夏祭りに行こう、と誘ってくれたのは菊池原くんからだった。私は驚きで声も出なかったが、なんとか頷いて承諾した。だって驚いたのだ。夏祭りなんていう、人混みで賑やかでご立派な打ち上げ花火まであるイベントに、そのどれも苦手なあの菊池原くんが誘うだなんて。私は人混みは苦手だが、浴衣を着ていつか行ってみたいだなんて淡い夢を抱いていたので嬉しいに決まっている。それも一緒に行く相手が大好きなひととだなんて、そんなことが実現していいのだろうか。贅沢すぎる。少しどころじゃないくらい緊張しつつ、そして興奮もしつつ今日という日を迎えたのだった。

「や、やっぱりおかしくないですかね、こんな派手なの…!」
「いいのよ、一緒にあんなに頑張って選んだじゃない。とってもかわいいわ」
「……ううぅ…!!」

クリーム地の生地に大柄の赤い椿がちりばめられた浴衣に赤い帯。そんな、かわいらしさに全振りした浴衣を着た自分を姿見の前で見つめながら顔を青くしたり赤くしたりしていた。ヘアスタイルも浴衣に似合うようにアップにすることになり、編み込みしてお団子にして、仕上げに耳の横に大き目の花飾りをつける。もちろんメガネも前髪もナシだ。何ならうっすらお化粧まで施され、色付きリップまでしている。ああ、恥ずかしい。けれど最高に気合が入っている。

「行ってらっしゃい!楽しんできてね。菊池原くんによろしく」
「いいいいってきますうぅ」
「緊張しすぎて転ばないようにね!…気を付けて!」

何度か後ろを振り向きつつ、慣れない下駄をカランコロンと響かせながら歩き出した。ちらりと通りすがりの家の窓を見て自分を映してみる。自分だとは思えない浴衣姿の女の人が映っている。ああ、今から私は夏祭りに行くのか。うちわで扇いでみたりして、風情を感じつつ下駄を鳴らした。


待ち合わせ場所へ着くと身目麗しい浴衣姿の男女や子供がたくさん、それはたくさん居て私はぽつんと取り残されたようだった。三門市で一番大きな花火大会なのだから相当の人混みを予想していたが、まだ会場から離れているのにこれとは。居づらいしそわそわしてしまうし、帰りたいとさえ思ってしまった。ちらりとスマホを見てみたが菊池原くんからの連絡はない。この人混みの中会えるのだろうかと一抹の不安を抱いていると、トントンと肩を叩かれてひえっと声が出た。

「きっきききくち……じゃない。佐鳥くん……!?」
「やっぱ蒼井だ!違う人だったらどうしようかと思ったけど、あっててよかった!まさかこんなところで会うなんてなー!」

菊池原くんかと思って慌てて振り向くと、甚平姿の佐鳥くんが笑顔で話しかけてきたのだった。こんなところでボーダーの人に会うなんて。恥ずかしくてうつむいてしまう。まあ、こんな大きな花火大会なのだから知り合いの誰かには会うだろうと思っていたが。佐鳥くんは広報の一環で何やらステージに出るらしい。さすが有名人だ。

「で、蒼井は菊地原とデートってことね。声かけたの菊地原じゃなくてごめんなっ」
「ぜ、全然!こちらこそ早とちりしてごめんなさい…」
「菊池原の奴、こんなかわいい蒼井待たせるなんてダメダメだなー!」
「うえっ。か、かわ……そそそんなこと…」
「いや、今日の蒼井は誰が見たってかわいいから!自信持てって!」

そうまくし立てて言われてしまい、縮こまっていると、せっかくだしツーショットで記念撮影したいな!と言って佐鳥くんがスマホを取り出した。つつツーショット!!みんなのヒーロー嵐山隊の佐鳥くんと!!私はブンブンと首を振る。

「ええっ、そんな、有名人の佐鳥くんとツーショットだなんて…!!ふふふファンの方々に怒られる、よ…!!」
「別にSNSに載せたりしないからだいじょぶだって!はい行くよ〜」

止める間もなくカメラを構えた佐鳥くんに戸惑っていると、聞きなれた声が聞こえた。

「ちょっと佐鳥、何してんの」
「あっ、菊池原く………」

どこか不機嫌そうな、というか不機嫌をあらわにして割り込んだ菊池原くんは藍色の浴衣を着ていて、髪を丁寧にひとつくくりにしていた。どっこんと心臓が大きく鳴る。あまりのかっこよさに口をぱくぱくしていると、佐鳥くんがスマホを持ったままお手上げのポーズをした。

「…げっ、彼氏殿のお出ましかあ。ごめんって、別に記念撮影しようとしてただけじゃんか。そんな凶悪な顔しないでよ菊池原〜」
「……とっととオシゴト行ってくれば。行くよ瑠花」
「え!あ…ご、ごめんね佐鳥くんっ。お仕事頑張って…!」

ぐいっと手を引かれるがままによろけながらその場を去る。佐鳥くんが少し呆れたような表情でひらひらと手を振っていた。

「…待たせてごめん。人混みすごくて」
「う、ううん。大丈夫…」
「じゃなかったでしょ。佐鳥がいたからよかったものの…いや、よくはないけど。…遅くなってほんとごめん」

珍しく丁寧に謝られ、調子が狂うというか、動揺してしまう。大丈夫、と何度も同じ言葉を繰り返した。確かにちょっと居づらかったし怖かったけれど、気に病むことじゃないのに。

「…そんなに可愛くしてくるのは予想外だったから」
「へっ」
「ナンパとか、されかねないし。…絶対離れないでよね、人混みではぐれたら探すの面倒だし」

握ったままの手に力を込められて再び心臓が大きく音を立てる。褒められたり優しくされたりで、もう、すでにキャパオーバーである。しょっぱなからこれって、私の心臓に悪すぎますよ菊池原くん。生きて帰れるのか不安になってきた。

「……遅れたおわびになんかおごる」
「えっ、い、いいよそんなの、ほんと、気にしなくて…!!」
「…うるさいなあもう。りんご飴?かき氷?どっち」
「えええ…!じゃ、じゃあ…りんご飴で…」
「はいはい。行くよ」

手を引かれて歩き出したのだが、慣れない下駄で追いつこうとして早速つまずいてしまった。倒れそうになって慌ててたてなおすと、振り向いた菊池原くんが立ち止まった。

「あの…えっと、ごめん…」
「…いや。ぼくこそごめん。…ゆっくり歩くから」
「…う、ん」

いつにも増して優しい気がする。今日の菊池原くんはなんだか調子狂うなあ、と思いつつ、おとなしく一緒に歩いてもらった。その間も手はつないだままで、きっと私の心臓がうるさいのなんてお見通しなのだろうと思うと、また恥ずかしくなった。

「りんご飴ありがとう…!」
「ん」

手に入れたりんご飴をちろりと舐めつつ、他にはどんな屋台があるのだろうと無駄に透視を使ったりしながら眺めていると、ある屋台を見つけて思わず声が出た。

「あ!」
「何?」
「射的があるみたい…!」
「…ああ、射的ね。やりたいならやってくれば?」
「い、いいの…!?」
「別に急いでないし、いーよ。どこ?」
「えっと、ちょっと遠いけど…迷子センターの向こう…」
「いや迷子センターすら全っ然見えないんだけど」

菊池原くんの許可を得てぱああと表情を輝かせ、りんご飴を消費しつつ屋台を目指す。残った飴を菊池原くんに預けていそいそと近づくと、屋台のおじさんがにっと笑った。

「おう、かわいいお嬢ちゃん、やってみるかい?一回五百円!」
「…お、お願いします…!」
「よっしゃ、まいど!」

イーグレットより随分軽い銃を手渡された。イーグレットよりもこじんまりしていて、遊び程度のものだとすぐに分かった。しかし標的が普段と比べてこんなに目の前だ。もしかして楽勝なのではといつになく強気に考えてどきどきしながら、菊池原くんを見た。

「菊池原くん、どれがいい…!?」
「……普通立場逆だよね、これ。まあいいけど…じゃああの腕時計」

指し示されたのは、一番遠くかつ一番小さい、パッと見た印象では一番難しそうな景品だった。こんな射的の景品とは思えないような高級そうな腕時計の箱が鎮座している。

「まあ瑠花には余裕だよね?獲れなかったら罰ゲームね」
「ええっ。…が、がんばる…!」

浴衣の袖をたくしあげ、台にひじをついて狙いを定める。いくら小さく遠いとはいえ、普段の狙撃と比べれば簡単だと高を括って引き金を引いた。すると当たったものの落ちらず景品をもらえない。落とさないとだめだという趣旨をわかっていなかった。もう少し違うところに当ててバランスを崩せばいいのだろうか。よく狙い、もらった弾がなくなるまで夢中になって当ててみるが、どれも命中したのに落ちてくれず、がっくりと肩を落とした。すると一部始終を見ていたおじさんが豪快に笑いだす。

「いやあ、うまいな嬢ちゃん、驚いたよ!全部当てたのは初めてだよ。ほらよ、おめでとう」

抱き枕くらいの大きさのうさぎのぬいぐるみを手渡されてぱちくりと瞬きさせる。おじさんは親指を立ててさわやかな笑顔で見送っている。ありがとうございます、すいませんとぺこぺこしながら菊地原くんにぬいぐるみを見せようと振り向くと、そこには菊池原くんがいなかった。

「あれ…」

慌ててその場を離れてきょろきょろと周りを見渡すが、その姿はない。隣の焼きそばやさんとベビーカステラのお店を覗いてもいなかった。どこに行ったんだろう。夢中になって時間をかけてしまったからお手洗いかもしれないし、喉が渇いて飲み物を買ってきているのかもしれない。すぐに帰ってくるのだろうか。

「…菊池原くん……」

ぼそりと呟いてみるが、にぎわう人混みに声はかき消されて途端に不安になった。ぬいぐるみを持つ手に力がこもる。ど、どうしよう。とどまって帰ってくるのを信じて待っていたほうがいいのか、それとも探しに行ったほうがいいのか。そうだスマホで連絡を、と思いついたとき、名前をよばれてハッと顔を上げた。

「瑠花!」
「…!ど、どこにいたの…!?」
「トイレ行くって行ったじゃん、バカ!返事したよね?どうせろくに聞いてなかったんでしょ」
「え、そんなの…い、言われたっけ…」
「言ったってば!」

射的に夢中で全然聞いていなかった。それならそうともう少し念入りに言ってくれれば、と思ったが、安心して反論する気にはなれなかった。

「ど、どうして見つけられたの?」
「電話して、瑠花のスマホのコール音辿って見つけた」
「へ…この人混みの中を?」
「ぼくの耳バカにしてんの?」
「しし、してない!よ!」

私だって自分のスマホが鳴っていたことに気づいていなかったのに、菊池原くんはそれを聞き取って追いかけてきたのか。つ、強すぎる。着信音、菊池原くんの好きな曲にしておいてよかった。

「はあ、で、獲れたの」
「獲れなかった…けど、全部当てたから、慈悲を恵んでいただきました…!」
「…ふーん。よかったね」
「うんっ」

狙っていた腕時計とは全く違うがうさぎのぬいぐるみを見せると、こいつのせいではぐれたようなもんだけどねと言って垂れた耳をみょーんと引っ張られた。ところで預けていたりんご飴は待っている間に速攻で食べ終わったらしい。私が買ってもらったのに、そして何より食べかけだったのに。

しっかりと手をつないで人混みをすり抜けながら、逆走して並ぶ屋台から遠のいていく。これから目星を付けていた花火を見る場所へ行くのだ。少し遠いから人は少ない、それでも毎年家から遠く離れた花火を目を凝らして眺めていた私にとっては近すぎるくらいだし、菊池原くんは爆音を至近距離で聞かなくて済むからちょうどいい。

「…えっと、ほんとに大丈夫?花火、無理して見る必要は…」
「無理してない。話し合って場所決めたし、…楽しみなんでしょ?」
「っ、うん」
「じゃあいい。…ぼくも楽しみ、だから」

私を見ることなくそう言った菊地原くんが、花火より瑠花の心臓がうるさいかもね、なんて少し笑って言った。そうかもしれない。密かに憧れていた花火を菊地原くんと見に行くという素敵な思い出を作ることに、胸が高鳴ってしょうがないのだから。夏休みはまだまだこれからだ。まずは花火が煌めく夏の夜を、迎えに行こう。


さあ夏を呼んでハミング


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