「ねぇ、一緒に暮らさない?」

数日前、そう言われたのが事の全てのきっかけだった。



「ありがとうございました」

ブロロロ…とトラック2台、薄っすらと煙を吐いて走っていった。車のエンジン音が遠く離れてから下げていた頭をゆっくり上げるとトラックは既に見えなくなっていた。
暫しの間、道路に立って見えなくなったはずのトラックをボーッと眺めていると二階のベランダから声が降ってきた。

「グリーンさん、いつまで立ってんの?」

その声の源を見上げると、ベランダの柵に頬杖をついてこちらを見下ろしてくる人物がいた。朝早いからか、いつも外跳ねの髪が更にピョンピョンと跳ねてしまっていて、綺麗な茶色の瞳も眠たそうに寝ぼけ眼だ。その証拠に今も欠伸を噛み殺している。
こんなに朝が弱くて旅に出ていた時は一体どうしていたのだろうか。でも、一応イッシュ地方のチャンピオンの座にまでなった男だ、きっとやる気を出せば朝だってシャキッと出来るんだろう。チャンピオンに勝ったくせにその座を降りたとか、どこか自分の幼馴染に似ている男は、何も言わない俺に少し不機嫌そうな口調で「ねぇ、聞いてる?」と口を開いた。
笑いながら適当に返事をして、彼が見下ろしていた反対側へ移動し階段を上る。きっと今頃、彼はダンボールだらけの部屋で少しだるそうに張ってあるガムテープを引っぺがしているだろう。

俺は今日、引越しをした。
といっても実家のあるマサラタウンの隣の街、トキワシティにだが。
こうなった経緯は、話すととても長くなるが、まぁ、簡潔にいうと、家を出て同棲をするために引越しをしたのだ。
相手は先程も言ったイッシュのチャンピオンの座になった、ちょうど去年の今頃こちらへ旅に来た一個下の男である。旅先で出会った俺と恋に落ちてカントーに住むことになった、なんてどこかありきたりな展開に陥ったのだ。
なぜカントーかというと、勿論俺の仕事はここトキワジムのジムリーダーなわけであって。そのジムリーダーが恋人と同棲をするから辞めますなんて、そんなの許されるはずもないし、第一俺も相手もそんなことは望んでいなかった。そんなわけで必然的にカントーに住むことになり、どうせならジムのあるトキワに、と二人でアパートを借りたのだ。

茶色のドアを開けると廊下までダンボールで埋め尽くされていた。この全く減っていないダンボールの数、どうやら彼は俺が引越し屋を見送っている時も作業を進めていなかったようだ。

「トウヤ、お前何してたんだよ、ったく」
「んー…だって眠いし」
「俺だって眠いっつーの」
「それに、」
「なんだよ」
「グリーンさんのこと、見てたら仕事出来なかった」

上から見ても可愛かったよ、なんて小さく首を傾げながらにこりと笑う。ああ、もう、だからこいつには敵わない。
僅かに赤らんでしまった頬を隠すようにふいっと顔を逸らせばクスクスと笑う声が耳に入る。やっぱりコイツ、わざとあんなこといいやがったな。
耳に入る楽しそうに笑う声。早く仕事しろ!なんて言ってやろうと赤く染まった頬に気遣うことなく勢いよく振り向けば、ダンボール箱の上に座りながら己の膝に肘をついて楽しそうにこちらを向いて笑ってるトウヤの姿が目に入った。その顔にときめいて、何も言えないなんて。ホントに惚れた弱みというものは怖いものだ。


「あー、疲れた」
「お前何もしてねーだろ」

部屋のダンボールが全て片付くころにはすっかり太陽は暗闇に呑み込まれてしまっていた。それでもまだまだ片付けなきゃいけないところは山程あるわけで。しかし、もういい時間であるし腹も減ったしということで、とりあえず夕飯を食べることになった。だが、まだまだ整理しきれないこの部屋では料理をするどころか食べることも出来ない。

「何か食べにいく?」
「おう、そうだな。気晴らしがてらタマムシまで行くか」

そう提案すればトウヤはこくりと頷きながら帽子を深く被った。そんな仕草がやっぱり幼馴染に少し似ていて思わず笑みを零してしまう。その理由を彼にいったら必ず不機嫌になってしまうので言わないけれど。
二人して玄関へ向かう。並んだ靴を二人で履く。同じドアを二人で潜り、同じ鍵で閉める。こんな日常的なことも、二人だとなんだか違う。嬉しくて、胸がきゅんとして、それでいてむず痒い。その気持ちがなんなのか、そんなの分かり切っていることだから、敢えて言葉にはしないでおこう。
戸締りをもう一度確認してから階段へ向かえば、既に下に下りたトウヤが「早くー」と俺を急かした。笑いながら返事をして階段を下りる。少し小走りで相手の元まで駆け寄ると、さりげなく出された手に俺の右手が攫われていった。それは決して温かくはなかったけど、身体は火照ってしまうくらい熱くなった。ああ、トキワの空は、今夜も綺麗だ。




温かくてなんだか安心して愛しくて
(俺らの二回目の恋愛は)
(今日、始まった)





- ナノ -