必死で走って走って、たどり着いた目的地。家が大きく倒壊してがれきが積み重なっている。逃げ遅れた子供はその中で泣いている。
ぜえはあと荒い息で呼吸が苦しいが、前より体力がついている気がするのはきっと気のせいじゃない。風間隊のみんなで週末持久走をトレーニングとしてこなしていたのが今役に立つとは。とにかく連絡を、と思って内線をつなごうと声を絞り出す。

「こ、こちらっ、蒼井です…!あのっ、どなたか!」

そこまで言ってから気が付いた。もうトリガーを解除しているので、通信がないのだ。考えてみれば当たり前のことで、なぜ思いつかなかったのだろうと思うくらいだ。助けを呼べないならとがれきをどかそうとしてみるが、生身の力ではびくともしない。絶望して数歩下がった。
中に助けを待っている人がいるのはわかっているのに。視えるだけでは何もできない。じわりと涙がにじむ。結局何もできないのか、私は。

「……ううん。まだ。しっかりしなくちゃ、瑠花!」

そう自分に言い聞かせた。諦めたらだめだ。助けを待って泣いている子供のために。私が泣いていてどうする。泣くな。泣いている場合ではないのだ。
仲間が呼べないなら、私から呼びにいけばいい。近くにいる隊員を探して、呼びに行こう。少しの間ここを離れないといけないけれど。
中の子供に聞こえるように、できるだけ近くに寄って叫んだ。

「だいじょうぶっ!?」

子供の声はここからでは聞こえづらい。代わりに目で視て、私の声に気が付いたことを確認する。

「た…助けを呼んでくるからね!待っててね!絶対に、助けるから、安心して!!」

泣いていた子供が泣き止んだのがわかった。中はどれだけ閉鎖的でこわいことだろう。子供もがんばって耐えている。早く隊員を呼ばなくては。邪魔な前髪を手で払い、視線を巡らせると、あたりにちらほらと霊が漂っているのをクリアに視てしまった。

「っ、うぅ…!」

前髪も眼鏡もなしでダイレクトに視たのはいつぶりだろうか。なぜかこの付近はいやに多い。思わず目を覆いたくなる。背筋に寒気がして、こわい、と強く思う。

「…しっかりしなきゃ!」

でも、気にしてなんかいられない。負けるな私。乗り越えるんだ。弱いままは、もういやなんだ。ぐっと歯を食いしばって前を見据えた。
隊員を探すが、しかし間の悪いことに誰も近くに見当たらない。確かにすこし辺鄙な地区ではあるが、警戒区域のすぐ外で、一人や二人くらい隊員が向かっていてもおかしくない場所なのに。
南西部に行けば隊員がいるのを視つけたが、ここからじゃ遠すぎる。あまり遠いと、私が移動するのに時間がかかりすぎるしその間に隊員が移動してしまうおそれもある。さらにはここにトリオン兵がやってこないとも限らない。
どうしよう、と少し焦りが出てきたとき、本部から隊員が一人、こちらに向かっているのが視えた。あれは!

「菊地原くん…!?」

菊地原くんだ。髪を結んだ菊地原くんがどこかに焦った様子で向かっているのだ。どこか目的地があるのだろう、一心不乱に走っている。とにかく、菊地原くんをここに呼ぼう。何かやることがあるかもしれないけど、ワガママでもここに来てもらおう。それですべてが解決する。すうと大きく息を吸う。

「菊地原くんっ!!」

さすがにまだ菊地原くんは気づかない。必死そうな表情で、もしかしたらあまり周りの声が耳にはいっていないのかもしれない。どうしたら彼の耳に届くだろうか。もっと、もっと何度も叫ぼう。気づいてくれるまで。

「気づいて!お願い!!」

すると菊地原くんが立ち止まった。すごい。まだどれだけ距離があるというのだろう。それなのに聞こえるものなのだろうか。これならいけると確信する。菊地原くんは立ち止まって方角を決めかねているように視える。まだだ。もう一度。
届け。菊地原くんに、届け。

「菊地原くん!!!」

その瞬間、ばきばき、という倒壊音が聞こえて振り向いた。私の声が聞こえてしまったのだろう、モールモッドが一匹、紛れ込んできたのだ。ひゅっと息をのむ。モールモッドって、こんなに大きいものだったっけ。こんなに、鋭利な刃を持っていたっけ。がたがたと足が震えだす。心臓なんて、すでに壊れそうなくらい鳴っている。
逃げなきゃ。その一心で後ずさりしたら足がもつれて転んでしまった。するとその直後頭上をひゅんっとモールモッドの鎌が通り過ぎる。もし今転んでいなかったら斬られていただろうと思ってゾッとする。しかしそのとき足を挫いてしまったらしく、鈍い痛みが足を襲う。立って逃げなくちゃと思うのに、体が言うことをきかない。
モールモッドは戦闘用トリオン兵、鋭い一撃をまともに受ければ、トリオン体でもない生身の今、即死なのは間違いない。
死をこんなにリアルに感じたのは二度目だ。一度目は、ボーダーに入隊する前。あのときはちょうど現れた太刀川さんと出水先輩に助けてもらったのだ。今回はあのときのようにタイミングよく誰かが駆けつけることはないだろう。
それでも。まだ、諦めない。死んでたまるもんか。子供を救いだすのを見届けるまでが、私の役目だ。私を見下ろすモールモッドの目。怖くて怖くて、それでも声を絞り出して、力の限り叫んだ。

「助けて…、菊地原くんっ!!!」

私の声に呼応するように、モールモッドが足の鎌を振り上げる。目を逸らせない。やけにゆっくりと、スローモーションのように感じる。ああ、助けてくれなくてもいいから、もう一度会いたかったなあ、なんて考えながら、鎌が振り下ろされるのを覚悟した。

「シールド!!」

その瞬間、ガキンっと音を立てて私の目の前に貼られたシールドがモールモッドの斬撃を防いだ。もちろん私はトリオン体ではないのだから、シールドなんか使えない。ということは。おそるおそる振り向くと、ちょうど菊地原くんが私のもとにたどり着いたところだった。

「蒼井っ!!」

本当に来てくれた。また、会えた。
安心したらぼろぼろと涙がこぼれていく。よかった。まだなんとか生きている。

「き、きく…」
「10秒待って」

菊地原くんはそれだけ言い残してモールモッドに立ち向かって行った。本当にものの数秒でやっつけてしまい、その鮮やかさにぽかんとしてしまった。戦いが終わると、菊地原くんは私の元に駆けつけた。

「この…バカ!!生身でこんなところで何やってんの、僕が間に合わなかったら…今の、死んでたよ!!」

駆けつけるなり怒鳴られた。びくっとして菊地原くんの顔を見ると、泣きそうな表情をしていた。はじめて、見る表情だった。ごめん、と、思わず無意識に言ってしまった。

「…無茶すんなって言ったろ…!!怪我は!?」
「わ、私はいいから、菊地原くん、子供を助けて…!!」
「…子供?」

この中に閉じ込められてるの、と必死に伝えてがれきの中を指差す。菊地原くんはそちらに目を向けると、本当だ、聞こえると呟いた。

「どいて。危ないから退がってて」

分かったと答え、足が痛くて立ち上がれないが、ずりずりと体を移動させる。菊地原くんはヒョイッといとも簡単にがれきを持ち上げ、撤去する作業を始める。脱出口が出来るまで時間はかからなかった。菊地原くんが中に入って、泣いている子供をおんぶして出てくる。心底安心して胸をなでおろす。

「子供は無事。どこも怪我もないみたいだし、元気すぎてうるさいくらいだよ」
「よ…よかったぁ…!!」
「シェルターに避難させなくちゃ。蒼井ついてきて」
「…そ、それが、そうしたいのは山々なんだけど、…足挫いちゃって…」
「……ほんとバカ」

返す言葉も見つからない。すいません、としゅんとして落ち込むしかない。私は気にせず避難させてあげて、と言うと、菊地原くんは内線で何やら誰かと話し始めた。

「…歌川呼んだから。冬島さんのワープで僕のとこにすぐ来れるって」
「……そ、そっか…」

菊地原くんが子供を降ろすと、子供はぐすぐすと鼻をすすりながら、私のもとへ少しふらつきながらトコトコと歩いてきた。そしてつたない言葉で必死に伝えられた言葉は、おねーちゃんありがとう、だった。その一言で報われたようだった。私でも、守れた命がある。嬉しくて、あふれた涙をぬぐった。

「待たせた!蒼井、無事でよかった!!」
「う…歌川くんっ!」
「子供を助けたんだってな、よくやった!俺がシェルターまで届けるよ」

冬島さんのワープで現れた歌川くんが子供をひょいと抱っこする。子供はもう泣いてはおらず、涙をぬぐって歌川くんにつかまった。歌川くんに任せておけば、子供のことはもう安心だ。走り出す歌川くんを見送っていると、菊地原くんが私の前で腰をかがめた。きょとんとしていると、菊地原くんが言う。

「早く乗って」

乗って、ということは、つまりおんぶして連れていくということだと、すぐに理解した。

「…え、ええっ!私が!?いや、ええっ、そんないいよ悪いよ…っ!」
「つべこべうるさい、足挫いて立てないんでしょ?仕方ないじゃん。本部の医務室まで連れて行ってあげるから。早く」

急かされてパニックになるが、菊地原くんにおんぶしてもらうだなんて、恥ずかしいし私生身だし重いしで本当いたたまれないのだが、こうでもしないと移動できそうにないのでお願いするしかない。がっくりと諦めて、おずおずと体を預ける。

「…ううう…お、お邪魔します…」
「立つよ。ちゃんと捕まってて」
「う、うん」

ひょいっと立ち上がり、歩き始める。ああ、申し訳なさが半端じゃない。ごめんね、とか細い声で言うと、菊地原くんがつぶやくように言った。

「…いきなりトリオン反応が途絶えたっていうから、まさかワープで飛ばされて連れていかれたのかと思った」
「あ…ご、ごめん、あれは…」
「……心臓がどうにかなりそうだった。本当に…心配した」

そう言った菊地原くん。らしくない発言だ。それほど心配させていたのだ。私はしばらく黙っていたが、おそるおそる口を開いた。

「私、勝手なことしてまで子供のもとに駆けつけたけど…でも、生身じゃ何もできなくて。もう無理かもって思ってたけど…そんなとき、菊地原くんが視えたから、希望が湧いてきて。菊地原くんに声が届きさえすれば、きっと私の代わりに助けてくれるって、信じてたから…。私に気づいてくれてありがとう。来てくれて本当にありがとう……」

ゆっくりとそう言い、最後は震える声でつむぐ。また泣きそうになってしまうが頑張って止める。耳元で泣かれたらうるさいだろう。
菊池原くんはしっかりと地面を踏みしめながら、当たり前だよ、と言った。

「そんなの、当たり前だよ。……どこにいたって、どんなにか細い声だって、蒼井の声なら聴こえてる。たとえ誰も気づかなくても、ぼくだけは、聴こえてるから」

ああ、そうだ。菊地原くんは最初からそうだったのだ。誰にも気づかれないようなひとりぼっちの私のことを、最初から気づいてくれていた。私の声を聴いてくれていた。私を見つけてくれていた。いつだって、そうだったのだ。

「ちょっと、なんで泣くの。…もしかして足痛む?もっとゆっくり歩こうか?」
「…ううん、…菊地原くん」
「何?」

菊地原くん、ともう一度呼ぶ。そのたびに返事をしてくれる。ああ、もう、私。
「だいすき」

ぎゅう、と菊地原くんの首に回す手に力を籠める。どくどくと鳴る心臓の音はたぶんまるごと伝わってしまっている。ラブとライクの境界線なんてわからない、未だにわからないままだけど、今溢れるだいすきを伝えたくてしょうがなかった。ぶっきらぼうで不器用で、素直じゃないけど誰より優しい菊地原くんが、ぜんぶ。
だいすき。



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