと、ふわりとその上から審判小僧の手が重なる。
「……?」
「ねえ、リヴ」
「どうしたの?」
「……泣きたくなったら、いつでも僕のところに来てね? 僕でよければ、いつでも胸貸してあげるから……君限定でね」
「……っ!」
チュ、と額に柔らかい熱を感じたがすぐにそれは離れた。
私の気持ちを彼はきっと知っているはずなのに……少しだけ彼は意地悪だと思う。
だけど、そんな事を言われて嬉しくないと思う女の子はいないと思う。
私は俯いたままドアノブから手を離して、彼の服の裾をキュッと握る。
「……ありがと」
「うん」
消え入りそうな声で呟いたにも関わらず、私の声はきちんと彼の耳に届いていた。
辛い気持ちが一気に吹き飛んでしまった、彼の存在と、私の代わりに泣いてくれた雨の後の虹の存在で。