かけがえない存在
朝、目覚めて。顔を洗うとき、鏡で見た自分の顔が、いつもより疲れているように見えた。
昨日、たまっていた書類を夜遅くまでしていたからだろう。そのせいで睡眠時間は少なかったから、目の下に出来たうっすらとした隈は仕方がないことだ。そのせいで、ほんの少しやつれたように見えるだけだ。
それだけだ。


「…ふぁあ」


あくびを一つ大きくして、着替え、食堂に行く。食堂では隊士達がのろのろと朝食をとっていた。
朝食をもらいに女中らの元へ行く。美紀が納豆と白米と味噌汁とマヨネーズをお盆に起き、俺に出した。


「おはようございます副長」

「あァ」


いつもなら一言や二言交わす言葉も今日はなく、あいさつだけして、歩き出す。そこでお盆の上にひとつ足りないことに気がつき、振り向く。


「おい美紀、箸がねェぞ」

「…え、すみません。忘れてたみたいで」

「手で食えっつーのか。しっかりしろ」

「副長ならいけますって」

「おいこら」


美紀から箸を受け取り、席につくと近藤さんがお盆を手にこちらへ来た。


「おーいトシ、おはよう」

「…あァ、近藤さん。おはよう」

「あっれー!?トシ、朝っぱらからなんて顔してるんだ!まるでマヨが切れた時みてェだぞ!元気だして行こう!ほら、メシだぞ!」

「…んな顔、してるか?」

「してるな」


マヨならある、きれてねえ。当然だ。美紀は新品のマヨを出して来たらしく、減っていない中身を確認した。だから、そんな顔はしてねェ、はずだ。


「…やっぱり、みんな元気ないなー」


食堂を見渡した近藤さんが無理に明るく言う。


「理御ちゃん…いなくなっちまったからなあ」


ぴくりと眉を動かす。何も言わず、箸を取って飯を食い始めた。

理御がいなくなって早くも一週間。理御がいないという事実が、毎日毎日朝っぱらからいとも簡単に、俺の、いや隊士達全員の調子を悪くする。
理御は朝食のとき食堂で会う隊士一人一人におはようと声をかけていて、それが日課だった。それがないと朝という感じがしないらしく、隊士は毎朝覇気がない。
俺は___どうしても、朝起きて襖を開けた時。食堂での朝食のとき。その姿を探してしまう。そしていないことをまた知らされるのだ、わかっていたことでも。
一週間たっても全く慣れる気配はない。
ぶちゅぶちゅといつものようにマヨネーズをぶっかけても、その味はいつもより淡白に感じられる。眉を潜めて掻き込んだ。


「おーいお前ら、理御ちゃんがいなくて寂しいのはわかるけどよォ、ちゃんと元気だせ!仕事も張り切ってやれよー!」


近藤さんがそう声を張り上げると、やる気のない返事がかえって来た。近藤さんは苦笑して朝食を平らげた。近藤さんだって、俺達と同じ気持ちだ。無理に元気を出そうとしているのは丸わかりだった。


「ごっそさん。じゃ、残りの書類片付けるわ」

「おう、…あ、トシ。とっつぁんからまた書類回って来てよ…」


マジでか、と内心嘆きたい思いだが、いつものことだ。分かったと返事をした。しかし近藤さんはまだ言いたいことがあるようだ。


「その、補佐いないけど…大丈夫か?仕事。一人で終わるか?」


近藤さんが言葉を選びながら言う。補佐である理御が書類を手伝ってくれていたからスムーズに終わっていた仕事も、一人では大変になってくる。しかし、他の隊士が代わりに補佐になるというのは耐えられなかった。俺の補佐は理御だけだ。


「まあ、なんとかなんだろ。心配いらねえよ」


そう答えて、その場を後にした。歩きながら煙草の箱に手を伸ばしたが、なんともタイミング悪く、煙草は一本も入っていなかった。カラになった箱を見つめて大きく舌打ちして、ため息をついた。


*


「終わらねェ」


甘く見ていた。なくなりそうでなくならない書類をパラパラとめくり、ごろんと寝転がった。少し休憩だ、煙草は山崎に言いつけたがいつ来るかわからねェし。喉渇いた。


「理御、茶ァ飲むか___、あ」


は、と気づいて口を噤む。馬鹿か俺は、理御はもういないのに。
さびしさや虚しさが頭を占めて書類に集中出来ない、これじゃあなかなか進まないわけだ。胸にぽっかりと穴が空いたようだ。寝転がってぼうっとしていると消失感がむくむくと湧き上がり、それと同時に理御と過ごした日々が思い返された。

今思えば優秀な補佐だった。今さら惜しくなる。しかし、理御の幸せのためだ。これで良かったんだ、くよくよするな。
今ごろ、父親と母親と、楽しくやっているのだろうか。そこまで考えて、手を額に当てる。いつから俺はこんなに女々しくなっちまったんだ。嫌になる。


「…っあ"ー」


がしがしと髪を掻き毟る。すると襖ががらりとあいた。


「お茶お持ちしました、副長」


湯のみが乗ったお盆を持って、そこにいたのは美紀だった。


「大丈夫ですか、副長。お手伝いしましょうか?」

「いや、茶を持って来てくれただけで十分だ」

「そうですか」


美紀は立ち去るのかと思いきや、その場に座った。何か用でもあるのかと聞くと、美紀は眉を下げて微笑んだ。


「理御の大切さが分かったでしょう?」

「…あァ、分かった」


理御は真選組にとっていなければならない存在だったと、身に染みて感じる。一週間たってもその思いは薄れない。薄まるどころか、強まる一方だ。時間は癒してくれないようだ。


「真選組にとって、どれだけ大きな存在だったか思い知った」

「違います」

「…あ?」

「副長にとって、でしょ?」


俺にとって、?


「どういうことだよ」


聞き返すと、美紀は真剣な顔で言った。


「副長、理御のことが好きなんでしょう?」


どくりと心臓が脈打つ。美紀の言葉は俺が求めていた答えだった。


「……………ああ………好きだ」


そうだ、俺は理御の事が好きなんだ。
たった一週間離れただけで理御の事しか考えられなくなっていて、理御がいないといけなくなっていて。いつのまにか、こんなにも理御の存在が俺の中で膨れ上がっていたんだ。理御が隣にいることが当たり前で、距離が近すぎてこんなことにも気づけていなかった。


「好きだ…」


口に出したら、顔が熱くなるのが分かった。なんだ俺は、中学生か。急に愛しさがこみ上げる。
会いたい。いますぐ会って、抱きしめたい。
あの、人懐こい声も、大きな目も、長いまつげも、長い髪の毛も、ほどよく筋肉がついた細い体ごと全部、まとめて抱きしめたい。
でも、もう、ここにはいない。
目を腕で覆う。ぐ、と下唇を噛む。
なんで今ごろ気づいたんだ俺は。なんでいなくなってから、その大切さに気づくんだ。遅い、もう何もかも。


「遅くなんてないです!」


美紀の声に覇気が宿る。腕を除けて美紀を見る。美紀の顔は真剣そのものだった。


「会いに行けばいいじゃないですか」

「…会いに」

「はい…!帰って来なくても、会えないわけじゃないんですんから」


考えても見なかった。会いに行くなんてことは。それでも起き上がらない俺の肩を掴み、揺する。美紀の目から涙がこぼれ落ちた。


「副長がしっかりしないと、みんな立ち直れないじゃないですか…!悲しいのは副長だけじゃないんですから!!」


そうだ、俺がしっかりしねェと。隊士達を元気付ける役目は俺のはずなのだ。俺がこんなにくよくよしていてどうする。
そして覚悟を決める。


「会いに行く。伝えてェことが山ほどあんだ、全部伝えて…けじめ、つけてくる」


立ち上がった俺を見上げて、それでこそ副長です、と満足そうに頷いた。







かけがえない存在

(でも、まだ認めたわけじゃないんですから…!理御は渡しません!)
(あァ?てめーのモンじゃねェだろうが)
(…何やってんでィ)
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