あるとき、エルヴィン団長からリヴァイ兵長に書類を届けるよう頼まれた。
兵長は私のあこがれ。私だけではない、全ての兵士のあこがれであることは間違いない。兵士としての姿だけでなく、男性としてもとてもかっこいいと思う。いろんな意味であこがれだが、雲の上の人すぎてただのあこがれでしかないのだ。
団長の直近の部下ではあるものの、私のような一介の兵士が人類最強の兵士であるリヴァイ兵長と接することは多くない。私を使って下さった団長に感謝だ。
兵長の執務室の扉をノックすると、返事がなかった。
「兵長、いらっしゃいますか?…失礼します」
不躾ながらも勝手に入ると、兵長がデスクに突っ伏して寝ていた。あわわ兵長のうたた寝中…!せっかくの休憩を邪魔してはいけない。メモを書き残して書類を置いてさっさと帰ろうとすると、書類をデスクにそっと置いた瞬間に手をがしっと掴まれた。
「うわっ!」
「……誰かと思えば、なまえか」
寝起きとは思えないほどぱちりと目を覚ました兵長が、三白眼で睨むように私を見た。すぐ腕を離されたが、手のあとがつくほど力が強かった。寝ているときまで警戒心を絶やさないとは、やはりすごい。さすがだ。しかし尊敬している場合ではない。ぱっと頭を下げた。
「もっ、申し訳ありません兵長!起こしてしまい…!」
「いや、いい。用なら起こして構わなかったんだが」
首を傾けてこきりと鳴らし、目を押さえる。よほどお疲れなのだろう。そこにさらに書類を積むのは、少し申し訳ないが、仕方ない。
「書類を団長に頼まれたので、お届けを…。それだけですので、私はこれで失礼します」
もう一度ぺこりと頭を下げて去ろうとすると、待て、と声をかけられて振り向いた。
「何かご用でも…」
「暇なら、紅茶を頼んでいいか。喉がかわいた」
「こ、紅茶…ですか」
「以前、エルヴィンからお前の淹れる紅茶は美味いと聞いたことがある。興味があるんでな」
そういえば、兵長は紅茶を好んで飲むと聞いたことがある。確かに私も紅茶は好きだし、紅茶を淹れることはできるが、そんなに特別な淹れ方なわけでもないし、期待に応えられるのかどうか心配だが兵長直々の頼みならばやるしかない。わかりました、と返事をした。
「何の紅茶にいたしましょう」
「……。これを頼む」
デスクの引き出しを開ける。きちんと整頓された引き出しの奥から出されたのは、小さめの紅茶缶。缶を見るからに高級感漂うそれは、いつも淹れる紅茶とは全く違うことが一目でわかった。
「ダージリンのマスカットフレーバー…これどうしたんですか!?珍しい高級な茶葉ですよねっ」
「分かるか?ああ、この前王都に行ったときに奮発した。そんじょそこらの茶葉とはちげェ、まあ飲んだことはねえんだが」
「私も飲んだことありません…!噂にはよく聞くのですが。これを淹れるんですね、わかりました!」
「それと、ここで淹れてくれねェか」
「ここでですか?わかりました」
作る過程を見たいからなのか、香りを楽しみたいからだろうか。とにかく、兵長の前で紅茶を淹れるならば気合をいれねば。鼻息荒く言った。
「美味しくできるかわかりませんが…精一杯、尽くしてみます!しばらくお待ちくださいね!」
紅茶の缶を抱きかかえるようにしてぱたぱたと出て行く。緊張するが、憧れの兵長に紅茶を飲んでもらえるだなんて、こんなに光栄なことはない。美味しくできますように。
「リヴァイー!なまえ知らないかい、って、なにこれすんごい良い匂い!!」
ガチャッと勢い良くドアが開いて、ハンジさんが入ってきた。私はちょうどティーポットをティーコジーで蒸らしていたところ。リヴァイ兵長はそれを眺めながらどこか柔らかい表情でマスカットフレーバーの良い香りを楽しんでいたが、ハンジさんを見るなりあからさまに表情を変えた。
「うるせぇぞクソメガネ…今いいところだ。騒ぐなら出て行け」
「何何、お茶会ー!?私もいれてよ!いいでしょなまえ!何の茶葉なんだい、すんごい良い匂いなんだけど!」
「ひときわ高級で珍しいダージリンです。ハンジさんもぜひどうぞ、美味しいですよきっと!」
「なまえ、何勝手言ってやがる」
兵長がぎろりと睨んでくる。俺の高級茶葉だぞ、と言わんばかりだ。しかし、二人分いれてあるから、問題ない。
「私の分を差し上げます。だったらいいでしょう?」
にっこりと笑うと、ハンジさんはきらりと瞳を輝かせた。兵長は眉間にしわを寄せる。
「優しいなあなまえは!茶葉をケチってるどっかの誰かと違って!」
兵長は舌打ちをして、私を見た。
「…俺はお前と飲もうと思ってたんだぞ、意味ねェだろうが」
兵長の言葉にどきりとする。しかし変な思考を飛ばすべく慌てて小さく首を振った。ただ、私と飲む予定だったからそう言っているだけだ、深い意味はないに決まっている。そう心の中で言い聞かせていると、兵長が紅茶缶を指差した。
「お前も飲め。ケチるつもりはねえし、紅茶は飲まねえと意味がねえからな」
「あ…ありがとうございます。では、二杯目作るときにいただきますね」
ちょうどそのとき、砂時計の砂が落ちきった。それを合図にして、ティーコジーをとる。するとハンジさんがあっと声をあげた。
「そういや、私なまえに用があったんだよ。上等の茶請けを王都でこの前買ってきたんだ、だから紅茶を淹れてもらって食べようと思って!持ってくるよ!」
そう言うと、ドタドタと出て行った。兵長がったく、うるせぇなと呟く。苦笑いしてティーカップに茶こしを使ってゆっくりと注いだ。ふわりとダージリンの甘い香りが部屋に広がる。色も綺麗に出ていて、おいしそうだ。
「なまえと二人で飲むつもりだったんだがな」
ふと兵長が呟いた。私はぱっと顔を向ける。
「余計なのが増えたから、予定が狂った」
「えと…多い方が、楽しいじゃないですか!」
「そういう問題じゃねぇよ。…この茶葉を買ったときも、お前と飲みたくて買ったんだしな」
「…どうして、ですか」
「……聞きてえか?」
ほんの少しニヤリとして兵長が私を見つめる。思わず視線を逸らしてそそくさと二つ目のカップに紅茶を注ぐ。どくどくと心臓がうるさい。兵長にあんな視線を向けられたのだから仕方ない。危うくこぼしそうになり、危ねえ、と言って兵長がすばやく私の手首を掴んだ。かあと頬が熱くなる。
そのとき、ハンジさんがドタドタと帰ってきた。
「たっだいまー!ほら見て、なまえ!マカロンだよ。お茶会に最適だろ!?」
「ダックワーズもあるよ。私の秘蔵のお菓子だったんだけど、この機会だ、皆で食べてしまおうか」
「…いつになくいい香りだ。このクッキーもやる」
後ろから二人、当たり前のようについて来た。私と兵長は驚いてぽかんとする。いつのまにか私の手首を離した兵長が呆れたように言った。
「ナナバとミケまでなんでいるんだよ」
「忙しそうなハンジが通りかかってさ。事情を聞いたから、便乗しようと思ってね。独り占めはよくないよ、リヴァイ」
「何の紅茶だ?なまえ」
「え、ええと…ダージリンのマスカットフレーバーです」
楽しそうににこやかに笑うナナバさんと、鼻をスンスンとさせながらのそのそと歩いて紅茶の缶を手にとるミケさん。なんでこんなに凄い方々が集まってくるのやら。私は緊張でほんの少し引き気味だ。
手土産はあるからいいだろう、というナナバさんに押し負けたリヴァイさんが舌打ちをすると、それをイエスととって二人もイスに座った。
ここまで増えれば、本当にお茶会だ。なんだか楽しくなり、ティースプーンでかき混ぜてまずは最初の一杯を兵長に渡した。
「どうぞ。まずは兵長から」
「ああ」
独特の持ち方で鼻に近づけ、匂いをたっぷりと吸い込んでから一口飲んだ。
「…美味い」
「おお、リヴァイにしては素直だ」
「次は私!もらうよっ」
「どうぞ。ハンジさん」
次の茶葉をティーポットに入れながら促した。こくりと飲んで、カップを離すと、メガネを曇らせたハンジさんが興奮気味に美味しいと言った。
その後はナナバさんとミケさんに振る舞い、私も飲ませてもらった。本当に美味しかった。おかわりを皆して、お茶菓子を食べながら世間話をしていると、突然ドアが開いた。
「リヴァイ、ちょっといいか。さっきの書類のことだが、……………何だね、皆揃ってお茶会でもしてるのかい?」
「だ、団長!」
「エルヴィンまで……」
「やあエルヴィン!一杯どうだい?」
「酒みたいに言わないでよ、ハンジ」
「うまいぞ、エルヴィン。なまえが淹れた茶だ」
結局団長も参加して、盛大なお茶会をがやがやと賑やかに過ごしたのだった。私は話しながら、まだ冷めない熱を持つ掴まれた手首を抑えて紅茶の香りを吸い込んだ。