目の前に見える背中に乗り、眩しい程に白く輝く羽毛に手を添えればバサリと大きく羽を広げて飛び立った。ふわりと身体が宙に浮く不安定な浮遊感にももう大分前に慣れてしまった。元々風を切るのは好きだったし、空高くから見下ろす街並みも好きになった。
薄々は感づいてはいたのだが、やはり自分は人に目下に思われるのはどうも好きになれないらしい。聞こえは悪いが見下ろす方が何倍も好きだ。まぁ、見下されるのが好きな人間なんて一握りくらいしかいないのだろうけれど。
カントー出身の彼から貰ったポケギアは、自分の地方に浸透しているライブキャスターとはまた別の便利さがある。その一つとしてラジオが聞けるということだ。ジョウトにラジオ塔という有名で一種の観光地にもなる建物があるらしく、そこから発信されているらしい。
レシラムの背中にバックを置き、ブルーのポケギアを出しながら放送局を探す。たまたまキャッチしたラジオは音楽番組であった。

『次のリクエストはエンジュシティに住む…』

ポケギアを白い羽に預け見上げた空は真っ赤だった。シロガネ山に沈んでいく大きな夕日はカントー地方を赤く染める。カントーは本当に綺麗な地方だと改めて感じた。
カントーへ引っ越してきてから何度そのようなことを思ったのだろう。空を飛んで見る景色、遠くからでも見える高く聳えるシロガネ山、見渡せばすぐに目に飛び込んでくる緑、澄んだ青空。どれを見てもとても綺麗で輝かしいものだった。まるで自分の住む世界に初めて色を着けられたかのように新鮮な光景、景色が生まれ変わったかのような感覚さえしたものだ。
今までの世界は俗に言うモノクロのような世界だったと言えよう。しかし、よく言われるその表現ですらしっくりとこないのは、俺自身のその世界が、世界という一つの大きな目の前に広がるものを透明なフィルムを挟んで見ていたからかもしれない。俺の世界はいつも人の手で作り上げたジオラマを見えない境界線の外から見ていたようなもので、モノクロのその世界はとても遠く、そして手の届かないどこか幻想的なものに見えていた。
謂わば、自分の世界が自分のものでないような、そんな不思議な感覚を背負って生きてきたようなものだった。
そんな俺の世界を変えてくれたのが彼だった。彼は、グリーンさんは俺の世界に色を着けてくれた。そして、透明なフィルムを取り払ってくれた。手を伸ばせば触れられるその明るい世界は、俺にはひどく新奇なものに見えた。

愛してる、愛してる。ラジオから誰かがリクエストしたらしいラブソングが流れる。まるで今の自分と彼の事を歌っているようなその曲は心にじんわりとした甘い感覚を響かせる。今家に向かって帰っているというのに、すぐに帰りたくて仕方なかった。早く帰って今すぐに彼の顔が見たい。
漸く緑が多くなり、トキワシティへ近付いているということを間接的に知らせてくる。もう少し、もう少しだ。
全国ポケモン協会とやらに呼び出され、今日は俺のほうが家を留守にした。折角、グリーンさんのジムが休みだというのにとんだ邪魔が入ったものだ。
どこか焦っている俺を感じ取ったのか、レシラムが少し速度を速めた。未だ仄かに明るいが、赤の色に少し深みのある青みがかかってきたのは、シロガネ山に沈む夕日があと僅かしか原型を残していないからだろう。すぐに話は済むと言っていたのに、だらだらと長話をされて今日という貴重な時間を取らせた協会には後日文句でも言ってやろうか。
そんな事を頭の片隅で考えながら見えた先は見慣れた屋根だった。急いで羽に埋もれているポケギアのラジオのボタンを切ってバックの中に乱雑に突っ込む。アパートの裏側にある空いたスペースにレシラムがゆっくりと降下する際に香ったいい匂いは夕飯のものだろう。

「ありがとな、レシラム」

腕を伸ばし撫でてやったもう何年も経つ間柄のパートナーは低く鳴いてモンスターボールの中に入っていった。
今すぐにでも階段を駆け上がりドアを家の中へ入って彼に会いたいというのに、その気持ちとは反対にわざらしくと音を鳴らして階段をゆっくりと上る。こうすれば、彼が足音に気付いて玄関まで出迎えてくれるからだ。
きっと彼はこのドアの向こう側にいてくれるだろう。そして、優しい笑顔を浮かべていつものように言ってくれるのだ。

「おかえり、トウヤ」

思った通り、捻る前に内側から開けられたドアの向こうにいた君の笑顔は、俺の世界の中で一番明るく鮮やかに色付く一つの大きな太陽のようだった。




彼の、聞き慣れた声、ぼくを呼ぶ声
(笑顔も涙も全部抱き締めてあげる)
(だからずっと俺のことを呼んで)





「ねぇ、グリーンさん」
「ん?」
「愛してるよ」

だから俺も君の名前を呼ぼう。
そして、よく聞くありふれたものだけど、ちゃんと真っ直ぐ俺自身の言葉で、聞き慣れた俺の声で言おう。

「…いきなりなんだよ、バーカ」
「顔、赤いよ?」
「こ、これは晩飯作ってて暑かったから!」

君に届いたかな、俺の気持ち。




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