毎年5月初めの連休を過ぎた辺りから春の気候から初夏の気候へと移り変わっていくと思ってはいたが、今年は例年に比べて暑さが半端でないと感じていた。
ついこの間まで10から15度前後を行き来していた温度計が最近は25度以上、いや30度近くにメーターを振り切っている。温度が刻まれたデジタル温度計をうんざりとした顔で見ながら、ついに温暖化現象の問題とも隣り合わせになってきたな、などと暑さで回らない頭を懸命に回転させながら考えた。
今日とて昼間は再び30度近くまでの温度を表示した温度計を見た。まだ梅雨に入っていないので湿度が低く、カラッとした暑さなのが唯一の救いだ。それでも夕方近くになってもなかなか下がらない気温に気だるく動きながら溜息を吐くことしかできなかった。

「でっかい溜息」

少し呆れたような口調で話しながら入ってきたのは後輩であるトウヤだ。彼は何かと俺の教室などに入ってきてコンタクトを取る。自分で言うのもあれだが、元々人付き合いは得意なほうで昔から年上年下問わずに色んな人とかかわってきたので、このように後輩から懐かれるということも珍しいことではなかった。
それでも俺はいつまで経ってもトウヤの扱いだけは上手くこなす事が出来なかった。彼は他の後輩と違う雰囲気を醸し出し、俺の調子を狂わせる。他の後輩は先輩先輩、と懐いてじゃれ付いてくる感じであるが、彼は決してそういうタイプではなかった。
トウヤはいつも冷静で大人しくて、しかし自分の考えを主張することは忘れないしっかりとした性格だった。ベラベラと喋るタイプではないので数多くは語らないが、自分の意見を真っ直ぐに伝え、一見淡白な性格で何事にも無頓着に見える面もあるが、心の内には何か熱いものを持っているようにも感じる。
とにかく、彼は俺の中で他にないニュータイプといえる人物であることに間違いはなかった。

「暑いんだから仕方ねーだろ」

夏場のようにだらだらと汗は掻くわけではないが、身体を動かせばしっとりと汗ばみそうな気温に一枚っきりで着たカッターシャツの胸元を掴みパタパタと扇ぐ。シャツのボタンの隙間や少し開いた襟元から入り込んできた風は思いのほか涼しげなものだった。
そんな俺を見てトウヤは「意外と暑がりなんだね」と言いながら教室の全ての窓を全快にしていく。彼の横顔はなんとも涼しげで、今日の暑さも物ともしないようだ。もしかしたら彼は真夏になっても今となんら変わらずに涼しげな表情をしているのかもしれない、なんて考えが頭を過ぎった。

「これで少しは涼しくなった?」

そう言ってくるりと身を翻して窓際の席の上に寄りかかるように手を置きながらトウヤは首を傾げた。彼の後ろからそよそよと涼しい風が流れ込む。校庭にある木々が揺れざあっと木の葉がざわめく音が微かに聞こえた。
それに、おう、と返事をしながら頷けばトウヤは瞳をすっと細め俺の身体を凝視する。何事かと思って首を傾げる暇もなくそのまま彼は俺のほうへ近寄り2、3回捲くり上げられたシャツから伸びる腕を宙へ浮かせた。
それはすぐに俺の胸元に垂れるネクタイへと辿り着き、そのままネクタイの先を掴んだ。まるで鞭を叩きつけるかのようにネクタイを前後に揺らしぺちんぺちんと俺の身体にあててくる。いや、鞭なんかよりは遥かに弱い力なのだけれど。

「こんなのしてるから暑いんじゃないの?」

溜息混じりに呆れて呟いた彼の格好を改めて見ると、紺色のベストを着ているがネクタイの姿はなくカッターシャツの胸元は2つ程開けられていた。こんなに大きく胸元を開けていれば普通ならばチャラチャラとした印象に見えてしまうのだろうが、清楚な紺色のベスト及び彼の生まれ持っての可愛らしい顔のおかげでそれは十分に半減されていた。俺なんかがそのような格好をしたら恐らくチャラチャラとした風貌に見えてしまうだろう。今でさえそのように見られてしまうこともあるのに。
それに風紀委員会に所属している身としてネクタイを外すという校則違反を犯すわけにはいかなかった。たとえどんなに暑いとしても、だ。

「…お前俺が風紀委員だってこと忘れてないか?」
「覚えてるよ、副委員長サン」
「だったら俺の前で堂々と校則違反してんじゃねーよ、バカ」
「今更じゃない?」

ぺちんぺちんと叩いていたネクタイの先端を持ち今度は俺の顔に擽るようにしてあててくるトウヤ。クスクスと笑いながら少し意地悪い笑みを浮かべるのはいつものことだ。
ネクタイをトウヤの腕ごとやんわりと払い退ければ不満げにむすっと口をへの字に曲げてくる。そんな顔をしたいのは今は俺のほうだ、と言いたくなるがこの男にはそのような抗議は一切しないことに決めている。口のほうはトウヤのほうが格段に上なので抗議をしたところで言い負かされてしまう自信があったからだ。
相手に気付かれないように小さく小さく溜息を吐けば、トウヤの顔が一瞬ぴたりと止まり、真顔になった。あぁ、しまった、聞かれてしまったかなと後悔するも遅し、トウヤは再び瞳を細め片方の口角を上げて少し悪い笑みを浮かべた。

「じゃあ、キスしてくれたらネクタイしてあげる」

何を言われるかと思って身構えていると予想外の言葉に思わずぽかんと口を開けてしまった。いや、予想外どころか予想を遥かに超えている。この男は一体何を考えているのか。

「な、何言ってんだよ、先輩をからかうんじゃねーよ」
「からかってないよ?」

トウヤの腕が再び宙を舞う。細く長い指先が一本一本俺のネクタイに触れていく動作がやけにスローに見えた。




好き、だからキスしたい
(駄目なんて言わせない)
(ね、イイでしょ?)





掴まれたネクタイをそのままぐっと勢いよく自分のほうへ引き寄せ、そのせいで易々と彼のほうへと傾いた上半身。触れた唇は、思っていたよりもずっと、熱かった。

「んっ…!っ、な、何す、」

かぁっと一気に体温が上昇するのが分かった。暑い、熱い。俺の体内の温度計は30度どころか40度を超えてしまうくらいにメーターを振り切っている。

「ねぇ、もっと熱くなっちゃう?」

再びネクタイを引かれて重なった唇は、気のせいか先程よりも燃えるように熱かった。あぁ、やっぱりこの男のことは上手く扱えない。




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