とても静かな夜だった。
先程まであった風はぴたりと止んでしまったようだ。そのおかげかどうかは分からないが、空には雲一つない星空が広がっており、キラキラと瞬いていた。
ようやく雑務を全てこなし終え、ジムから外へ出ると肌寒い空気が頬を包み込む。咲き出す息が微かに白くなっていた。
冬を間近に控えた空は実に綺麗だ。昼間は夏に比べて雲が近く、なんだか世界が狭くなってしまったような気もしなくはないが、その代わり夜はピジョットにでも乗って空へ羽ばたいて手を伸ばせば星が手の内に収まってしまうのではないかという錯覚さえ起こしてしまうほど近くで綺麗に光り輝いた。
今夜は特に星が綺麗に見える。1番道路の方角で一際キラリと輝くあの星はシリウスだろうか。
しかし、いくらトキワシティが緑の多い街として有名でも、決して小さな街ではない。それによって、やはり店やら民家やらの明かりがぼんやりと空まで届いていた。
もう少し、街の灯りが届かない暗い所があれば、もっと綺麗に星を見れるのに。

(…そうだ、グレン島だ!)

思いついた場所は数年前に火山の噴火によって人が住めない街になってしまった島。
自分が旅をしていた頃には研究所やポケモン屋敷、勿論グレンジムなどもあった、ポケモントレーナーにとっては一度は訪れる場所だ。
しかし、今では研究所もジムもなく、ただポケモンセンターがあるだけの所謂休憩のための場所と化してしまい、人はあまり寄り付かなくなった。
だが、世の中いつ何が起こるか分からない、それを思い知らされ、俺はよくナーバスになりながらジムを抜け出してグレン島へ通っていた。
確か、あそこは外灯なんかもない。ポケモンセンターがある場所はさすがに明るいが、反対側へ行けば何もないはずだ。きっとあそこなら星が綺麗によく見える。



グレン島へ着いてポケモンセンターとは逆方向の浜辺に降り立つ。思ったとおり、辺りは外灯一つ無い暗い景色だった。

「やっぱりグレン島はいいな、ピジョット」

ここまで乗せてきてくれたピジョットの胸元の毛を撫でてやると、ピジョットは瞳を細めてくるると鳴いた。
それにしても、何もないせいかトキワでは感じることのなかった海風がぴゅうぴゅうと吹き荒れ、冷たい風が肌に突き刺さる。
自分の少し眺めの前髪は風のせいで後ろへ靡いてしまい、同じようにピジョットの毛も靡きなんだか寒そうに見えたので「乗せてくれてありがとな」と礼を行ってモンスターボールの中へ入れてやった。

「…綺麗、だな…」

一人でグレン島にいるのは慣れていたはずだった。
しかし普段来ない夜に来たせいか、いつも以上に気持ちが揺らぎ不安定になる。暗闇に支配された身体は、心までも真っ暗闇に包まれぐらぐらと揺れる。
ふと、海のほうを見た。遠くにあるマサラタウン。お世辞でも大きな町ですねとは言えないマサラは、グレン島からは真っ暗に程近い程度の灯りしか見えなかった。

「……まだ、帰ってこない気かよ…」

無意識のうちに強く握られた拳から爪が食い込みじわじわと痛みがやってくるが、そんな痛みなど、無に等しかった。
俺が、何年も抱えてきた痛みに比べたら、そんなもの痒くもなんともない。

まさに砂を噛む思いでグレン島の浜辺を歩く。
数年前に来たときはここは綺麗な砂が撒かれていた浜辺だったが、火山噴火の影響で今となっては歩きづらい砂利道のようにになってしまっていた。
それでもよかった。いや、それがよかった。ぐちゃぐちゃに絡まった困惑の糸を解くことの出来ない今の自分には綺麗でサラサラな浜辺より、ゴツゴツとした砂利道のほうが合っている。そんな気がしたのだ。



「くしゅん」と一つくしゃみが出た。
海風に長くあたりすぎたのだろうか。やはりぐちゃぐちゃに絡まった頭で考えるも何故だか今夜は何も考えられなかった。
腰のモンスターボールがガタガタと揺れる。何事かと確認すればピジョットが心配そうに俺を見ていた。

「わかったわかった、もう帰ろうな」

いつの間にここまで歩いてきたのだろうか、ポケモンセンターの灯りが見える。反対側の海岸からぐるりと回って来たんだ、身体が冷えるのも当たり前だ。
半ば自分自身に呆れてモンスターボールに手を伸ばす。しかし、その手は腰のモンスターボールに触る前に止まってしまった。
宙に浮いた手が震える。閉ざすことを忘れてしまった口に海風が入り込みからからに渇いて仕方が無い。そんな口から搾り出すように声を出せば、掠れた小さい声が耳に届いた。自分の声なのに、自分以外の奴が発した声かのように聞こえる。今、この空間だけ、おかしなものが取り込まれ、止まっているように感じた。

「……レッド…?」

いるはずないいるはずない。
何年も帰ってこなくて、死亡説や幽霊説まで流れた彼がまさかこんなところに。
そう頭で何度も自分自身に言い聞かせても身体は言うことを聞かず、ふらふらと彼に近付く。
そして、帽子を被る彼の肩に手を置いた。

「レッド!」
「……はい?」

しかし、振り返った相手は自分の思い描いていた彼とは全くの別人だった。
そうだ、アイツがこんなところにいるはずがないじゃないか。グレン島にいたならば、とっくに見つけているはずだ。
目の前にいる相手をよく見れば、帽子こそ似ているが、外はねの茶色の髪や、服装、バック、きりっとした大きい瞳、と探している彼とは違う所だらけだ。
考えすぎて幻覚でも見てしまったのか。それほどまでに幼馴染である彼のことを考えていた自分が恥ずかしくなる。

不意に肩に置いていた手を掴まれたので相手を見つめれば、不機嫌な表情の中にある瞳と目が合った。
自分だってナーバスになっている中後ろから見知らぬ奴に肩を掴まれ、その上違う名前を呼ばれたら不愉快極まりないなろう。

「あ…悪い、人違いだった」
「………ね…」
「え?」
「…探したんだよ」
「は?何言って…っ!」

慌てて謝ろうと思えば、掴まれていた腕を急に強い力で引っ張られ、訳の分からない事を言われた。
コイツも俺と同じで人違いをしているのだろうか。それともどうかしちまったのだろうか。
とにかく弁解をすべく唇を開けば、それは簡単に相手によって塞がれてしまった。




名前のない盗賊
(盗まれてしまったのは)
(きっと、一つじゃない)





そのままそいつに抱き締められ、耳元で「会いたかった、ずっと」と何度も囁かれた。
人違いなのは分かりきっているのに、彼の腕を解くことの出来ない俺は、どうにかしてしまったのだろうか。




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