くたくたになって洞窟を抜けると、目に見えるのは綺麗に澄んだ青い空。
…ではなく、厚い雲が覆ったどんよりとした空だった。
しかし、この空気はどんよりとした重たい空のせいだけではなさそうだ。街の醸し出す雰囲気は暗く、道行く人を見ると皆が皆俯きどこか悲しそうな表情をしていた。
後ろからついて来たピカチュウもこの異様な雰囲気に気がついたのか、ひょいっと僕の肩に乗って首筋に擦り寄ってきた。
明らかに脅えているようなその仕草を珍しく思いながら、小さい頭を優しく撫でてやる。「ちゃあー…」と小さく声を上げながら目を細めるピカチュウ。どうやら少しは安心したようだ。

どんよりとした空を再び仰ぐと、視界に高い建物が入ってきた。
“タウン”と称されるあまり大きくない街に建つこの建物はあまりにも目立ちすぎた。
ゆっくりとそこに足を進めると次第に肩に感じるピカチュウの震え。そして、看板に書かれた“ポケモンタワー”の文字。なるほど、そういうわけか。

「お兄ちゃん」

ポケモンタワーを見上げていると、下方から遠慮がちに腕を引っ張られる。ちらりとそちらの方を見れば、自分よりも幼い女の子が僕を見上げていた。
「なに?」、出来るだけ優しく聞いてやれば女の子の黒い瞳が微かにくらりと揺れた。それに合わせて揺れた瞳と同じく真っ黒で二つに結われた髪の毛。その時、僕は嫌な予感がした。

「お兄ちゃんは、幽霊って信じてる?」

大きく見開かれた瞳。それは一見キラキラと輝いているようにも見えた。しかし、その瞳は僕の瞳を捕らえることはなかったのだ。どこか違うところを見つめながらそんなことを問う少女。そんな少女の目の高さに合わせる様に少し屈んで両手を両膝に置きながら少女の顔を覗き込んだ。

「僕は信じないよ」

先程のように出来るだけ優しく、そしてゆっくりと答えてやる。すると、漸く少女は僕の方をゆらりと瞳を揺らして見やり、そして微笑んだ。

「そうよね、お兄ちゃんの肩に白い手が置いてあるのなんて見間違いよね」

僕とピカチュウがその場で固まったのは、言うまでもない。



その日はシオンタウンのポケモンセンターに泊めてもらった。眠りに落ちる直前までぶるぶると震えて僕から1ミリたりとも離れようとしなかったピカチュウは今日も今日とて僕の肩に噛り付いて離れようとしないみたいだ。
昨日ポケモンセンターの前にいる人に「ロケット団がカラカラの頭の骨を売り捌いている」との情報を聞いた。それをポケモンセンターのベッドの中で一晩考えたらありついた結果がこれだ。

(きっとこの雰囲気はポケモンタワーの…)

相変わらず「ちゃあーちゃあー…」とか細く鳴きながら震えているピカチュウの頭を安心させるべく優しく撫でた。僕が一緒だから大丈夫だよ。だから君も一緒に幽霊の正体を突き止めよう。


ポケモンタワーの中に入れば、また雰囲気が一変した。どんよりとした外の空気よりももっとこう、寒気のする、ぞわぞわとした感じ。何か見えない浮遊物が背後をスッと横切る感覚。これは本当に幽霊ではないか、なんて考えが頭を過ぎる。僕が内心怖がっているのを敏感に感じとったのか、ピカチュウは脅えて震え、もう鳴くこともしなくなっていた。
「大丈夫、大丈夫」と呟きながら頭を撫でてやるが、もうそんな誤魔化しは効かないようだ。それほどまでに、この場は不気味な雰囲気に包まれていた。

震えるピカチュウを肩から下ろし、抱き締めるように抱いてやる。そのまま足を奥に進めると、見覚えのある後姿が目に入った。
明るい茶色のツンツン頭に、細い身体が際立つ黒いシャツ。そう、見間違えるはずはない彼の背中だった。

「よお、レッド」

誰もいない室内にコツコツと響いた足音に気付いたグリーンは勢い良く僕の方を向いた。
その向いた瞬間の表情は今にも泣きそうな、悲しそうな、そんな表情に見えた。その綺麗な緑色の瞳は少しだけ、潤んでいたようにも僕には見えた。

「お前のポケモン死んだのか?」

ポケットに手を突っ込みながらこの場の雰囲気に不釣合いなからかうようなニヤニヤとした笑みを浮かべ僕に近づいてきたグリーンは、僕のことを下から掬うように見つめた後、腰に付けた5つのモンスターボールを見て「アホか!生きてるじゃん」と再び冗談混じりに言った。
でもその表情はどうしても本心からくるもののように見えなくて。彼はこう見えて繊細な心の持ち主だから、きっとまた何か心の内に隠しているのだろう。
僕の脳裏に子供の頃の記憶が過ぎる。マサラタウンの子供の遊び場である空き地にいる彼。そんな彼の後ろ姿はとても小さく、そして震えていて。心配して後ろから声をかけると、腕でごしごしと顔を擦ってから僕のほうを振り向き、「よお、レッド!お前いつも暇そうにしてんな」なんて言いながら赤い目元を誤魔化すようにくしゃりと笑った。あぁ、そうだ。あの日はおじさんとおばさんが…。
昔からそのように強がりで、人に弱さを見せなかったグリーン。でも、その姿が逆に痛々しく、僕の心を締め付けた。

「グリーン、」

僕が名前を呼ぶと、グリーンはびくりと肩を揺らした。
大方僕の言おうとしていることの予想が付いたのだろうか。グリーンは一歩、また一歩と近付いた距離を再び引き離すかのように後ろに後ずさった。
言うな、言わないでくれ、これ以上俺の素顔を見透かしたような目で見るな。
そう言わんとばかりに少し潤み、ぐらぐらと揺れる瞳が僕を見る。
ごめんね、だけど僕はこれ以上君が仮面を被り続けるのを見たくはないんだ。

「ねぇ、グリーン」
「…っ!し、死んでないんならせめて戦闘不能にしてやるよ!行け!ピジョン!」

あぁ、どうして君は、そんなに無理をするの。



「カメール…!」

倒れこんだ最後の一匹のカメールに近付くグリーンは、しゃがみこんで瀕死の状態になったカメールを抱き上げるとそのままぎゅっと強く抱き締めた。

「やりやがったな、レッド!折角手加減してやったのに!」

僕を見上げてキッと睨み付けるグリーン。
そうだ、それでいいんだよグリーン。もっともっと、感情を隠さずに露にして。そして、怒りだけじゃなく、悲しみや涙まで全部僕に見せて。
自然と見下ろす視線を向ける僕に気付いたグリーンはパッと立ち上がった。ギリッと歯を噛み締めて僕を見つめてから倒れたカメールをモンスターボールに戻す。そして早口で捲くし立てた。

「レッドのくせになかなかやるじゃねーか。まぁ俺様が手加減してやったからだけどな!」
「グリーン」
「…っと、俺はもう行くぜ。こんなところでうかうかしてらんねーんだ。あ、ここへはたまたま来ただけだからな!だから俺には関係ないんだ!」
「グリーン、僕の話聞い…」
「じゃあな、レッド!またどこかで会ったらバトルしてやるよ!」
「グリーン!」

少し大きな声を出してグリーンの名前を呼びながら、今にも出口に向かって走り出そうとする彼の腕を掴めば、ビクッと面白い程に身体が震えて固まった。
普段あまり大声は出さない僕が突然出したから驚いたのか怯えたのか分からないが、びくびくと身体を微かに震わせるグリーンに些か罪悪感が募る。
違う、違うんだ。僕は君を驚かせたいわけでも怖がらせたいわけでもないんだよ。ただ、君に、

「グリーン、あのさ…」
「……レッド、」

漸く口を開いたと思ったら、今度はグリーンが口を挟む。
震わせていた身体に力を入れ、僕を見つめる。その潤みながらも凛とした瞳に僕は黙り込んだ。いや、黙らされたと言ったほうがいいかもしれない。それほどまでに、グリーンの瞳は強いもので、僕はこれ以上彼に何かを言ってはいけない気がしたんだ。



「じゃあな、バイビー」なんて彼独特の別れ台詞を投げ捨てながら僕の横を通り過ぎグリーンは階段を下りていった。反対に、残された僕は妙な喪失感と悲哀感に見舞われ、暫くその場からピクリとも動けなかった。
不意に肩に乗っていたピカチュウがまた「ちゃあー…」とか細く鳴いて僕の頬を舐めた。「どうしたの?バトルが終わってまた怖くなっちゃった?」そう、問いかけてやるもピカチュウは何度も鳴きながら賢明に僕の頬を舐める。ピカチュウが舐め取れなかったモノは、僕の顎を伝ってポケモンタワーの冷たいタイルの床に落ちていった。




巧妙に隠された気持ち
(ねぇ、君はいつになったら、)
(僕に全てを曝け出してくれるの?)





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