「トウヤ、お前もうここには来るな」

そう言われた時、一瞬頭の中が真っ白になってただただポカンとした間抜け面を白昼の下に晒すことしか出来なかった。
だってそうだろう。昨日の今日まで、言ってしまえば5分前まで俺とグリーンさんは楽しくお喋りをしていたのだ。ポケモン達の話をしたり、昨日のテレビ番組の話をしたり、さっきまでは先日売り出されたゲームの話をしていた。どの話を思い返しても彼は楽しそうに笑っていたし、彼を怒らせるとか嫌な思いをさせるとか、そんなことはしていないはずだ。
ゲームの話をある程度し終わった辺り、つい2、3分前くらいからグリーンさんが少し言いづらそうにもじもじとしたから微かに淡い期待を抱いてしまっていたあの時の自分を恨みたい。なんだ、正反対のことを言われてるではないか。期待だなんて本当に馬鹿げている。
頭ではそんな冷静な思考が廻っているも、思いもよらぬ言葉に口にまで伝達指令を出す脳まではさすがに機能していないらしく、口からは俺がよく口にするといわれている「は?」というお得意の言葉すら出ない。
本当に、一体、どういうことなのだろうか。

「…え?」

やっとの思いで口から出た言葉は乾いたカスカスのなんとも格好悪いものだった。口元が不恰好に歪み、引きつった半笑いしか出来ない。余裕なんて、これっぽっちもなかった。

「だから、もうここには来るなって」

俺が彼の言葉を聞き取れなかったか、聞いても意味が通じなかったのか、そう思ったのかグリーンさんは先程述べた言葉をもう一度口にした。鋭利に尖った残酷なその一言は俺の胸に深く突き刺さった。
冷たい汗が背中を伝い、無意識にぐっと握られた手にも汗が溜まる。二度目に聞いた言葉には、最初に告げられた時よりもハッキリとした強い意思のようなものが込められていた。
でも、こうもぴしゃりと言い放たれても彼の言っている事は到底理解できるものではなかった。なんで、どうして。そんな言葉が頭を廻る。ぐるぐるぐるとずっと頭の中を高速で廻っている言葉に目が回ってしまいそうな、そんな錯覚さえ起こしそうだった。
今の俺を幼馴染が見たらひどく滑稽だと思うだろう。普段はあんなにも余裕ぶって過ごしているというのに、こんなに余裕がなく追い詰められている自分は多分生まれて初めてで、自分でも滑稽すぎて笑えてくる。まぁ、実際は不可思議に口元を引きつらせることしか出来ないのだけれど。

「……な、んで、ですか?」

恐る恐る、今の俺にはそんな言葉がぴったりだった。今の俺の顔を鏡に映し出したとしたらとてつもなく不安な表情をしているだろう。本当に情けない。
彼はその薄い唇を開く。ゆっくりゆっくりと紡がれた言葉は俺を絶望の淵へ落とすのには十分すぎるものだった。

「…最近、噂になってる、から」
「え?」
「…俺、聞いちまったんだよ、ジムにきたトレーナーに」
「何を?」
「……俺と、お前が、その…、…デキてるんじゃないかって、」

僅かに頬を赤く染めながら彼は小さな声で言った。
しかし、うかうかと喜んではいられない。こんなことを言うということは、仮にもそんな噂を立てられて彼は頭を抱えているということなのだ。そうでもなければ、もう来るななどとは言わないだろう。

(…迷惑、だったのかな)

気持ちは沈むところまで沈んでしまった。海底に出来た海溝の亀裂に落ちていくように深く深く沈んでいく。この海溝に底なんてあるのだろうか。底はどこにあるのか分からないくらいに暗く、しかし見上げた海の上もどこが地上か分からないくらいに暗かった。下も上も横も暗い、そんな中落ちていく感覚だけが身体中に感じる。それでも不思議と怖くないのはなぜだろうか。

「これ以上さ、俺のところに来たらお前もっと変な噂立てられちまうぞ?お前はイッシュ地方のチャンピオンなんだろ?チャンピオンが変な噂纏ってたら威厳とかさ、なくなっちまうし」
「…そんなことで悩んでたんですか」

ちらりとグリーンさんが此方を一瞬だけ向いて、また顔を逸らした。
あぁ、そういうことだったのか。深く暗い海溝に突き落とされても尚、不思議と全く怖くない理由は。

「そんなことってお前なぁ…!俺はっ」
「そんなことでしょ?グリーンさん、やっぱり頭悪いね」
「はぁ!?」
「別にそんなこと気にしないし」

ギリッと目と眉を吊り上げて再びグリーンさんが此方を向いて俺の胸倉を力を加減して掴み上げる。睨んでいるはずの彼の大きく綺麗な瞳は微かに潤み、その反射で俺の顔が映る。そこにはもう、先程までの自分はいなかった。
俺の胸倉を掴んだ手が小刻みにぷるぷると震え、明るい茶色の前髪がさらりと下に向かって落ちた。長めの前髪は彼の瞳を隠し、隠されたことによって、表情が上手く読み取ることができなくなってしまった。
可哀想になるくらい小さく震えた彼の片腕を優しく掴む。それと同時に彼は唇を開いた。

「お前は、まだ世の中のことあんまり知らねぇから、そんなことが言えんだよ…。…世の中は、世界は、そんなに甘くねぇんだよ…!」
「…そんなこと、」
「無視出来ない常識だとか、良識だとか、色々あるんだって…!」
「でも…、」
「…頼む、分かってくれよ…っ」

搾り出すような苦しそうで消えそうなくらい小さな声でグリーンさんは呟いた。先程よりも手は大きく震えている。震えた振動によって彼の腕を掴んだ俺の腕に冷たい雫が落ちて、そして、地面へ向かって伝い零れ落ちていった。
この世界は荒んでいる。真実と理想とが交差し合い、一般常識に囚われない者、白と黒の間にいる者は、他の者と違うからと白い目で見られ、そして排除される。そんな世の中の汚い渦に綺麗な彼が巻き込まれているというなら、俺は、




至上最低の口説き文句
(今から言ってあげるから)
(ちゃんと顔を見て聞いてね)





「……分かんないよ」
「トウヤ、」
「そんなことが世の中の常識だとか言うんなら、俺がその常識ごとこの世界をぶっ壊してあげる」

だから、グリーンさんに涙を流すくらいの大きな嘘を吐かせたこの腐った世界は、バイバイ。




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