ボーダーにおいて、トリガーの故障なんて、めったに起こることではない。定期的に素晴らしいエンジニアの方々が点検して、いつ何時も不具合のないように手入れが行き届いているはずだ。そうでなければ、危険が見に及ぶことだってあるからだ。もしトリオン体が戦闘中に解けたりなんかしたら、最悪な事態になってしまいかねない。だからこそ、トリガーの点検は最重要事項だ。
それなのに。私の目の前で、あるはずのないトリガーの故障が起きたのだ。

「どうしたの、さっきからぼーっとしてるよ?まあ、そんな顔も可愛いけどね」

だ…誰ぇぇぇぇ!?
私は心の中で全力で叫んでから、口をパクパクと開け閉めする。その様子はきっと間抜けなものだろうが、目の前の菊地原くんもどきは、自分を凝視する私を見てくすっと優しく微笑む。この時点で明らかにおかしいのだが、それから固まる私におもむろに手を近づけ、ほっぺをつついた。ちなみに風間さんと歌川くんの前である。ぎゃああああ!!!

「完全におかしいな。どうだ、三上」
『やっぱりそうです。トリガーに異常が見られます。トリオン体自体に物理的な異常はないみたいですが…』
「中身違う人に入れ替わってるんじゃ…?」
『いえ、本体は菊地原くんに間違いないわ。精神だけがうまく換装できてない…のかな、こんなの初めてでよくわからない…』
「そっそそ、そんなことって………」

内線で告げられる”トリガーの異常”に動揺が隠せない。こんなことってあるんですか。まさかの事態なんですが。そしてよりによって、菊地原くんがこんなことに。普段少しばかりひねくれた性格で、___一応、たぶん、まがりなりにも__彼女である私にさえごくたまにしか好意を表さないような彼が、こんな、こんな。

「さあ、防衛任務行きましょうよ。今日もみんなでがんばろう、風間さん、歌川、瑠花」

いつも防衛任務の開始時は、めんどくさ、早く帰りたい、あーあ仕方ないなあと毎度のように文句を垂れる、あの菊地原くんが。こころなしか瞳をきらきらさせてやる気に満ち溢れた様子で、みんなでがんばろうだなんて。私たちは顔を見合わせた。これは確かに異常事態だ、と。

『トリガーを解除すればもちろん戻ると思うんだけど、それじゃあ任務が出来ないし…』

三上先輩が三人だけに内線を繋いでそう言った。私はトリガーの故障ならばほかにも連鎖的に不具合が出てはいけない、と考えて発言した。

『きょきょ今日だけ菊地原くんにはお休みしててもらっても…』
『いや。トリオン体に異常がないならこのままでも任務に支障はないはずだ。このままで構わない』
『えええっ』

思わずばっと風間さんの方を見た。風間さんは相変わらずのポーカーフェイスだが、どこか楽しそうであるようにも見える。

『風間さん完全に楽しんでますね…?』
『楽しまないでどうする、貴重な体験だろう。三上、頃合いを見て動画を撮っておけ、もとに戻ったときに見せる』
『了解しました』
『うわ、それ、あいつたぶんしばらくボーダー来ませんよ…』

鬼か!とさすがの私も思った。菊地原くんの意識が今どうなっているかは定かではないが、どっちにしろこんな状態であったときの動画を撮られていたらそれはもう荒れるだろうと確信した。

「…どうしたんです?みんな固まって」

先に進んでいた菊地原くんがくるりと振り向く。何もない、と風間さんが動き始め、歌川くんも後を追う。取り残された私は、ため息をひとつついて狙撃に向かった。どうなることやら、嫌な予感しかしない…。




どうやら心配は杞憂に終わったようだ。目立ったミスはなく、いつものように任務を終えた。中身は多少おかしくなっていても、菊地原くんは菊地原くんだ。いつもの鮮やかなまでの戦闘は健在だった。

「いやあ、がんばった後は気持ちがいいですね」

シフトの時間が終わり、もうあとは作戦室に戻るだけだ。戻る間歩きつつ話し出した菊地原くんだが、声も姿も菊地原くんなのに、発言がいつもと真逆すぎて違和感が半端ない。そうだな、なんて相槌を打つ風間さんが白々しい。私はというと、嘘をついているわけでもないのに変にどぎまぎしてしまい、普通に接することができない。もはや菊地原くんじゃない、菊地原くんもどきにコミュ障を発揮していたのだった。

「…さっきから黙ってるけど、瑠花、どうかした?今日様子が変だ…体調悪いとかそんなんじゃないよね」
「えっ、べ、べべ別にそんなことないよ……」
「…本当に?」

なんでそんなに疑ってくるのおお!というかなんか距離近くないですか、心臓に悪いので早くいつもの菊地原くんに戻ってほしいと切実に思った。無意識にちょっと早歩きになってしまい、菊地原くんはまたそんなところにも反応した。

「…もしかしてぼくを避けてる?さっき歌川とは普通に話してたよね」
「そそそそんなことない!そうじゃなくてっ、」

勢いよく振り向いたらしゅんと肩を落とした菊地原くんと目が合った。さながら、主人に構ってもらえない犬か猫のようである。普段見せないようなその可愛すぎる態度に私の心臓はさくっと射抜かれてしまった。正直鼻血出るかと思ったくらいだ。

「…ぼく、何かしたかな」

自信なさげに尋ねる菊地原くん。再び確認しておくと風間さんと歌川くんの前である。私の顔は見たこともないくらい真っ赤に染まっていただろう。気を利かせようとしたのかはわからないが私たちより先に行って少し距離をとる風間さんと歌川くんだったが、視線を感じるのでおもしろがって見守っているのだろう。はずかしぬ……!

「な、なんにもしてない、避けてない!ただ、あの、いつもと違うから、調子が狂うといいますか、その…」
「…ぼくはいつも通りだよ」

どこがぁぁぁ!!?と全力で突っ込んだのはもちろん心の中でだ。まずい、非常にまずい。一刻も早く作戦室に戻って菊地原くんのトリガーを解除させなければ。私の心臓的にも、菊地原くんの黒歴史的にもまずい。そう思ってぱっと菊地原くんの手をとり、引っ張って歩き出した。恥ずかしさは増したが、背に腹は代えられない。とにかく早く帰ることを優先せねば。

「ははは早く帰ろ…っ!」
「……瑠花」
「ふぁいっ!?」
「…ドキドキしてるんだ?」

思わず振り向いたら、心臓の音、と指摘してなぜか嬉しそうに笑う菊地原くんの笑顔を目の当たりにして立ち止まってしまった。何だこの笑顔は。こらえきれないような満面の笑みである。あー、すきだなあ。なんて、握った私の手にぎゅっと力を込めてそう言うものだから、私はくらりと眩暈がした。も、もうだめだ。キャパオーバーである。

「べ……、ベイルアウトぉぉぉっ!!」
「え?ちょ、瑠花!?」

「逃げたな」
「いやあれは耐えたほうでしょう…」
『き、菊地原くん、大胆……』

耐えられなくなった私は星となって飛んで行った。ベッドに落とされた私はうつぶせになって心を落ち着けようとしていたが、菊地原くんのレアすぎる姿が目に焼き付いてしばらく忘れられそうにない。




その後帰ってきてトリガーをあっさりと解除し、性格が元に戻った菊地原くんは、幸か不幸か、意識はちゃんとしていて記憶もしっかり残っていた。ついでに一部始終の録画もばっちりされていた。菊地原くんはもちろん瞬時に行方をくらまし、私はその後三日間、口をきいてもらえなかったのであるが、痴話げんか中だというあらぬ噂がボーダーに流れてしまい四日目にやっと会話が成立した。

「…あのさ」
「な、なな、なんでしょう……」
「…………どっちがいいの」

この前のと、いつもの。いつもより言葉少なに、ぶっきらぼうにそれだけ聞かれた。何の話だかさっぱりだったが、つまりどっちの性格の菊地原くんが好きなのかと聞かれているとやっと理解してすぐさま答えた。

「いつものっっ」
「……物好きな奴」

あんな甘ったるくて優しすぎる菊地原くんは心臓が持たない!と思って勢いよく言うと、菊地原くんは何度か瞬きして、短く呟いてからどこかへ行ってしまった。そのときちらりと見えた耳が真っ赤に染まっていたので、なんだか恥ずかしくなって私も同じように顔を染め上げたのだった。


ぼくのふざけた愛がきみの心臓を刺す前に


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