シトシトと降る雨の音に混じってコホンコホンという渇いた咳をする音がする。
湿気じみた室内に比べてそれはとても苦しそうで。室内に浮かぶ小さな水分子を全てくっつけて水にしてやり、咳繰り返す可哀想な喉に潤いを与えてやりたいほどだ。
コホンコホンと再び咳をする。今日はずっとこの調子だ。男は金髪ごと布団の中へ潜り込むと、その中でまた苦しそうに咳をした。
昔からそうだった。この男は人に比べて身体が弱い。人と同じことをしても、人と同じところにいても、体調を崩すのは彼だけ。子供のこ頃から寝込むということなんて珍しいことではなかった。それでも忍だというのだから驚かされる。まぁ、世の中には年中ゴホゴホと咳をしながら試験官という任務を行う忍もいるのだから、それに比べたらこの男なんて並みとまではいかないが、忍だと胸を張って言ってもいいのだが。
そんな彼、デイダラが今回寝込んでいる理由は昨日の任務帰りにあった。組織内では珍しく、デイダラと相方のサソリに各々単独任務が言い渡されたのだ。サソリは二、三日かかる任務、デイダラはすぐに片付くようなものだった。
勿論デイダラもS級犯罪者。さすがとでもいうべきか、与えられた任務を素早く且つ完璧にこなした。
しかし、あいにくの六月という季節。帰りにどしゃぶりの雨が降ったのだ。そこで雨宿りでもすればよかったものの、彼はそのまま帰宅への道へ進み、ずぶ濡れで帰った。鬼鮫が慌てて彼を風呂場へと急がせ温かい料理を出し、いつもより温かい格好で寝せたのだが、彼の体温はなかなか温まることなく翌日になってしっかりと風邪を引いてしまった。それが今回の経緯である。
「デイダラ、入るぞ」
そこへドアを叩く音と共に声がした。この声の持ち主はデイダラのよく知る人物、相方のサソリである。
ドアが開き中へ入ってくるサソリにデイダラは「旦那…」と掠れた声で相手の名前を呼び起き上がろうとするが、身体が思ったより言うことを利かずになかなか持ち上がらない。それを見たサソリは慌ててデイダラの元へ駆け寄り、再びベッドに横にならせた。
「悪いな…うん」
デイダラが申し訳なさそうに言うと、サソリは何も言わずにデイダラの髪を撫でた。その表情はいつもより柔らかく、己を心配してきてくれたのだな、とデイダラも感じ取った。
「そういえば任務は?」とふと浮かんだ疑問をぶつければサソリは「そんなもん片付けてきた」とぶっきらぼうに言いながら撫でた髪を掬い、その金髪に隠れた額を晒し、そこに手をあてた。サソリの手はいつも通り冷たかったが、今のデイダラにはとても気持ちよく感じた。その心地よさに思わず息を吐き目を閉じる。気持ちいいのも勿論だが、恋人であるサソリが自分のために任務を早く片付けてここにきてくれたという嬉しさと安心感から出た行動だということは互いに分かりきっていることだ。
しかしバチンッ!と渇いた音が室内に響きデイダラは驚いて目を開けた。額がジンジンと痛む。
撫でられていた手に叩かれたのだということを理解するのに時間がかかったのは、熱のせいで感覚が鈍っているからだろうか。
「…旦那、病人には優しくするもんだぜ、うん」
「鬼鮫に聞いた。お前昨日ずぶ濡れで帰ってきたらしいじゃねぇか」
「無視すんなよ…うん」
「なんで雨宿りしなかった。お前は昔から雨に濡れたままにしとくと風邪引くって決まってる。分かりきったことだろ。なん…」
「はい、ストップー!うん!」
デイダラの言葉に全く聞く耳を持たずに説教をするサソリにデイダラの手が伸びる。制止の声と共にその口を塞げばようやくサソリの口は閉じた。
デイダラは小さく苦笑した。
「雨宿りをしなくて風邪を引いてみんなに迷惑かけちまったのは謝る。ごめんな?オイラももう子供じゃねぇんだ、だから大丈夫だと思ったんだ…うん。まぁ、結果的には風邪引いちまってるわけだがな。でも心配してくれてありがと、うん」
「…まだまだガキだろうが」
デイダラの言葉に今度はサソリが苦笑いをする番だった。
だが彼はそれ以上は何も言わずに黙ってデイダラが横になるベッドの縁に腰を下ろした。
「そういえばお前はいつも六月に風邪を引くな」
「そうだっけか?うん?」
「あぁ、昔から六月は絶対だ」
「うーん…そうか?」
サソリの言葉に記憶を辿れば、去年も一昨年も確かにこのような風景が目の前に広がっていた。
寝込む自分に心配そうに何度も部屋に訪れるサソリ。彼は過保護すぎる、と何度思ったことがあるが彼がこうなってしまった原因は間違いなく自分にあるのだと思うと、デイダラは何だか申し訳なくなった。事実、出会った頃のサソリはこんなに自分を気にかけてはくれない性格だったからだ。
そんな風に思い情けなく眉を下げるデイダラに気付かないのか、それとも気付かないふりをしているのかサソリは話を進める。
「その度にお前と長々と話をしてきたが、俺には忘れられない話がある」
「何だい?うん?」
「互いの夢の話だ」
「夢?」
「あぁ」
そう懐かしそうに話すサソリを横目にデイダラは考えた。
自分の夢は一瞬の美という芸術を極めること。最終的には自らも最高芸術になってその名を後々にまで轟かすことだ。反対にサソリはというと、デイダラとは真逆の思想の持ち主で永久を好むのだから自ら果てるなんて夢は持たないだろう。
「お前はあの時俺に言ったんだ」
サソリかクスクスと笑いながら口を開いた。
デイダラはその優しいサソリの笑い方に脳内で記憶がフラッシュバックしたように蘇る。
今よりサソリの姿が大きく見えるのは、自分が今より小さかったからだろう。大きな手に撫でられ嬉しさから緩む頬。幼かった自分には彼がとても輝いて見えた。まるで王子様のように。…まぁ、その記憶は今でも続いているのだが。
確かあの時も彼はこうやって優しく自分に寄り添ってくれていて、ずっとこの時が続けばいいなんて思ったんだ。だから、自分はサソリに向かってこう言った。オイラの夢は…
「ククッ、今のお前じゃ考えらんねぇな」
「…うるせーぞ、旦那」
あの時自分で言った言葉を思い出し顔に熱が集まっていくのが分かる。その上サソリに茶化されるようにニヤニヤと笑いながら言われればデイダラはその赤くなった頬を隠すように寝転がったままサソリに背を向けた。
だが、次いで出たサソリの言葉に思わず再びサソリのほうを向いてしまうことになる。
デイダラは来年も、再来年もこの時期に風邪を引くであろう。きっとそれは、必然的に起こることではなくて偶然的に起こる、二人の夢を踏み出す勇気を与える第一歩なのだ。
「……まぁ、来年も六月に風邪引いたら夢叶えてやってもいいぜ?」
君の夢貴方の夢
(オイラ旦那のお嫁さんになるぞ!うん!)
(きっとこれは二人の夢)