GRN48 18.コンビニ店員
コンビニエンスストアーを始めとする食品を扱う店というのは一日のうちに数回のピークを迎える。特にコンビニというものは老若男女様々な客が気軽に立ち寄れるということでそれがハッキリと分かれるものである。
やはり一番多いのは朝方を中心とした通勤通学時間ラッシュであろう。学生ががよく買う朝食や昼食、それと共に一緒に食す飲み物類。社会人がよく買うガム類や栄養ドリンク。とにかく朝方のコンビニはある意味戦争ともいえよう。
勿論売り上げが良ければ店も高評価へと繋がるのでオーナーや店長はとても喜んでいるらしい。しかし、バイト勢は毎朝目が回るほど忙しい仕事にてんてこ舞いである。まぁ、それにさえも慣れてしまって日常となってしまっている俺はなんだかつまらない男だと思い始めたこの頃だ。
「ありがとうございましたー」
今日もラッシュ時の混雑を過ぎた最後の客を笑顔で見送ると店内は片手で数えれば収まるほどの客しか見受けられなくなった。
次の混雑は昼頃なので、2時間くらいは大分仕事も楽になる。静かになった店内に響くもう聞きなれてしまった有線放送を耳に受け流しながらレジと向かい合っている壁にかかった時計をチラリと見て確認してからふぅっと軽く息を吐いた。
「グリーンさん、大丈夫ですか?」
「え?」
「…溜息、吐いたから。あ、俺掃除してるんでバック入ってて大丈夫ですよ。今客あんまいないからレジにいることもないですし」
「いや、大丈夫大丈夫。ありがとな、シルバー」
深い赤い色をした髪の下から覗く同色の瞳で見上げられながら心配そうに眉を下げて問いかけてきたのは後輩にあたるシルバーという少年だ。最近入ってきた新人なのだが、物覚えは早いし、よく気が付くし、おまけになかなか端整な顔付きをしているため客受けも大変良いといった有望な奴だ。
先輩の俺を慕ってくれる優しい彼に心配をさせてしまって申し訳ない気持ちが込み上がる。大丈夫と言っても未だどこか心配した様子の彼の赤く柔らかそうな髪に手を伸ばし、ポンポンと軽く頭を撫でてやった。やっぱり見たとおり、その綺麗な赤はとても柔らかく触り心地のいいものであった。
先程チラリと時計を確認したのには理由がある。
最近この暇な時間帯になると毎日必ずやってくる男がいるのだ。そいつがまた一癖も二癖もある奴で、なぜか毎回何かと俺に執拗に絡んでくるのだ。
掃除をしていればずっと後ろをついて回って話しかけてきて、棚の陳列をしていればそこら辺にある商品についての情報をこれでもかといわんばかりに聞いてくる。ついこの前は、レジに入っている俺に「あっ、スマイルもください!」だなんて店違いな発言を小首をこてんと傾げながら言ってきた。勿論、仕事上しっかりとスマイルを0円でつけて商品を渡してみせた俺は素晴らしいアルバイトだと思う。
「シルバー、掃除は俺がするからレジ頼む」
「え?掃除は俺がやりますよ」
「や、そろそろ在庫確認しなきゃいけねぇし、ついでに掃除するよ」
「…じゃあお願いします。でも調子悪いようでしたら無理しないで下さいね」
心配していることが多少気恥ずかしいのか、少し照れくさそうに頬を赤らめながら言ってきたシルバーの優しさに胸が温かくなって、思わず再び頭を撫でたこちらまで頬に僅かに熱が溜まっていくのが分かった。
バックにある掃除用具入れの中からモップを取り、店内を歩きながら床を磨く。先程までいた数人の客は見事に全員店内を後にしていた。朝方の混雑時と比べて全く客がいないなんて時間帯もあるのだから、コンビニというものは本当に面白いところだ。
(…あ、トイレも掃除しとこうかな)
雑誌のコーナーを見ても今日は然程乱れた様子もないし、反対側の日用品や化粧品のコーナーも在庫は全て揃っているようだったので、すぐにそのコーナーの先にあるトイレが目に入った。
現在客も店内にはいないし、今の時間はあまり客も来ないので、軽く掃除をしてしまおうとそのままモップをかけ、ピンポンピンポーンと軽快に鳴った客の来店を知らせるドアの開閉音を背にトイレのほうへ向かった。
「とりあえず、手洗い場だけやっておくか」
店内に比べて少しだけ薄暗い手洗い場は万人が気軽に使う場として踏み入るのでなるべく綺麗にしておけ、というのがうちの店長の主張であった。勿論その下で働く俺らアルバイトは、その教訓を受け入れ時間があるたびに手洗い場やトイレを掃除する習慣があるのでうちのトイレは比較的綺麗だと思う。
しかし、どうしても靴の汚れが落ちたり、水道の水などが飛び散ったりして汚れやすい床を、持っていたモップで磨く。元々綺麗好きな性分だったせいか、バイト先の掃除をすることもあまり苦ではなかった。
背を向けている店内からコツコツと店内を歩く音がする。シルバーはこのように音を立てて歩かないと認識していたため、それが客のものだということはすぐに分かった。
コツコツとなる音は徐々にこちらへ向かってくる。そして、ガチャリと音をたてて扉が開かれた。
「あっすみません、使用出来ますのでどう…あ、」
店内から差し込む白い蛍光灯の光を後ろから浴び、慌てて後ろを振り向けば見覚えのある1人の男が立っていた。
男は俺がここにいるのを最初から知っていたのだろう、驚いた顔を一瞬も見せずにいつもの如くニッと笑いながら片手を挙げた。
「ちーっす」
「…いらっしゃいませ」
「今日はトイレ掃除なんスか?大変っスね」
「仕事だからな」
男は特徴のある少し長めの前髪を揺らしてにこりと笑った後「そうっスか」と軽い返事を返してきた。
最近毎日来ては絡んでくるこの男は一体何をしたいのだろうか。最初こそは警戒していたが、最近ではこの男に特段害はなく悪い奴でもなさそうだと判断し、普通に会話するようにまでなってしまった。
ちなみに、この男と先程から述べているが、コイツの名前はゴールドというらしい。とは言ってもそこまで仲はよくないというか、単なる店員と客の関係であって友達とかそういうのではないので、直接名前を呼ぶことは全くないのだが。
「今日何時に仕事上がるんスか?」
「なんでお前に教えなきゃいけねぇんだよ」
「終わったらデートしましょうよ」
「はぁ?お前さ、前から思ってたけど、からかうのもいい加減にっ…んっ…!」
「まぁ、教えてくれないならいつまででも待ってるんで」
一瞬、目の前が暗くなった。
それは前にいる男が俺に近付いて唇を重ねてきたせいで店内の灯りが遮断されてしまったからだ。唇に突然触れた感触は少し温かく、でもお世辞でもとても柔らかいとは言えぬものであった。
何が起こったのか分からず暫くぼーっとその場で立ち尽くしていると、バタンと扉が閉まる音で我に返った。目の前には店内へ繋がるグレーのドアが見える。そこには既に男の姿はなく、さっき一瞬起こった出来事は夢でも見ていたのではないか、と考えた。いや、自分は夢だと思いたかったのだろう。
しかし、唇に残った感覚は間違いなくさっきの奴のもので。唇を人差し指で軽く押さえたまま俺はますます困惑するしかなかった。
それからというもの、バイトが終わる時間までぼーっとしたまま身が入らなかったので、レジを打ち間違えたり、からあげを揚げる油が飛び跳ねて危ない思いをしたり、アイスをレンジで温めてしまったりとぐだぐだな仕事っぷりを発揮してしまった。仕舞いには途中から入っていた店長が見かねて1時間早く上がっていいと言われてしまう始末である。シルバーといい店長といい、俺の心配をしてくれるとてもいい人達だ。そんな人達に今日は迷惑をかけてばかりで、本当に情けないとくよくよしながら店内を後にした。
「はぁ…」
制服から私服に着替え、バックを肩に掛けながら店の裏口から溜息と共に駐車場に出る。見上げた空はいつも見るものよりも少し明るかった。
「あ、お疲れ様っス」
見上げた視線の下方から聞こえてくる声にぎょっとして反射的に下を向けば、縁石に腰掛けてニッと笑顔を作っている男がいた。
「……まだいたのかよ」
「だって待ってるって約束しましたし?」
「約束してねーよ!ってか大体なぁ!お前が変なことしたせいで今日失敗ばっかだったんだからな!」
「…へぇ…動揺するほど意識しちゃってたんスね。かーわいい」
よいしょ、なんていってゆっくり腰を持ち上げた男は一歩一歩とこちらへ近付いてくる。
俺は先程もやもやとした気持ちを吐き出して憂さを晴らしたつもりだった。しかし、それもこの男にかかれば痛くも痒くもないのか、それとも右の耳から左の耳へと通り抜けてしまったのか、どちらにせよあまり気にした様子は全く見られなかった。それどころか多少嬉しそうな表情をしているようにも見える。
続いて、ニタニタとしたとてもいいとは言えない笑みを浮かべて顔を覗き込んできて、「今日は俺のことずっと考えててくれたんスか」とふざけたことを抜かしてきたのでいよいよ頭に来て「ふざけんな!」と思わず声を荒げてしまった。
「お前、ホントなんなんだよ!何の嫌がらせか知らねぇけど、俺にかまうのやめろよ!俺のせいでみんなに迷惑かかんのは嫌なんだよ!」
「……あー…すいません」
「……」
「…でもからかってないっスよ?俺は、えーと、なんつーか…」
「…なんだよ」
「……あー!もう!うじうじしてんのとか俺らしくねぇ!ハッキリ言うけど、俺アンタの事好きなんで!だから通ってただけ!!それだけっス!!」
コンビニエンス・ラプソディー
(真っ直ぐすぎるくらいありのままのお前が)
(眩しくて胸が甘く締め付けられた、なんて)
裏口に面した駐車場に響く男の声。男が黙った瞬間、オレンジ色に染まった空を二羽のカラスが羽ばたく羽の音、鳴き声が沈黙にやけに大きく響いた。
「………え?」
俺の口からやっとの思いで出てきたのは乾ききったひどく小さな掠れた声であった。
変な汗が背中を伝う。思わず握り締めた掌にもじんわりと汗を掻いていた。
あまりの突然の、早すぎる展開に頭がついていけず、上手く返す言葉が出てこない。それでも何かを伝えようと懸命に動こうとする口は、ぱくぱくと声を出さずに上下に小さく動き、なんだか自分だけ空回りをしているようだった。早く、早く、何か言わなくては。
「…あ、あの、ゴールド」
「…あ。やーっと名前呼んでくれましたね。とりあえず、返事はここによろしく」
「え?あ、ちょっ、おい!」
何度も見たことのある飾らない明るい笑顔で半ば強制的に渡されたものは彼らしい適当な折り方で折られた紙だった。
離れた場所でピンポンピンポーンと聞きなれたドアの開閉音が聞こえる。この時間帯、あまり客のこない店内には今も聞きなれてしまった有線放送のラブソングか何かが流れているのだろう。
しっかりと握り締めた紙の中に書いてある番号とアドレスを自分の携帯に登録するのは、俺が家に帰ってからの話。