#捕まった日曜日



ぼんやりとしていた意識が浮上する。
ゆっくりと目を開いた名前はあまりの眩しさに、とっさにその目を閉じて腕で覆い隠した。
眩しい、なんで電気点いてんだ。
起きたばかりの脳でうまく考えられない名前は眩しさから逃げるように横になり、体を縮める。

「ん〜……」
「あ、起きた」

かけられた声に頭が冴えていく。
もぞもぞと体を動かしながら軋むスプリングにここが自室ではないことを思い出した名前は勢いよく飛び起きた。
未だうまく回らない思考の中で名前はここがどこで、どうしてここにいるのかを思い出していく。
確か、新開さんの部屋に通されて、電話が鳴って、新開さんが出て行って…。
そこまで考えて意識が覚醒する。
寝起きでおぼろげな視界の中、周囲を見回した名前は自分の右隣に人影を認識するとその人影に向かって頭を下げた。

「しっ、新開さんすみません!俺寝ちゃってたみたいでっ、ほんとすみません!」
「…………」

返事がないことに名前は冷や汗を流す。
怒らせてしまった。どうしよう。
部屋に電気が点いてるということはもうだいぶいい時間のはずだ。
名前が部屋に通されたのはまだ夕日が出始めた頃だった。
けれど今、この部屋には電気が点いている。日が落ちてしまっているということだ。
夕日が出てから日が落ちるまで、少なくとも1時間程度は寝ていたことになる。
いくら「くつろいでくれ」と言われても寝るのは非常識だろう。
名前は恐る恐る、ゆっくりと視線を上に上げていく。
名前の視線が顔の半分まで言ったところで、名前の頭に疑問が浮かんだ。
あれ、新開さんって髪黒かったっけ。
そんな疑問は名前の視線が目の位置まであがったところで打ち消される。

「新開じゃなくてごめんネェ」
「〜〜っ!?あ、ありゃ、あらき、た先輩!?」

さも不満ですという声で謝罪をしてきたのは私服に身を包んだ荒北だった。
不機嫌そうに目を細めている荒北に名前は思わず飛び退いて背中をベッド横の壁へとぴったり付ける。
なんで、え、新開さんは?
周りを見渡すと足の踏み場もないほど散らかった部屋が目に入る。
寝る前、新開に通された部屋そのままだ。
じゃあなんで荒北先輩がここに?
混乱する頭は仕事をせず、聞きたいことは空気となって口から漏れるばかりだ。
パクパクと何を言うでもなく口を開閉する名前に荒北は目を細めたまま背を向けて机へと歩きだす。
引き出しを開いてなにかを取り出してから名前の元へと戻ると、驚きに目を開いたままの名前へそれを突き出した。

「あ、え?」
「ノート、オメーのだろ。いらねぇの?」

突き出されたそれを見る。
四角いそれは確かに名前があの日、書道室に置き忘れたノートだった。
もしかして、これ返すためだけに追ってきてたとか?
名前の脳に限りなく僅かな可能性が浮かび上がった。
よくよく考えれば荒北があの文字を読んでいたとは限らないのだ。
書道ノートは3年間継続で使うものだ。名前が荒北を知ってからあのノートに想いを発散させていたのは数ヶ月。数ページほどしかない。
1年生の頃のページにはいたって真面目な書道の注意点等が書かれているにすぎない。
もし荒北が1年の頃のページを見ていたとしたら名前は突然謝って走り出し、ノートを返したいだけの荒北から一週間も必死に逃げ出していたことになる。
それはそれで恥ずかしい。
ノートを返すためだけにあんなに必死になるとは考えにくかったが、混乱する名前の脳は選択肢としてそれを選んでいた。
はやく受け取ってこの部屋から出よう。
そう結論つけた名前は震える手を持ち上げてノートを受け取ろうとその手を伸ばす。

「そ、うです、ありがとうございます、それじゃあ−」

しかし、名前の手がノートに触れる寸前のところで、そのノートは荒北によって持ち上げられた。
何も掴めないまま座り込み、ポカンとした顔を向ける名前に、荒北はノートを人差し指と親指で掴んだまま揺らす。

「オメーさぁ、なんか言うことあんじゃねぇの?」

荒北の言葉に名前はビクリと肩を揺らす。
ノートを受け取ろうと伸ばしていた手は重力に従ってベッドへと落ち、視線は床に散らばる雑誌を滑っていく。
やっぱりバレてる。読まれた。
真っ白になっていく思考の中、名前は言葉を紡ぐ。

「あ、の、えっと…逃げてしまって、すみません」
「アァ?」

地を這うような低い声に目をつぶる。
聞きたいのはこんなことではない。と、名前は理解していた。
あのページが何だったのかと聞きたいのだ、荒北は。
それでも、名前はまだ微かな希望にすがろうとしていた。
拒絶されるのはわかりきっているにも関わらず、厄介なこの体は思考とは反対に想い人本人から拒絶の言葉を聞くまいと本題から逃げる。

「ちょ、っと、こわ、くて、その、すみません、ノート、返そうとして、くれてたのに、おれ、逃げてたから」
「別にノート返そうとしたわけじゃないヨ」
「え、っと……その…」
「ノートはついで、聞きたいことあったんだヨ、オメーに」

視界に踵をつけたまましゃがみこんだ荒北が映りこむと、名前は咄嗟に荒北と目が合わないようにと目線をずらした。
ベッドの上に座る名前を見上げる形になった荒北は片手で持ったノートを肩に置き、世間話でもするように話しかける。

「あンさぁ、ノートに書いてあったのって、あれマジ?」
「なんの、ことですか……」
「俺の名前と『好きです』って書いてあったろーが」

あぁ、やっぱり。
名前は自分が傷つかないようにといまだ言い訳を続けようと勝手に動きそうになる口を閉じてその言葉を飲み込む。
探るような視線を向けてくる荒北に見られないようにと思い切り俯くと視界に入った震える手に、名前はようやく自分が震えているのがわかった。
この期に及んで、まだ怖いのか俺は。
名前は自虐するように笑う。
それでも一週間も逃げたのだ。怖かろうがなんだろうが覚悟を決めなくてはいけない。
息を吸い込んだ名前はその口を開く。

「あの、すみません、気持ち悪いですよね」
「……」
「男が男に、なんて、ほんと、わけわかんないですよね。しかも初対面なのに。何言ってんだって思うかもしれませんけど、ほんとで。逃げたのも、ほんとに、こわくて、気持ち悪いって、思われてるから、だから、無理かもしれませんけど、忘れてください。もう、顔とか見せないですし、迷惑かけません。なんでも言うこと聞くんで、ノートも捨ててくれていいです。だから、もう」

ほっといてください。
消え入るような声量で発した言葉はかすれていた。
自分でもなんて身勝手なことを言っているのか。とわかってはいるものの口にせずにはいられなかった。
涙で滲む視界をなんとかしようと袖で目を擦る。
支離滅裂なその言葉を黙って聞いていた荒北は鼻をすする名前を見るとノートを床へと置いた。

「オレさぁ」
「……はい」
「ノートに書いてあったのってマジ?って聞いただけなんだけど。結局どっち」
「……まじです」

名前の耳に「ふーん」と興味なさそうな声で応える荒北の声が届く。
なぜこんなに冷静なのか。なぜ怒っていないのか。
考えることはあるはずなのに羞恥と諦観とでいっぱいいっぱいな名前の脳は考えることを放棄している。
布の擦れあう音と荒北がノートをめくる音だけが聞こえる空間を崩したのは荒北の声だった。

「だったらさァ、やっぱなんか言うことあんじゃねぇの?」

名前はかけられた言葉に目を瞬かせる。
おずおずと顔をあげた名前は2度目のその言葉に同じ返答を返した。

「……逃げてしまってすみません」
「ちげーだろ。確かに腹立ったけど別に怒っちゃいねーヨ」
「えっと……不快な思いをさせてすみません」
「ンでそうなんだよ」

荒北は苛立ったように片方の眉をあげて空いている片手で乱暴に頭をかく。
「アー」と意味のない音を発する荒北を名前は訳も分からず見下ろした。
パラパラとノートを捲っていた荒北はあるページで捲るのをやめる。

「……お前さっきなんでもするって言ったよな」
「言いました……」

「じゃあさ、」とノートを持ち上げて開いていたページを名前の目の前に持っていく。
名前は滲む目を擦ると「ココ」、と荒北がなぞった文字を見る。

「口に出して読んで」
「〜っ、な、え、?」

荒北がなぞった文字はこの逃亡生活のすべての元凶である「荒北靖友」という文字とそれに並んで書かれた「好きです」の文字だった。
名前は目を見開いて荒北を見る。
荒北は名前をじっと見つめていた。

「なんでもするって言ったでショ、ほら、読めヨ」
「な、なんで、だって、」
「いーから、はやく」

荒北は狼狽える名前を急かすように「ほらほら」と文字を指で叩く。
なんでこんなことをするんだろう。からかっているのだろうか。
苛立ちにも似た感情にまた涙が滲む。
名前はすがるように荒北を見つめるも、荒北が何か言葉を発するようすはない。
名前は震えているのがバレないように、小さく声を出す。

「あ、らきた、やすとも……さん…」
「ウン」
「…………好きです」
「ウン、オレもォ」

ほとんど消えかかっていた声をきちんと拾った荒北は読み上げられた言葉にそう返した。
あまりに普通に返された言葉に名前は「へ?」と間抜けな声をあげる。
こっぴどく振られると思い、どう取り繕うかばかり考えていた名前は言葉の意味を理解出来ずにただ荒北を見つめる。

「あ、の、え?」
「だからァ、オレも好きっつってんのォ」

あまりの衝撃に名前の目を覆い尽くしていた涙が引っ込んだ。
考えていた前提を覆され、空っぽになった脳には疑問符が浮かんでは消える。
荒北は広げていたノートを閉じると、それを床に置いて一歩名前へ近付いた。

「うそ、ですよ」
「なんで?」
「だって、荒北先輩、俺のこと知らないし」
「知ってっけど?」

近づいてくる顔から逃れようとするも、既に背中は壁に付いていて逃げる場所はない。
咄嗟に顔を横に背けると、鼻先を荒北の手が横切る。
いつの間にかベッドへ片足を乗せていた荒北は名前を覆うように両手を壁につけた。

「オメーが書道部員ってことも、部活中窓からチャリ部覗いてたのも、俺らが体育んとき黒板見ねーでこっち見てたのも、移動教室んとき3年の廊下覗いてくのも、知ってっから。ってもそんなもんしか知らねーけど」
「な、なんで知ってっ」
「だから好きだっつってんだろ」
「だって、そんなわけ、俺、荒北先輩と接点なんてないのに」
「そりゃオメーもだろーが。つかンで素直に喜べねーわけ」

荒北の眉がピクリとあがる。
名前が前髪の隙間から覗き込むように見た荒北の頬はうっすらと赤く染まっていて、つられて名前の頬も赤く染まっていく。
じわじわと現実を飲み込んできた名前は、ドキドキとうるさく脈打つ心臓に手を当てる。
言葉を発しようにも上手く口が動かない。
この一週間で考えたこともなかった荒北からの返答に名前はどうしたらいいかわからなくなっていた。
時間を刻む時計の針と己の心臓の音しか聞こえなかった名前の耳に荒北が息を吐いた音が追加される。
見上げようとすると同時にベッドへ倒された名前は声をあげる間もなく被せられた布団に息をつまらせた。

「あーもーめんどっちィから明日だ明日。オレァもうねみーんだよ」

消された電気に部屋は暗くなる。
隣でモゾモゾと動く気配を察知してベッドから逃げようとするも、体の上からは荒北の腕が押さえつけていて動けない。

「あ、らきた先輩っ!離してください!お、おれ帰りますからっ!」
「ハイハイウッセウッセ。もう2時過ぎてんだよ。とっとと寝ろ」

一向に離れない腕に自力で脱出することを諦めた名前は荒北に必死で「離してください」と話しかける。
しかし、荒北は既に寝入ってしまったらしく、聞こえてくるのは穏やかな吐息だけだ。
鳴り止まない鼓動を押さえつける。
グルグルと考えるも隣で眠る荒北が気になってしまいまるでまとまらない。
名前は終わらない拷問のような状況に
「夢見てるだけ、起きたら新開さんがいるはず、これは夢だ。とっとと覚めろ」
と思い願ってギュッと目を閉じた。



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