「それじゃ……サヨナラ……!」
彼がそう言った瞬間ゼクロムが眩い光を放射して、それに耐え切れず腕で顔を覆い目を閉じてしまった。
閉じた瞼に映る眩しさが半減され、ゆっくりと瞳を開ける。
そこにはもう、誰も、いなかった。
彼のゼクロムがここに来たときに大きく壊された壁。そこから彼は再びゼクロムのボールを投げて空中に出したのだ。
主人を待つために空中に大きな翼を広げてゆっくりと浮遊するゼクロム。空気がピリピリと張り詰めた。
そして、彼は言ったのだ、「僕がどうすべきかは僕自身が決めることさ」と。
慌てて大きく壊された壁へ駆け寄る。
そこから顔を覗かせると、高い場所特有に見られる白い靄が自分より下に見えた。
チャンピオンロードを登りに登りつめ、更に四天王の部屋を登り、そして隠されていた彼の大きな城を登っていったのだ。ここは相当高い場所にあるのだろう。
もしかしたらこんなところから彼は飛び降りてしまったのだろうか。いや、それはない。ゼクロムを出したのだから、きっとそれに乗っていったのだ。
そうは分かっていても不安や戸惑いが湧き上がり背中に冷や汗を掻く。
「僕がどうすべきかは僕自身が決めること」と言った彼の真意はなんだろう。彼は一体これからどうしようとしているのか。
そんなこと、いくら考えても分からなかった。
このことだけではない。俺は最後まで彼のことが分からなかった。全く理解してやれなかった。
しかし、ただ一つ言えることは、俺は彼を助け出したかった。自分のこの手で。
「…クソ…ッ!」
誰もいなくなった彼の城で、俺の声は虚しく消えていった。
「…うーん…見たことないなぁ…」
「そっか、ありがと」
これで何都市目だろうか。
イッシュ、ホウエン、シンオウ、ジョウトと各地方の都市を全て回った。
彼の部屋にあった写真。それは幼い頃のものだが、特徴のある淡い緑色の髪、そして同じく緑色の瞳が今の彼と変わらず面影を残しているので彼を探すのにちょうどいいと持ち出してきたものだ。
写真の彼はゾロアというポケモンを大事そうに抱えて戸惑いがちに微笑んでいた。それを見て、なぜか胸が締め付けられた。
ジョウト地方もこれで全て回り終えた。ここにも彼はいなかった。彼はどこへ行ってしまったのだろうか。再び考えたくもないことが頭を過ぎる。焦る気持ちは日を追うごとに増すばかりであった。
「あっ、あの!」
「なに?」
「カントーに行ってみたらどうですか?」
「カントー?」
「うん、ここから近いんですよ。あそこの川をずっと渡って行けばすぐにカントーに着きます」
ワカバタウンと看板に書かれた小さな町で出会った独特の前髪が印象に残る多分自分よりいくつか年下であろう少年が指を差したのは小さな川。
ポケギアと呼ばれるライブキャスターのようなものに入っている地図を見せてもらえば、カントー地方はもう目と鼻の先にあるという。地図上の距離からして恐らくそこまで遠くはないだろう。
「…でもなんでカントー?」
「え?えへへ、なんかその人を見たら思い出しちゃった人がいて」
「へぇ…どんな人?」
「グリーンさんっていうジムリーダーで、すごく強くてかっこよくて、それでいて優しい人なんです」
少年はキラキラと輝く瞳を俺に向けて話してきた。
グリーンという名前からして、さっき見せた写真の彼の髪の色が緑色だったから思い浮かんだんだろう。
しかし、そのグリーンという人がどういう人か、なんて正直俺にはどうでもいいことだった。しかし、聞かずにはいられなかったのだ。もしかしたら彼の痕跡を辿ることの出来る貴重な情報かもしれないから。
「…好きなの?そのグリーンって人のこと」
「え?い、いや!僕はそんな!それにグリーンさんはきっと、レッドさんが…」
少年が顔を真っ赤にして話していると、少年の背後から少女の声が聞こえた。
そちらに目を向けると白い大きなキャスケットを被った少女と赤い髪の毛の少年がが立っており、俺を見てペコリと会釈した。
「あ、すみません、僕もう行かないと…」
「ん、ありがとな。えーと…」
「ヒビキです」
「ヒビキ、サンキュ。今度会った時はバトルでもしような」
「はい、待ってますね」
にこっと可愛らしい笑みを浮かべて少年―ヒビキは二人のほうへ走り去っていった。
ヒビキに教わったとおりカントーへ行ってみたが、やはり彼の消息は掴めなかった。
しかし、カントーへ来てから何度も「グリーン」という人の名前を耳にした。
人を捕まえ、いつも通り彼の写真を見せて情報を収集していると、「何年か前のグリーンくんを思い出すわ」と何回も言われたのだ。
そして街の人々の情報によって分かってきた「グリーン」という人の人物像。明るい茶色の髪はツンツンに立てていて、綺麗な緑色の瞳を持ち、とても整った顔をしているらしい。それでいて今はとても人柄がよく、誰に対しても優しい人だと聞いた。
なぜ彼を探しているのに「グリーン」という人がこんなにも気になるのだろう。きっと、瞳の色が同じだからだ。
緑という色は人の心を穏やかで優しい気持ちにさせてくれる色だ。そんな優しい瞳にもう一度、見つめられたい、そう思ってしまったからだ。
でも、俺が探している相手は決して「グリーン」という人じゃない。俺が探しているのは、
「レッド!」
不意に後ろから肩を掴まれた。
掴んだ手からは僅かに振動が伝わり、後ろにいる人が震えていることが分かる。
しかし、自分はレッドじゃない。しかし、肩を掴まれた上に聞き覚えのある名前に無視をすることなど出来なかった。
「……はい?」
後ろを振り向きながら肩を掴んでいる腕を逆に掴み返せば、切羽詰ったような硬い表情をした相手が立っていた。
そして、俺はひと目で分かってしまったのだ、この人が「グリーン」だと。
ポケモンセンターから漏れる灯りしか照らすものはなかったが、明るい茶色のツンツンした髪型、これでもかというくらい整った顔、そして綺麗な緑色の瞳。間違いない、この人が「グリーン」だ。
俺が食い入るように見つめているのに気付いたのか、「グリーン」は先程までの硬い表情を崩し、眉を下げて申し訳無さそうな顔で見つめてきた。
「あ…悪い、人違いだった」
その表情が一瞬、今にも泣きそうに歪んだ。綺麗な緑色はぐらぐらと揺れ、少し潤んだ瞳に自分が映し出された。
緑色は穏やかで優しい気持ちになれる色。その緑色が悲しげに揺らぎ、曇る。
そんな悲しい顔しないでよ。そんな悲しい目で俺を見ないでよ。また、助けられなかったこと、後悔してしまうだろ。
「…助けられなくて、ごめんね…」
そう、呟くと目の前にいる彼の瞳が驚いたように大きく見開かれた。
腕を掴んだ手に力が入る。掴まれた白い腕は俺の指がギリギリと食い込み、悲鳴を上げるように微かに震え出す。
白い腕から相手の顔へ、目線を移すと再び緑色の瞳と視線がぶつかり、絡み合った。
「…探したんだよ」
ぐらぐら、ぐらぐらと揺れる緑色の瞳。
不安の色を隠せていないその瞳は今、俺だけを映し出している。そのことが嬉しかった。
もっとずっと、俺だけを見て。俺だけを、その優しい、優しすぎる瞳で見つめて。
きみのまぼろしが、笑った
(その笑顔は最後に見た表情と)
(一緒だった、)
優しく口付けて抱き締める。
彼に口付けたことも、抱き締めたこともないけれど、きっと彼の唇はこんなに柔らかくて、きっと彼の身体はこんなにか細いのだろう。
そう、思い込んだ。