境界線
「うう寒い……」
季節は冬、窓の外には白い雪がチラついているのが分かる。
冬服に衣替えしたのは良いけど、やっぱり寒いものは寒いです。
両肩を抱いて廊下を浮きながら進んでいると、暗闇の奥に黄色いなにかが視界に入ってきた。
「……タクシーさん?」
「ん? ああ、こんにちはお嬢ちゃん。ここは外よりかは温かいけど、やっぱり冷えるね」
「そうですね。……それより、どうしてホテル内に? タバコの匂いでシェフに追い掛け回されますよ」
「ついさっき追い掛けられたよ。なんとか逃げてきたけどね」
「あ、そうだったんですか」
「いやあ外は冷えるし、客も来なさそうだからここで暖を取っていたんだ」
「あまり変わらなくないですか?」
「まあ、細かいことは言っちゃダメだよ」
タバコの火を揉み消して、タクシーさんは困ったように苦笑を見せる。
吐く吐息が真っ白くて、余計寒さを際立たせている。
「食堂行きます? シェフに温かいモノ作ってもらいましょうよ」
「いやいやいや、お嬢ちゃん俺に死ねって言っているのかい?」
「あはそうでした。私の部屋来ます? 暖房ついてますよ」
「……それはお誘いかい?」
私の言葉を変な方向に理解したタクシーさんはにやりといやらしく笑った。
いやいやいや、おかしいだろ。
「襲われたら生き血を全て吸いますから」
とりあえず満面の笑みで言葉を放っておいた。
タクシーさんは両手を小さくあげて困ったような笑顔を浮かべる。
「こりゃ参った。……でも、ここにいても寒いからお邪魔させて貰おうかな」
「じゃあ行きましょう」
#
「はあ……暖かいな」
「やっぱり部屋が一番ですよね」
タクシーさんに暖かいお茶を差し出して、私は変わらずに輸血パックに口をつける。
部屋は暖房がついているので凄い暖かい、はああああ……極楽だ。
「こんなに暖かいと、部屋から出たくなくなるよ」
「私もです、朝布団から出たくなかったです」
「ははは、冬の間はお嬢ちゃんの部屋に泊まらせて貰おうかなあ」
「そ、それは困りますね」
「即答かい。まあ良いけどね」
「それに多分タクシーさんの身が持ちませんよ」
輸血パックが半分くらいなったときに、ポツリと言葉を漏らすとタクシーさんは小首を傾げた。
「どういう事だい? それって夜がはげし」
「寝起きは大体血が足りなくて貧血気味なので、他人が寝ていたら見境無く血を吸っちゃうんで。酷い場合は瀕死状態にさせることもあるらしいですしね」
後半の言葉はあえて何も触れないぞ。
「……そ、そっか。で、でもお嬢ちゃんは半吸血鬼だから平気だろ?」
「まあ、そうですね……限界までいったことないんで分からないですけど」
「吸血鬼って大変だよね……」
しみじみとお茶を啜りながらタクシーさんは言った。
限界突破。行ってみたいと思った事はあるけど誰かを殺してしまうかも知れないから絶対に出来ないけど……そういえば、お父さんは一回だけなったことがあるって言っていたなぁ……今度話を聞いてみよう。
少しの沈黙がある中、不意にタクシーさんが静かに口を開いた。
「……人間と吸血鬼って、お互いを理解するのにはとてつもなく長い境界線があるよね」
「……?」
「特に半端な君なんかは、どうだい?」
お茶の残りを飲み干して、タクシーさんはカップを置きながら私に問いかける。
飲みかけている輸血パックが小さく形を歪ませる。
「……人間でもあり、吸血鬼でもある。だけど、私は殆ど吸血鬼寄りですけどね?」
「人間寄りの吸血鬼もいるのか?」
「いるんじゃないですか? 能力は使えないけど血は吸える。私は能力も一部使えて血も吸える……私なんかは多分七割くらい吸血鬼の血だと思いますけどね」
黒い髪に、人間ではありえない赤色の瞳。明らかに常人ではないことくらい理解していた、だから向こうの世界が嫌で退屈で窮屈で気がついたらここに迷い込んでいたんだ。
「人間になりたいと思わなかった?」
「……人間って、なにも出来ないし毎日まいにち同じことばっかり繰り返してるから嫌です。……でも吸血鬼は人間と関わることは難しいし、ずっと生きていかなければならないからそれも嫌です」
「じゃあ、お嬢ちゃんは境界線の真上に立っているんだね」
「……どっちにも入れないと?」
「そういうことだ」
「でもそっちの方がいいです。両方のものを持っていることで得することもあります』
「どっちかでも、得することはいっぱいあると思うよ?」
「私は、両方がいいです」
「意外に欲張りだね、お嬢ちゃん」
「見かけで判断してはいけませんよ?」
悪戯っぽく笑うと、タクシーさんもあどけない笑いを返す。
たまに見せるタクシーさんのあどけない笑顔は反則だ、心臓に悪いわ。
「だけど、お嬢ちゃん自身もこの世界では境界線に立っているよね」
「……ん?」
「向こうに戻ることも出来るし、ここに残ることも選べる。まあ戻るとしたら結構努力しなきゃいけないけど」
「ぁー…ですね」
まあそうだなぁ、行こうと思えば頑張って行けるしこのまま頑張らなければ私はこの世界に留まるんだよなあ……。
ボーイと、ガールはもとの世界に帰るべく日々奮闘してるけど。
「私は、……別に帰らなくても構いませんけどね」
「……まあ、なんとなく分かるけどね」
「多分合ってますよ」
吸血鬼と人間の混血なんて忌み嫌われるに決まっている。頑張って人間になろうと努力していたけど、やっぱり半端モノの私は力を抑えることが出来ないときも多々あって、それからみんなの目が凄い怖かった。
「(今思えばいやな思い出ばっかり……)」
「大丈夫? お嬢ちゃん」
俯いたまま色々な思考を巡らされていると、タクシーさんが顔を覗きこんで来た。
黒に近い青っぽい瞳と目が合う、……男の人の二重ってあまりうけないと思うけど、タクシーさんは見事に整ってるよなぁ……。
「……んー……」
「……?」
なんだ、タクシーさんが凄い見つめてくるんだけど。
徐々に顔に熱がたまってくるのが分かる、やばい、赤くないかな。
「……お嬢ちゃんの瞳って、綺麗だよねぇ」
「は?」
すっとんきょうな声を上げてしまったじゃないか。
いきなりどうしたんだ。私の表情でなにを言いたいのか理解したのか、タクシーさんは私の目を見つめたまま言葉を紡ぐ。
「いやあよくよく見てみると凄い綺麗な赤? 緋色? だなぁって思って……暗いところで見ると血の色みたいな色だけど明るいところで見ると澄んだ色だよね。二つの色を楽しめる」
「血、血……!?」
「あれ、そこに反応する?」
変なところに反応したらしい私を、タクシーさんはクスクス笑いながら見る。
「なんでこっちは隠しちゃってるの? もったいないなあ」
タクシーさんの指が右側の包帯に触れる、そこだけなんか熱いな。
「こっちの目は普通の目と違うんです」
「?」
「左目は普通の人間の目、右目は……吸血鬼の目です」
私がそういうと、タクシーさんはピクリと眉を動かした。
「普通の目と違うってことかい? 目まで境界線に立ってるんだね」
「右目は瞳孔がないうえにとてつもない視力を持ってるんです」
後ろで結んでいる包帯の結び目を解いて私は隠していた右目を晒す。……あー凄い変な感じだ、左目よりも右目の方が何倍も良いから頭がくらくらする。
「……へえ、充血しているみたいな赤だと思ったら、本当に文字通り真っ赤だね」
「頭がくらくらします……」
「あはは、わざわざありがと。包帯結んであげるよ」
「ありがとーございます」
他人に包帯を結んでもらうことなんて無いから心配だったけど、タクシーさんは器用なのか丁寧に結んでくれた。
包帯がないと落ち着かないんだよなー……あ、でも眼帯とかでもいいんじゃないかな? 今度つけてみよう。
「さて、そろそろ仕事に戻るか。お嬢ちゃんはどうする?」
「私は食堂へ行こうかなー……。そろそろご飯の時間ですし」
「そうだね、じゃあ途中まで一緒に行こうか」
「匂い消す香水かけましょうか? シェフうろついていたら私まで危険な目に遭いますし」
「俺のためじゃないんだね……」
「えへへ」
「でも、まあお願いしようかな……」
「はいは〜い」
机の上に置いてあるガラス瓶に手を伸ばしてタクシーさんの体に数回振り掛ける、……うん、良い匂いだ。
「さ、行きましょう!」
「そうだね、あ。そうだリヴちゃん」
「ぇ?」
扉を開けて廊下へ出ようとした瞬間に、タクシーさんに名前を呼ばれた、振り向いたと同時に私の香水の匂いが鼻についた。
「境界線、越えてみようか?」
「……はい?」
「君と僕の間にある境界線。恋愛の」
「……はああああああああ!?」
抱き締められていることに理解した後に急なタクシーさんの告白に頭が回らない。額をコツンと合わせられてニコニコと笑顔を向けられる、いやいやいや私の頭の中ショート寸前なんですけど!?
「な、なにを仰ってるんですか……!?」
「まあ簡単に言うとリヴちゃんが好きってことだね。ちょっとクサく言ってみたけど、ストレートの方が良いかい?」
「い、いやいやいやいや……ええええええ?」
一体なんなんだ、思考がぐるぐると混乱してきた……。
ギュッと抱き締められているため逃げること出来ない、いや力出せば逃げられるけどタクシーさん吹っ飛んじゃう。
「……で? 返事は?」
少しだけ不安そうな表情になってしまったタクシーさん、ああその顔、反則だよ。
「……え、と……」
タクシーさんの香りと、香水の香りが混ざって私の思考は刺激される。
震える唇を動かして私は声を絞り出した。
「私も、好きです。線、越えましょう?」