サヨナラ世界

 
これくらい離れればいいだろう。森に降り立ち、魔方陣を描く。


「シトリー召喚」


光と共に現れたシトリーは、いつもの元気さはなく、浮かない顔で私を見た。


「帰るの?」

「うん。魔方陣を描くのを手伝って」

「……いいの?あんな別れ方で」

「いいの」


魔道書を開きながら、即答する。


「いい別れ方だったでしょ?渾身の演技だったんだよ。魔女っぽかったでしょ?」

「…そうね、ドス黒い魔女だったわよ」


くすくすと笑う。そっか、ドス黒かったかあ。迫真の演技だったもん。リヴァイさんを騙すのは大変だったし本当は辛かった。鋭い視線に射抜かれて、怯みそうになったけど、ぐっと堪えて負けじと見つめて。
裏切り、ということになるのだろう。ごめんね、あんな言い方して。でも真実なんだよ。私はリヴァイさんに惚れちゃいけなかったんだ。こんなに好きなのに。
杖を地面につきたてた拍子にぽとりと涙が落ちた。慌ててぐいと拭う。シトリー気づいてない、よね。
全部描き終わった。魔方陣の真ん中に立ち、ふうと息を吐く。どこも間違っていないはず。これで、この世界ともおさらばだ。


「よし、お願いシトリー」

「…本当にいいの?」

「いいの」

「………涙くらい止めたら?」


ハッとして頬に手を触れると、いつのまにか濡れていた。自分でも気がつかないうちに泣いていたのか。袖で拭うが、袖はもうびしょびしょに濡れてしまった。


「いいの、気にしないで。お願い」

「…………」


シトリーが納得できなさそうにしながらも頷き、ぶわっと風が起きた。そして浮遊感。霞んでいく視界に、目を閉じる。
リヴァイさんに何も言えなかったのがとても心残り。本当はたくさん伝えたいことがあった。たくさんお世話になったお礼と、迷惑をかけたお詫びを言いたかった。ああ、あとハンジさんにもお別れをして。
こんなはずじゃなかった。こんな最低な別れをするつもりじゃなかった。こんな別れ方じゃ嫌われたに違いない。幻滅しただろう、見損なっただろう。
いいんだ。嫌ってくれて構わない。嫌われるように演じたんだから。じゃないと、別れが辛くて。
もともと帰らなければならなかったのだから、良いきっかけだ。そう言い聞かせて、杖を握りしめた。





目を開けると、私の家のリビングだった。


「お帰りなさいませ、セシリア嬢」


私を待ち構えていたオロバスが、うやうやしくお辞儀をした。
帰って来たのだ、あの世界から。もうあんな粗末な食事に悩まされることもないし、人類最強の監督の鬼修行はないし、巨人もいないし壁外調査もない。もうリヴァイさんには会うこともない。
私はその場に立ったまま、へにゃりと笑った。うまく笑えたかは自信がないが。


「ただいま」





「何があった」


ドン、と兵士を壁に突き飛ばす。落ち着けとハンジに制されたが、落ち着いていられるか。絶対に何かあった。ついさっきまで、いつものセシリアだったというのに、なんだあれは。まるでセシリアじゃないかのような物言いに驚いた。何があって、あんなに豹変したんだ。いつもしていたはずのペンダントをしていなかったことも引っかかるし、何よりも振り向いた時に見せた辛そうな歯を食いしばった顔が瞼に焼き付いている。
一部始終を遠巻きに見ていたというハンジが兵士に言う。


「あんなコじゃなかった。絶対に、今まで晒してきたあの態度は素だったよ。なにがあってあんな風になっちゃったんだい?」

「ハンジの言う通りだ。何があって、あんな風になった?言ってみろ」


比較的抑えて言う。内容によっちゃ、蹴り飛ばすがな。兵士は叫ぶように答えた。


「あの魔女が…!!」

「セシリアが?」


兵士は一呼吸置いてから、そのときの状況について話しはじめた。


「俺と班員が巨人の群れに出くわしてしまい、戦っている際に班員が全員捕まってしまって…。でも、手に捕まえられただけだったんです、まだ。だから俺、助けようとしてたんですけど、そこにあいつがやって来て…!」


まさかまだ中継地点に着いていなかった班があっただと。把握していなかった。内心舌打ちをして、口を挟まずに聞く。


「魔女がすごいスピードで飛んで来て、俺を突き飛ばして落として、班員もろとも巨人を爆破したんです。あの魔女がやったんです。それで、班は全滅。まだ班員は助けられたのに…!あいつが殺したんだ、俺の仲間を!!」


悲痛な叫びに似た声をあげる兵士が頭を抱える。
俺もハンジも目を見開いて何も言えず、ただごくりとつばを飲み込んだ。兵士は俺たちが疑っていると思ったのか、なおも続けた。


「本当なんです…!!助けられたのに、あと少しだったのにっ、」

「無理だったよ」


後ろから声が聞こえて振り向くと、女兵士がいて、目が合うと敬礼をした。余計な口を挟むな、大事な話をしていると言って追い返そうとすると、ハンジがどういうことだい、と促した。女兵士は一歩近づき、口を開く。


「私、遅れて中継地点に辿り着いて…。そのときちょうど見てたんです。班員は助からなかった。そして、魔女が来なければ、あなたも助からなかった」

「どういうことだよ!!」

「あなたも見なかったわけじゃないでしょう?班員全員、捕まえられたときに足を千切られたのを。下半身がもうみんな、なくなっていたのよ」


兵士は愕然とした。まさか、そんなはずはと言って首を振るが、自身でも思い当たる節があったのだろう。すぐにハッとして、ぶるりと震えた。
つまり、セシリアは。助からない班員の解放より、兵士を助けることを選んだということなのだ。


「あなたを捕まえようと巨人の手が伸びてた、その手からあなたを助けるために突き落とした。そして仕方なく、班員ごと撃破した。あなただけでも救うために」


兵士はがくりと膝をついた。俺はそれを見下ろして、口がからからになるのを感じながら、ゆっくりと重い口を開いた。


「全て演技だったのか」

「全ての罪をかぶって、全て自分のせいにして…」


ハンジが悔しそうにぎりりと唇を噛む。
真実はそうだったのだ。セシリアはただ、優しすぎたのだ。
だが、ほんの少しだけ安心した。少なくとも、あの冷酷なセシリアはやはり本当のセシリアではなかったのだ。嘘だった。それで俺には十分だった。しかし、前半はともかく後半は嘘を言っているようには見えなかった。私は魔女なのだ、リヴァイさんとは違うのだと言った表情は嘘ではなかった。セシリアが見ないようにしていた現実を目の当たりにしたような、それを俺にも教えているような、そんな気がしてならなかった。


「うそ…だろ」


未だに頭を抱えている兵士を見下ろす。


「頭、冷やしておけグズ野郎」

「すいま…せん…っ」


ぼろぼろと泣きながら謝り続ける兵士に謝る相手が違うだろうがと言い残して、そこから駆け出した。




それから、どれだけ呼んでも探しても、セシリアは見つからなかった。忽然と姿を消したのだ。まるで元からいなかったかのように、何もなかったかのように。セシリアがいた記憶だけ残して、いなくなってしまった。


  




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