「…グリーン先輩、まだ?」
「まだだって。だから先帰っていいっつったろ?」

そういってグリーン先輩は一瞬俺に向いた瞳を再び机の上に乗る紙に戻してしまった。下を向いたがために彼の前髪が邪魔をし、少しだけ顔が隠れてしまった。
面白く無い。本当に面白く無い。前髪で顔が隠れてしまったことも、ずっと紙と睨めっこをしていることも、俺を放っておいて仕事ばかりしていることも。
生徒会長席に腰をかけ、ボールペンを器用にくるくる回す先輩を横目にソファーにボスンと音を立てて座った。
思わす溜息を吐いてしまう。だって、今彼がやっている仕事は、体育祭の借り物競争で使う借りてくる物を考え紙に書くという、本来ならば体育祭実行委員がやる仕事だからだ。今年の実行委員の一部はいまいち不真面目らしい。そのせいで彼がここ、生徒会室に縛り付けられているのだから不愉快極まりない。
そんな心の声が表情に出てしまったのか、俺のほうをちらりと見たグリーン先輩は困ったように笑いながら、「体育祭実行委員も忙しいんだよ」なんてフォローの言葉を述べた。あぁ、本当に面白く無いものだ。
再び俺から紙へと視線を向けた先輩。不満が顔から溢れ出し口をへの字に曲げるも、そんなことをしても彼の仕事が終わるはずもなく、時間だけが刻々と時を刻んでいった。
徐にソファーから立ち上がり先輩の後ろ、窓まで向かい、ガラス越しにグラウンドを見下ろした。確かに、そこには数人の体育祭実行委員と思われる生徒が、体育祭で使うであろうテントの鉄パイプやカラーコーン、その他にも競技で使う様々なアイテムを忙しなく運んでいた。どうやら先輩の言っていたことは強ち間違ってなかったらしい。まぁ、頑張っているのは一部の人にすぎないのだけれど。

「ねぇ、まだ?」
「…お前なぁ…、何で俺を待ってんだよ。お前は別に体育祭実行委員でも生徒会役員でもねぇんだから帰っていいんだぜ?」

窓ガラスに背を預けながら問えば、生徒会長席に備えてある少しだけ高級感溢れる古い椅子がくるりと回転し、呆れた顔の先輩が小さく首を傾げた。
体育祭実行委員でも、生徒会役員でも無い俺がなぜここにいるのか、ということは言わずとも分かるようなことで。しかし、当の本人は全く気付いていないのだから、どうしようもない。
俺が先輩に惚れた初めの頃は、幼馴染であり生徒会役員のチェレンにくっついてここに出入りしていたのが、最近はチェレンがいなくても勝手に出入りしていた。寧ろ、悪いが幼馴染の彼がいないときを狙ってくるくらいだ。

(何で気付かないのかなぁ…)

ここまでくると笑いがきてしまう。だってそうだろう、鈍感な彼でさえも、いや、そんな彼だからこそ好きになったのだ。
クスクスと零れる笑い声に不思議そうに再び小首を傾げる彼。もう全てが愛おしくて堪らない。あぁ、早く、俺のものになって。早く、この腕の中に飛び込んできて。
彼を捕まえようと無意識に宙に浮いてしまった手の行き場がなく、それを誤魔化すために慌てて彼の机の上に散乱する紙に手を伸ばした。B5の用紙を二つ折りにし、それを更に一回りほど小さくした紙には、彼とは違う、少し乱雑な字で文字が書かれていた。

「……何、これ」
「ん?あー、それ、体育祭実行委員が前に作ったやつ。それだけじゃ足りねぇから俺が今やってんの」

先輩が苦笑いしながら答える理由も分からなくはない。俺の手の内にある紙には殴り書きのような字で「好きな人」と書かれてあったのだから。つまり、借り物競争ではなく借り者競争を行えと、どこかの少女マンガなどにありそうなロマンチックな演出をこの紙が生み出しているということだ。
グリーン先輩は眉を下げへらへらと笑いながら「折角作ってくれたけど、それはダメだよなー、やっぱり」などと呟いている。俺の手にある紙を取ろうと伸びてきた細く白い手を避けるように紙を持った手を高くひょいっと上げてやる。高い位置になる手を椅子から見上げるために必然的にいつもより上目遣いで見つめながらきょとんとする表情がなんとも愛くるしい。吸い込まれるくらい透き通った純粋な瞳。それを見て、思わず意地悪をしたくなってしまった。

「これ、捨てちゃうの?」
「…さすがにこれはまずいだろ」
「んー、そう?」
「だって借りれない場合もあるだろ?」
「俺だったらちゃんと迎えに行くけどな。グリーン先輩借りに」

俺の言葉を聞いたグリーン先輩が鳩が豆鉄砲をくらったかのようなぽかんとした表情に変わる。この人は表情をころころとよく変えるから面白いな、なんて思っていると、徐々に頬を赤くしていくグリーン先輩が消え入りそうなくらい小さな声で「…え?」と呟いた。
ニヤリと笑って「なんてね」と暈すような言葉を身を屈め耳元で言ってから手に握られた紙をグリーン先輩に手渡し、ソファーに置き去りになっていた鞄を持って足早に生徒会室を後にする。
どうか、この赤くなってしまった頬を、先輩に見られていませんように、何て考えながら歩いた廊下は夕日いっぱいに照らされて驚くほどに綺麗なオレンジ色に染められていた。




実はめっちゃ好きですと茶化して言ってしまおうか
(本気で言うのには、)
(まだ、勇気が足りないだなんて、)





人気のない静かな廊下に生徒会室から響く、ガタガタッという慌てふためいたような音に、思わず吹き出してしまうそんな放課後。
勇気を持って茶化さず先輩に愛を囁くのは、案外近い日なのかもしれない。




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