ピンポンピンポンピンポーン!
けたたましく鳴るチャイムの音。良いものとは言えない目覚まし音にうっすらと瞳を開けばカーテンから外の光が溢れていて、室内を明るく照らしていた。一体今は、何時であろうか。

「レッドー!いるんでしょー!?開けなさいよー!」

ドンドンドンドン!
チャイムの音が鳴り止んだと思えば次は甲高い声と共に聞こえてくるドアを叩く音。
昨夜寝たのも朝方だった。あぁ、まだ寝ていたかったのになぁ、などと思いながら重たい身体を無理矢理起こし、近所迷惑にもなりかねない騒音源に向けて歩きだした。


kaleidoscope :A


ドアを開け、目に飛び込んできたのは眩い程の光。そしてその光に包まれた女の姿だ。
眩しすぎる直射日光に思わず瞳を細める。ずっと部屋の中にいたせいか、外の光は刺激が強すぎた。

「やっぱりいるんじゃない!今何時だと思ってるの?」
「……何時?」
「11時よ!もうすぐお昼!もうアンタいつまで寝てるつもり?」

正直、寝起きにカスミの声は耳に響きすぎてあまり良いものとは言えなかった。はっきりと目が冷めている時にでも元気で女の子らしいカスミの声は只でさえ自然と耳に入る。その明るい声色は彼女の長所でもあるが、今の僕にとっては結構厳しいものでしかなかった。
開ききらない瞼を懸命に持ち上げながら寝癖の付いた髪を掻く。質問に答えない僕にカスミは盛大な溜息を一つ吐いた。

「あのねぇ…。レッド、こういうの引きこもりっていうのよ?」
「……引きこもり…」
「そう、引きこもり!いい加減外に出なさいよ、みんな心配してるわよ?」

彼女の言うことに、反論するつもりもないし、第一、出来るとも思っていない。地元の中学を卒業後、みんなで同じ高校に進学した。地元から三駅程の離れた比較的近場の高校だ。
その高校に僕が通っていたのは1年程前だ。高校1年の夏休みまで、僕は彼女達と同じように毎日毎日制服を着て、同じ時間帯の電車に乗り、代わり映えのしない学生生活を送っていた。学校へ行き、退屈な授業を受け、同じメンバーと昼食を取り、眠気を誘う残りの授業を終わらせ、夕暮れの校舎を後にする。本当に日常的且つ平凡な毎日だ。
そんな毎日に嫌気が差した、といえば嘘になるが、僕の生活は夏休みを堺にがらりと変わった。しかし、毎日遅くまで遊び歩き、薬物やアルコールに手を出し、不純異性行為をするといった危ない橋を渡り始めたわけではない。今思えばそのほうが幾分マシだったのかもしれない。…いや、それはないか。
まぁ、平凡な毎日を半ば強制的に変えられた出来事は確かに他にあるが、結果的に、僕は家から出なくなった。高校生という枠にも現代社会に生きる若者という枠にも何にも囚われなくなった僕が真っ先に脳内に思い浮かべたのは、解放された、という言葉だった。

「…とにかく!さっさと着替えて外に出るわよ!タケシもエリカも来るっていうからファミレスでお昼食べるわよ」

あぁ、引きこもりにこの時間のファミレスというのがどんなにも苦痛か、カスミ達は理解してくれているのだろうか。

急いで身支度を整えさせられ、腕を引かれてやってきたのは近所のファミレスだった。学校へ行っていた頃にはよく帰り道に寄ったりもした、僕らの中ではお馴染みの店だ。
店内に入ると一番奥の席に既にタケシとエリカが座っていて、僕とカスミを見るなり笑顔で手をひらひらと振ってきた。二人とも風貌はあまり変わっていないように見えるが、幾分、この前会った時よりも大人になった気もする。僕達が席に座ると「久しぶりだな、レッド」だとか「3ヶ月ぶりかしら」などと声をかけてきたが、僕が答えるよりも先に「コイツ引きこもりでホント仕方ないわよ!」とカスミが答えてしまったので返事は特にしなかった。
それから、最近の彼ら自身の近状や学校生活など他愛のない話を聞いていた。進学やら就職という言葉も飛び交っている限り、何やら彼らはもう今後についてよく考えているようだ。
こういう話を聞いていると、自分だけぽつんと置いて行かれたような気になる。この道を選んだのは自分なのだからどうしようもない。しかし、時々目まぐるしく回る世間を見ていると、自分の周りだけ時間が止まってしまったように感じてしまうのだ。

(…まぁ、あの時から止まってるみたいなもんだけどね…)
「……ド…レッド!」
「…え?」

視線を窓の外から隣に座っているカスミに視線を移すとカスミは眉を寄せ、ふくれっ面を作っていた。どうやら話しかけられていたらしい。「ごめん、何?」と再度問いかけると大きな溜息を吐いたカスミに変わって向かい側に座っているタケシが笑いながら口を開いた。

「恋人なんかは作らないのか?」
「…は?」

唐突な話に小さな疑問符を発することしか出来ない。
いや、唐突といっているが、この話の前に何か流れがあったわけであって、それを聞いていないから唐突に感じるだけであり自業自得なのだが、僕には全く理解出来なかった。恋人?僕が?

「どうなんだ?」
「……いや…よく分かんないんだけど…」
「レッドさんにも素敵な恋人が出来たらお外にも出る回数が増えると思いましたの」

タケシの隣に座るエリカが笑顔で両手を合わせて小首を傾げる。どう話が転がったら進学の話から僕の恋愛の話になるのかは分からないが、少なくとも彼らが僕の今後を心配してくれているのだから、とてもありがたく思う。
僕が返答に困っていると、隣に座っているカスミがパンケーキを器用にナイフで切り、口に運びながら話す。「引きこもりに出会いなんてないでしょ」。その口調は妙に刺々しくて腹も立つが、図星なため何も言い返すことが出来なかった。彼女とは小学校以来の付き合いだが、昔から本当に彼女には適わない。

「私たち以外の女と話す免疫もなさそうだし」

もごもごと口を動かしながら続けて最もなことを述べるカスミに、何かいい案はないかと考えるエリカ。僕は僕で楽しくやってるし恋人なんかいらないんだけどな、と考えるも、今ここでそんなことを言ったら隣から鉄拳が飛んできそうなので言わないでおいた。
すると、目の前に座るタケシが両手をテーブルに付き身を乗り出した体制で細い目をキラキラと輝かせた。いい考えがある、そういって僕の手を無理矢理握った彼の考えに、いい予感は全くしなかった。
「…はぁ…」

僕の手に握られたのは一枚のCD-ROMが入った薄いパッケージだ。あの後、タケシは目にも止まらぬ速さでファミレスを後にし、これを持って帰ってきた。そして、上がった息を整える間もなく「これで免疫を付けるといいぞ!」と僕の手に握らせたのだ。
中身を見なくても分かる、これは所謂恋愛シュミレーションゲームというものだ。いくらカスミやエリカ以外の女の人と話す免疫がないとはいえ、恋愛シュミレーションゲームをしろというのは見当違いだ。そもそも僕は毎日パソコンを開いているとはいってもそういう類には興味はないので見もしないし、やりもしない。只ひたすら画面に並ぶ文字を見て、たまにテレビゲームや携帯ゲームをしたり、アニメを見たりするくらいだ。
しかし、タケシが息を切らして取りに行ってくれた上に、「後で感想を話し合おう!」と興奮気味にいうものだから、やらないわけにはいかない。僕はCD-ROMをパソコンの中に入れ、インストールを開始した。

「…何これ…」

しかし、初めてのパソコンでのゲームは僕にとっては未知の世界であった。インストールまでは上手くいったが、なかなか進まない。重すぎたのか、単なる不具合か、原因はいくつか考えられるが、決定的な原因はよく分からなかった。
思うようにスムーズに動かないパソコンと戦うこと数時間、やっと名前が入力し終わったのは、日付が少し跨いだ後だった。

「…ふぅ……あれ?間違えてる…」

だが、息を吐いたのも束の間、全ての入力が終わったパソコン画面を再び見ると、自分は女の子の設定で男の子と恋愛する羽目になっていた。どうしたものかとパッケージの裏を見てみると、どうやらこのゲームは主人公が男か女かを選べるものだったらしい。きっと一番最初の性別選択画面でミスをしてしまったのだろう。
はぁー、と深い溜息が漏れる。一気にやる気がなくなってしまった。ここまでくるのにこんなに時間がかかってしまったのだ、またこれを消して最初からやったら夜が開けてしまう。明日にでもタケシに来てもらって設定してもらおう。
いつも昼過ぎに起きるのにも関わらず今日は午前中の間に無理矢理起こされてしまったためか、いつもは眠たくない時間なのに瞼が非常に重たい。
今日はもう寝よう、これは明日だ。そう思い、睡魔が襲い掛かりふらつく足を引きずるようにしてぐちゃぐちゃに乱れたベッドに飛び込んだ。俯せのまま布団も掛けずに瞼はすぐさま閉じてしまったが、そんなことさえ深く陥った睡魔の波には適わなかった。それどころか心無しか温かい。
寝息を立てる僕の後ろのパソコンは、恋愛する相手を選ぶために並んだ何人かの男の子の画面が広がり、暫くしてチカチカと点滅した後消えた。
一瞬強い光が部屋を包んだ気がしたが、きっとそれは僕の夢だろう。




絶えず変化するかたち
(僕の日常は今を堺に)
(非日常に変わった)





再び瞼を開いた時には温かな毛布の中に身を埋めてくるまっていた。夕べ何も掛けずに寝てしまったので余程寒かったのであろう。きちんと綺麗に重ねられた毛布や布団をかけている。

(…きちんと…?)

おかしい、僕の布団はいつもぐちゃぐちゃなはずだ。布団や毛布の端が揃っておらず、どこかしら床に落ちていたりする、そんな布団が、今朝はきとんと端まで揃っていて落ちるどころかベッド内に収まっている。寒すぎるあまり、寝ぼけてやったのかとも考えられるが、生憎自分は大雑把な性格なため、いくら寒くても布団を正すということはしなかった。では、これは…
バタンッ。その時、廊下のほうからドアを閉める音が響いた。ペタリペタリと廊下を歩く音がする。そして、部屋のドアが、開いた。

「よぉ、やっと起きたな、レッド!」

この子は、誰?


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