廊下で私の前を歩いていた人が盛大に足を滑らせひっくり返った。私は驚いたが、すぐに相手が誰かわかり、くすくすと笑って駆け足でその人のもとへ行った。


「大丈夫ですか?ロシナンテ中佐」
「おう、ありがとな。大丈夫だ…って、笑うな」
「あはは!だって、また転んで!」
「…俺は、」
「ドジっ子なんでしょ?知ってますよ!」


笑いながら手を差し出す。ロシナンテ中佐は、ったくと言いながら苦笑して手を取った。立ち上がれば大男、見下ろしていたのもつかの間すぐに見上げなければならなくなる。今度は私が見下ろされる番で、くしゃくしゃと頭をなでられた。

ドンキホーテ・ロシナンテ中佐。私の上司で、片思いの相手だ。あんまり優しそうな顔はしていないのに、心はとても優しい。海兵になり立てのころに女というハンデに心が折れそうになっていたとき、たまたま出くわしたロシナンテ中佐は頭をなでて、励ましてくれた。どれだけ勇気をもらったか、そして惹かれたことかわからない。


「そうだ、おなまえに言いたいことがあったんだ」
「え、あ、はい!何でしょう…!」


まさか、と思ってどきりとした。いやいや落ち着け、そんなわけはない。そもそもロシナンテ中佐が私をどう思っているのかさえわからないんだから、変な期待しちゃだめだ私の恋心!


「今度、新しいドーナツ店が出るらしいぞ。連れて行ってやろうか」


期待したものとは全く違う内容に拍子抜けだったが、これはこれで嬉しいお話だ。私はきらりと瞳を輝かせた。


「本当ですか!大好物です!!」
「知ってる。だから言ったんだ。予定確認して、オフの日教えろよ。その日俺も休日にしてもらうからよ」
「はい!…あれ、でも、私、ドーナツ好きって言いましたっけ?」
「…えーと、それはだな。そうだ、おつるさんに聞いたんだ!」
「そうなんですか、おつるさんに」


確かに、よくひと時の休憩を共にするおつるさんと、ドーナツを食べたこともあった。おつるさんに限ったことではないが、おせんべいやあられを置いてあることが多い海軍本部で、たまにはどうですかとお気に入りのドーナツを持って行ったところ、たまには悪くないねと気に入ってもらえたのだった。


「楽しみにしてます!あ、でも、ロシナンテ中佐は甘いものはお嫌いではないんですか?」
「お前が食べるんだろ?俺は一口もらえりゃ十分だ」
「……わ、わかりました……」


つまり!?つまり!私のためだけにわざわざ休みをとり、わざわざ連れて行ってくれて、さらに私の食べかけのドーナツを一口もらう宣言!?私はボフンと赤くなり、こくこくと頷く。なんだこの人…天然たらしか…!!さすがロシナンテ中佐!!


「じゃ、センゴクさんのとこに行くからよ」
「はい!あの、………」
「?」
「…お気をつけてくださいね。また転んだり、しないように」
「おう。おなまえもな」
「私はドジっ子じゃないですって!」


にっ、と笑ってひらひらと手を振るロシナンテ中佐。私も手を振りかえし、手を下ろして拳を握りしめた。未だに私は告白出来ない。タイミングはたくさんあるのに、勇気が出なくて。こんなんじゃだめだ、海兵なんだろう。好きですの一言くらい言ってみせろ、当たって砕けていいじゃないかと自分を叱咤するが、いざとなると怖くなってしまって言い出せない。今日もため息をついて歩き出した。
まだまだ鍛錬が足りないんだ。もっと強くなって、ロシナンテ中佐に少しでも追いついたなら、そのときはきっと言えるはずだ。待っててくださいロシナンテ中佐。





ロシナンテ中佐が海軍本部を去って、ずいぶん経つ。詳しいことは教えてもらえなかったが、潜入捜査ということだけはセンゴク大将から聞いた。大丈夫なのだろうか、危険な目にはあってないか、いつ戻ってくるのか、たくさん聞きたいことはあるのに、電話だってほんの時たましかかかってこないようだ。かかってきてもセンゴク大将と話をしていて、私なんかとは話す暇もないし、そんな間柄でもない。このまま失恋なのだろうか、とため息をついた。せめて、元気かだけでも聞きに行こう、とセンゴク大将の部屋へ向かう。


「失礼します。センゴク大将…あの、」


私は言いかけた言葉を飲み込んだ。センゴク大将はデスクに肘をつき、頭を抱えていたのだ。私の声にゆっくりと視線をあげたセンゴクさんは、青ざめていて顔色が悪く、いつもの覇気や威厳はまるでなかった。体調が悪いのか、はたまた___泣いていたのか。


「……おなまえ」
「あの…すみません、体調が悪いようでしたら、また後で伺います!失礼しました…っ」
「待て」


引きとめられ、開きかけたドアを閉める。嫌な予感がして、汗が滲み出る。


「ロシナンテが、____」


私は顔から滴る汗を感じた。聞き間違いだと信じている。そうに違いない、だってあの人に限って、死んだなんて。でもセンゴク大将の顔が、聞き間違いでも嘘でもないことを物語っていた。


「すまない」
「……どうしてセンゴク大将が謝るんです?」
「お前は…あいつを好いていたろう」


乾いた笑い声が口から漏れた。笑い声になっていたかもわからない。ただの嗚咽だったかもしれない。
想いを伝えることさえ、出来なかった。


「あの方のことだわ、」
「……?」
「きっと、優しい死に方をなさったんでしょうね」


へにゃりと笑い、その場に崩れ落ちた。どれだけ拭っても涙は止まってくれなかった。






あなたは私の涙を知らない

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