ピンポーン。チャイムを人差し指で押すとそんな音が鳴るのが聞こえた。きっとこの家の住人は、んだよめんどくせーな誰だよとか何とかぼやいているに違いない。
「…んだよ。xxxちゃんじゃねーですか」
「お醤油貸ーして」
「はあ?」
おやおや不機嫌ですな。茶化すと坂田さんはムッとした表情を隠しもせず続けた。
「うちのソイソースは薄口だからな〜。xxxちゃんの口には合わないと思うな〜。っつーことでサヨナラー」
坂田さんが扉を容赦なく閉めようとするので阻止する。ぐぎぎぎ、という効果音が似合いそうな攻防。
「わー奇遇ゥ〜。私も醤油は薄口派なのォ」
「間違えた間違えた濃口だった」
「この際醤油なら何でもいいよ実際」
「あ、俺目玉焼きにはソース派だったわ」
「マジ?じゃソースでいいから貸してよ」
「いや帰れっつってんのォォォ!」
扉を閉めるのを阻止するのに必死だった私の、ノーガードの頭を坂田さんが叩いた。痛い。しかも坂田さん、閉める力を急に抜いたりするからすごい勢いで扉開いたし。デコぶつけたからダブルで痛い。
「のうしんとう……」
「あぁん?俺が起こしてやろうか?お前のそのチンケな脳をシェイクしてやろーかコノヤロー」
「いやシェイクはマックに頼むからいいです」
てか随分ご機嫌ナナメですね、と付け加えたら坂田さんの額に青筋が立った。
「今何時だと思ってんですか」
「夜中の二時くらいじゃないですか」
「夜中の二時に訪ねて来て醤油をねだるバカに対して愛想を売る程俺ァ人間が出来てねーんだよ」
「そうですか。精進してください」
「テメーは常識を学んでください」
「常識的に考えた結果ここに来た」
「は?」
私は友人とシェアしている家から追い出された現状を説明した。彼氏とイチャイチャしたいからって、家賃その他諸々を折半している私を追い出す友人こそ常識を学ぶべきだ。くそ、リア充爆発しやがれ。
「隣の家の屁怒絽さんの家は流石に怖いし、交流ある裏の家のお登勢さんか坂田さんで熟慮したらお登勢さんの家こそ最もホラーじゃね?ってことで坂田さんちにした」
坂田さんは途端に可哀想なものを見るような目で私を見た。
「……ソファーだかんな」
「いっそ廊下とかでもいいよ。でもありがとう」
坂田さんから渡された掛け布団を被った。暖かい。ぬくぬくしていたら坂田さんが私の首もとに手を伸ばしてきた。
「冷てっ!お前もしや死人じゃねーよな?」
「坂田さんの手あったかいな。ね、もっかいやって」
「俺の体温を奪う気満々かよ」
風呂炊き直してやろうか、と優しい言葉をくれる坂田さんに首を横に振る。そこまで迷惑かけられるほど図々しくないし(夜中の二時に押しかけといて何言ってんのって話だけど)。
「じゃコーヒーでも淹れてやるよ」
「安眠の邪魔したことは謝りますから。そこはどうかノンカフェインでお願いします」
「……ココア、とか?」
「えっマジで用意してくれんの?坂田さん優しいね」
「その代わりテメー今度パフェ奢れよ」
坂田さんは台所に消えた。あと神楽寝てっからあんま大声出すなよ。ま、アイツそうそう起きてきやしねーけど。そう言われたのでココアを待つ間静かにしていた。急激な眠気に襲われた。屋根の下で眠れる安心感に加えてこの布団だ。坂田さんの匂いする。安心プラス包容力、みたいな。
「…xxx、寝た?」
「…………起きて…る…っす」
そうだ、ココア。要求したつもりはないけど結果そうなった訳だし、寝たら悪いよ。でも、ねむ…い…。
ふ、と浮遊感を感じて沈みかけていた眠りの世界から少し浮上した。薄目を開けると坂田さんの顔が奇妙なアングルから見えた。抱き上げられたのだと気付いたのは布団の上に到着した時。掛け布団なんかよりもっと、坂田さんの匂いがする布団に寝かされた。
「…わ…たし、ソファーじゃ…?」
「細けェこた気にすんな。ちょっとした気まぐれって奴?」
「……一緒に、ねます?」
「バーカ。次同じこと言ったら襲うからな」
ちょっとだけ本気だったんだけどなァ…。布団についた匂いとか、間接的な物じゃなくて。直接肌で感じてみたいなっていう訳のわかんない欲求。もしかして私、結構坂田さんのこと好きだったりするのかな。そんなことを考えながら眠りについた。午前二時過ぎの、安らか過ぎる夢の入り口だった。
ノ ッ ク ノ ッ ク
(誰かいますか?)
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