蕎麦をおひとつ
ここのバイトにもだいぶ慣れて来た。
お客様の波が止み、ふうと息をついてテーブルを片付ける。すると、カランと音がして扉を見る。
「いらっしゃいませ!」
入って来たのは、長髪の男の人。あれ、どっかで見たことあるような…?
「すまぬが、蕎麦をひとつ頼む」
「あ、はい。かしこまりました」
空いている席に案内する。厨房に伝えに行きながら、首を捻る。なーんか、見たことあるような顔なんだけどなあ…ちらりと横顔を見る。綺麗な顔だな…。いやいや、違くて。
「お待たせいたしました、蕎麦です」
「ありがとう」
お客様は、蕎麦を受け取って数秒してから私を見た。
「…箸がないのだが?」
痛恨のミス。箸を持ってくるのを忘れてた。
「す、すいません!ただいまお持ちして来ます!」
「てっきり、手で食えということなのだと。いや、志士たるもの、蕎麦を素手で食べることも必要なのだ!俺は素手で食べるぞ!」
「いやいや!今お持ちしますのでお待ちください!」
志士という言葉に引っかかったが、慌てて箸をとりに行く。
「お待たせしましたっ、お客様」
すると、お客様はやっと来た!というふうにパッと明るくなったが、箸を受け取りながら私に言い返した。
「お客様じゃない、桂だ」
「カツラ?」
「カツラじゃない!桂だ!」
イントネーションが違うらしい。ていうか、桂?蕎麦を食べ始めたお客様の横顔をお盆を持ったままじっと見て、気がついた。
「あーっ!」
「ぶほっ!」
急に大声を出したものだから、お客様が驚いて食べていた蕎麦を吹き出した。汚い。てかオーバーアクション。じゃなくて、このお客様は!
「桂、こたろ」
「しーっ。違う、キャプテンカツーラだ」
「意味がわかりません」
指名手配犯じゃないですか。…でも、あんまり悪い人じゃなさそう。危害もくわえなさそうだし。にっこりと笑ってお盆を抱え直した。
「ま、いいか。ごゆっくり」
「…いいのか?」
「ええ」
「…ふ。面白い奴だ。…それはいいから、この吹き出した残骸、片付けてくれんか」
蕎麦をおひとつ
(汚い…)
(本音出てますけど)
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