きっと私は間違っている。
夜の闇に眼を向けて、そう思った。
間違っていることはわかっているけど、それでも行かねばならないと、自分でそう信じてしまっていた。大好きなひとたちのため、この町のために強くあろうとした私は、今度は誰のためでもなく自分のためだけに、もう戻れない道を歩もうとしていた。

「本当にいいの?」

闇の向こう側から声が聴こえた。聞かなくたって、もう答えを知っているくせに。

「……はい。鳩原先輩」
「…そっか。じゃあ、一緒においで」

私は差し出された手を掴んだ。




私の鳩原先輩との初対面は、当真師匠の弟子になって間もないころ、当真師匠に紹介してもらったのがきっかけだった。

「こいつ、鳩原未来、俺の同期な。二宮隊の狙撃手、まあ狙撃の腕は認めてやらんでもない」
「えっと、よろしくね、当真の弟子さん」
「鳩原先輩…ですね。よ、よろしくお願いします、蒼井です」

少したどたどしい挨拶を終えて、面識を持った。当真師匠は上から目線で評価したが、遠回しにでも狙撃手としての実力を認めているわけで、当真師匠がそんなふうに褒めて狙撃手を紹介するのは初めてだった。つまり、当真師匠にそう言わしめるほどの実力があるのだ。あの二宮隊の狙撃手というのだから、相当できるお方なのだろうと、私は思った。
想像どおり、鳩原先輩の狙撃の技術はすさまじかった。いつ見ても、寸分狂わず的に当てる。もしかしたら当真師匠や奈良坂先輩と同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に上手なのかもしれない、とさえ思った。さも当然のごとく、淡々と練習をこなすその姿勢も、ストイックで私の目にはかっこよく見えた。私は鳩原先輩に、なけなしの勇気をだして二宮隊のランク戦の記録を見せてもらっていいかを聞くことにした。

「あたしの狙撃を参考に?」
「えと、そうです…今いろんな先輩の狙撃を参考にさせていただいているので、鳩原先輩の狙撃も…」
「…当真に教えてもらってるんじゃないの?」
「も、もちろんそうなんですが…!当真師匠には、いろんな人の狙撃を見て勉強したほうがいいとも言われているので…」

もしご不快なら、いいんですけど、と消え入りそうな声で付け足した。鳩原先輩は少し困ったような表情で頭をかいた。

「ううん…不快ってわけじゃないんだけど…あたしの狙撃なんか参考にならないと思うし…」
「そ、そんなことないです、すごく精密な狙撃で、繊細なコントロールで…!」
「……そう言ってくれるのは嬉しいんだけど……」

一見謙虚な鳩原先輩だが、どこか折れない意思も垣間見える。オブラートに包んではいるが、見てほしくない、という気持ちが伝わってきた。残念だが、嫌ならば仕方ない。しゅんと肩を落として、わかりました、と頷くと、鳩原先輩が苦笑した。

「そんなにあからさまに残念そうにされると……なんだか悪いことしたみたいだなあ」
「えっ、す、すいません。そんなつもりでは…っ」
「じゃあ、いいよ。見ても」
「え!」

ぱっと顔をあげて、鳩原先輩を見つめる。鳩原先輩はおもむろに人差し指をたてた。

「ただし、一つ条件がある」
「……?」
「見ただけで終わらないで、ちゃんと感想を教えて欲しい」
「…それだけでいいんですか…?」
「うん」

ふ、と薄く笑った鳩原先輩に、わかりましたと頷いた。その帰りに記録のDVDを借りて、家に持ち帰った。当真師匠には言っていない。荒船隊の記録を東さんから借りたときも私が勝手に決めたことだったけど、特に怒られたりしなかったからだ。私はもっと上手になりたい、という気持ちだけだった。


家に帰って二宮隊のランク戦の記録を見た。そのときは影浦隊と生駒隊との三つ巴の試合だった。影浦隊の絵馬くんとは師弟関係だと当真師匠から聞いたことがある、となると、師弟で対決だったのか。気になる試合だな、と思って数十分にわたる試合を通して鳩原先輩の狙撃を見ていると、ひとつ気が付いたことがあった。鳩原先輩は常に武器を狙う、ということだ。寸分狂わない精密なコントロールでもって、相手の持つトリガーを撃ち抜くのだ。トリオン体に傷一つつけず。その技術は見事だったが、得体のしれない違和感に襲われていた。



「どうだった?」

約束通り感想を伝えに来た私をラウンジで待っていた鳩原先輩は、りんごジュースの缶を差し出して聞いた。お礼を言うのもそこそこに、受け取ってゆっくりと向かいの席に座った。
どう、言えばいいのだろう。感じた違和感、その正体に気付いたことをどういえば。迷っていると、鳩原先輩が先に口を開いた。

「あたしが武器だけを狙って撃つの、気づいたでしょ?」
「……は、はい」
「トリオン体は撃たない主義なんだ。…撃たないんじゃなくて撃てないの」
「…ど、して…」
「こわいからだよ。人を撃つのが、怖い」

その言葉は衝撃的だった。当たり前のようで、人間としてごく自然なことのようで、私はそうではなかったからだ。

「…実はね、瑠花ちゃんが入隊したときから、この子ならわかってくれるかなって思ったんだよ。おとなしそうで、臆病そうだったから。でも、違ったから、ちょっと残念だった。それどころか、あの当真の弟子になっちゃって。瑠花ちゃんは怖くないの?人の体を狙って、破壊するんだよ?いくらトリオン体だからって、手に感触が残らないからって、どうして何のためらいもなくその引き金を引けるの?」

たたみかけるように言われて、目を合わせることができない。
私はどうして人を撃てるの?ずっと記録を繰り返し見て、そういうものだと思い込んできたから?慣れてしまったから?
ああそうだ、人を撃つことに、慣れてしまった。

「…ああ、違うの、怖がらせようとしてたんじゃないんだ。ごめんね」

青ざめて固まってしまった私の頭を軽く撫でて、声のトーンを上げた鳩原先輩。私はその手が触れたのにびくっとして、一瞬呼吸をするのを忘れてしまった。

「こんな、あたしより年下でボーダーに入って間もないような子でさえ、撃てるんだから。トリオン体だと割り切れないあたしが間違ってるんだよね、知ってるよ」
「そ、そんなこと……」

声が震えた。そんなことないだなんて、どうして私が言えるのか。きっと私が軽率に否定できるような簡単な話ではないのだろう。

「あたしの狙撃を参考にしたいって言ったけど、たぶん無理だよ。トリガーのみを狙って撃てるだけの技術はね、きっとあたしにしかない。だって遠征に行くためには…あたしにはそれしか方法がなかったんだ」

それも気づいていた。参考にしようと、盗める技術は盗もうと、記録を繰り返し見た。でも到底真似できない芸当だと、気づいてしまった。ほんの少しでもずれればトリオン体を貫いてしまう弾丸が、吸い込まれるようにトリガーにだけ当たるなんて。そして何の躊躇もなく引き金を引けるだけの、外れるわけがないという絶対の自信が、鳩原先輩にはある。
私が返事さえできずにいると、鳩原先輩はガタンと椅子を引いた。その音に肩が思い切り跳ねる。ぱっと顔をあげると、泣きそうな顔してる、と指摘された。

「…しゃべりすぎちゃったかな。ごめんね、変なことたくさん言って。気にしないでね。…本当は、あたしと瑠花ちゃん、気が合うと思うよ」

記録、また見たくなったら言って。そう言い残して鳩原先輩は席を立った。
私は身動きできず、缶ジュースを握りしめて動揺した心を落ち着けようと必死だった。そんなとき、ピロンとスマホが音を立てた。慌てて立ち上げると、当真師匠から今日はアイビスで一撃必殺の練習やるぞというメッセージが届いていた。いつもならすぐにわかりましたと返事を送るのに、今日は指が震えてうまく送信できなかった。アイビスで人を撃ち抜く想像をしてしまった。今まで何の疑問も抱かずにこなしてきたのに。





「蒼井、ってば」

呼ばれていると気が付いてぱっと顔をあげると、菊地原くんが立っていた。ああ、そうだ。もう放課後なのだった。帰りのホームルームも終わって、もうこれからボーダーに行く時間だった。ぼうっとしていた私の顔を覗き込み、菊地原くんは怪訝そうにした。

「…最近上の空だけど、どうしたの。風邪でも引いた?」
「……だいじょうぶ、何もないよ」
「何もなくないでしょ。何かあったんなら言えば?どうせぼく以外に相談相手なんていないでしょ?」

私の前の席に座った菊地原くん。本当に優しいなあ、と思ったら、気が抜けてぼろっと涙が出てきた。

「ちょっと、なんで泣いて…」
「人を撃てるっておかしいのかなぁ…?」
「……は?」
「どうしたらいいのか、わかんなくなっちゃった…」

助けて、そう泣きながらこぼして、菊地原くんを困らせる私は悪い子だ。
誰か助けてほしい。お願いだよ、菊地原くん。
鳩原先輩。






旅立ちを決行する日は、新月の夜だった。月明りさえない夜の暗闇の中、ぽっかりと空いたゲートは、まるで私たちを招いているようだった。許されない行為だと知っていても、私は鳩原先輩について行くと決めた。あれ以来人を撃てなくなり、トリオン体であろうと人を撃っていた事実と向き合えなくなった私に、あたしと同じだねと、似た者同士一緒に行こうと手を差し出してくれたから。

「蒼井、どこ行くの」

鳩原先輩を追って同じように境界を越えようとする私の背後から、菊地原くんの声がした。見つかってしまった。早く行かなくては。ごめんね菊地原くん、もう振り向かない。振り向いたらきっと、泣いてしまう。

「助けてって言ったのは蒼井でしょ?ぼくが助ける。助けに来たから。だから今すぐ戻れ…!」

闇に溶けていく私の耳に最後に聞こえたのは、ごめんね菊地原、あたしがとっくに救ったよという隣の鳩原先輩の声だった。


間違いだらけの夜のはなし


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