カントーの空は今日も広く、青かった。
自分の住んでいた地方よりもここの空が広く感じるのは、この地の長閑さのせいであろうか。カントーはとても長閑で、大きくて、温かい。自分の暮らしていた地方を色で例えるとしたら様々な色が交わってごちゃごちゃした印象を受けるが、ここを色で例えるとしたら、真っ白。何人も受け入れ、何色にも染まる、白。その人の色を引き立てる、白。
イッシュもとてもいいところだ。都会と田舎が上手く融合しており、科学と自然が隣合せで生きているとても発展した地方。カントーからすれば所謂近未来的地方ともいえるだろう。
しかし、イッシュ出身の人間がこんなことをいうのはおかしいのかもしれないが、自分にとってはカントー地方のほうがどこか懐かしく居心地のいいものになっていた。それは、イッシュの中でも何もない田舎町である故郷、カノコタウンのせいか、それとも、
(グリーンさん遅いなぁ…)
高く広い青空を窓越しに見つめながら小さく溜息を吐いた。
今日は早くジムを閉めてくるから良い子で待っててな、なんて子供を宥めるように言い、ポンポンと俺の頭を優しく撫でてから出ていった彼のことを思い出す。彼は自分よりも年上なせいか、事あるごとに俺を子供扱いする。言い方がやけに子供騙しであったり、頭を撫でたり、可愛いと言ったりと優しい彼のことだからそれは無意識なのかもしれないが、俺はどうも気に入らなかった。だってそうだろう、好きな人に可愛いなんて言われても嬉しくはないし、子供扱いをされるのはごめんだ。
第一、彼は無防備すぎる。自分はいくつか年下でこそあるが、立派な男なのだ。それなのに、子供扱いされている俺は用心されることもなく、無防備な痴態を平気で露にされるのだ。後ろからぎゅっと抱き着いてきたり、風呂上りに裸同然で出てきたり、共に一つのベッドに寄り添って眠ることも数え切れないくらいあった。それだというのに彼は全く俺を警戒せず、まるで全てを曝け出すかのように安心しきった言動を見せる。
正直、ムラムラという擬音よりはイライラのほうが近かった。勿論彼自身にしているのではない。彼のその無防備さと意識の無さに、俺は毎回唇を静かに噛み締めているのだ。
「ただいまー」
扉を開く重たい音が廊下に鳴り響き、同時に彼の声が飛び込んできた。今日はなんだか機嫌が良さそうだ、声色がいつもよりも弾んで聞こえる。いや、彼が不機嫌な顔をして帰ってきたことは今まで一度もないのだけれど。
続いて開かれたリビングの扉。やはり今日の彼は機嫌が良いみたいだ。ニコニコと可愛らしい笑みを浮かべてリビングに入ってくる。手にはいつものバックの他に小さな紙袋が握られていた。
「おかえり、グリーンさん」
「ん、ただいま、トウヤ」
座っていたソファーから腰を上げ彼のほうを向いて両手を広げれば、足早に近付いてその中に入り込み強く抱き着いてくる。あぁ、幸せだ。彼は俺を子供扱いこそするもののこうやって自分の腕の中に飛び込んできてくれる。その行為が彼にとっては、俺が抱き締めてと言って両手を広げる子供のように見え、彼がそれを抱擁しているような錯覚を起こしても、だ。
そもそも全部が彼の錯覚なのだ。彼が俺を抱き締めるのも、俺が子供のように見えるのも、俺の奥底にある男という性の問題が見えないのも全部彼の思い込みである。所詮、傍から見れば、彼の想像をしていることは全て真逆にしか見えないのだから。
「何、その紙袋」
「あ、気になるか?」
彼を抱き締めながら彼の背後の床に置かれた紙袋を見つめて言えば、彼は再び上機嫌にニコニコと笑いながら問いかけてきた。彼が今日機嫌がいいのはどうやらこの紙袋が原因らしい。
彼を慕うトレーナーから貰ったものであったならば俺としては気分が悪くなるものだが、マメで律儀な性格の彼は他人からはプレゼントなどを受け取らない主義なのでそれはないだろう。では、この中身は何か。
短く返事をしながら頷くと彼は俺の腕の中から抜け出し、紙袋の中をあさりだした。ガサガサと髪が擦れる音が室内に響く。
そして、紙袋から出てきた黒いものに俺は目を疑うことになる。
「ジャーン!お前に似合うと思ってさ!」
「……何、それ」
「猫耳!ほら、もうすぐハロウィンだろ?だからお前はこれ付けてさ、ハロウィンパーティーしようぜ!」
絶句。最早呆れて溜息すらも出なかった。
未だ目の前には上機嫌にニコニコと笑いながら「どう?」なんて小首を傾げている彼。そして、黙っている俺に向けてそれを差し出してきた。
世の中に猫耳を付けて喜んでいる彼氏がどこにいるというのだろう。もし、実際いたとしても俺は勘弁してほしいというところだ。どう考えたってこれを付けるべきなのは彼ではないか。だって彼は色んな意味で猫なのだから。
とはいうものの、どうしても俺に付けて欲しいようで期待に目を輝かせている彼を落胆させるようなことはしたくない。
(…もう、どうして俺が…)
やっと口から漏れた深い溜息と共に握らされた黒い耳を生やしたカチューシャ。それをじっと見つめながらあることを思い付く。
そうか、いいことを思い付いた。猫は猫でも、俺はただの猫じゃないということを思い知らせてやろう。
「おーやっぱ似合うじゃん!」
ぴょんぴょんと跳ねる茶色の髪に生えたように装着された黒い猫耳。それを見て嬉しそうに拍手なんかしている彼。
さぁ、仕掛けるのはこれからだ。
ぼくだって、オトコノコ
(被っていた猫を脱ぎ捨てて)
(可愛い猫に最高のお仕置きを!)
「んー…でもなんかしっくりこないんだよね」
「え?何が?」
「ちょっとグリーンさん付けてみてよ」
戸惑い困惑する彼の頭に半ば強制的に黒い猫耳を付ける。立てられたオレンジに近くも見える明るい茶色の髪の毛のおかげでカチューシャの部分が上手く隠れ、離れたところから見れば本当に黒い耳が生えているようだ。
可愛い、なんて素直な感想が自然と口から漏れる。不服そうに、でも照れくさそうに逸らされた顔。頬は可愛らしくピンク色に染まっている。
そんな可愛らしい姿に欲情し本能に誘われるように、そのままソファーに押し倒した。
「グリーンさん、可愛く鳴いてね」
あぁ、カントー地方は俺にとってもっと居心地のいい、離れたくなくなりそうな地になりそうだ。