#逃げ出した月曜日



「あ…あぁ、あ…」
「……オメーこれ…」
「………す、」
「…す?」
「すみませんでしたぁぁあああああああ!!!!!」
「アッ!!!てめ、逃げんじゃネェ!!!!」


せめてもの足止めとして思い切り扉を閉めた名前は、ガタガタと音を立てながら「待てやゴラァアアアア!」と叫ぶ荒北を振り返らず全力で逃げ出した。
万年文化部の自分が運動部である荒北から逃げられるなんて一ミリも思っていない。
それでも逃げ出さずにはいられなかった。
羞恥で頬が赤くなるのと同時に、焦りと恐怖で冷や汗が止まらない。
名前が心にしまったまま、荒北が卒業すると同時に捨てようと大事に抱えていた恋心は、先ほど荒北自身の手によって露見してしまった。
最悪である。
息を切らしながらチラリと後ろを振り返った名前は、荒北の影も、足音さえも聞こえないことに安堵して前に進めていた足を止め、その場にへたり込む。
逃げ出したときにとんでもない音が聞こえたので、きっと机にぶつかっていろいろ落ちてきたのだろう。そのおかげでなんとか逃げおおせたわけだが。
久しぶりの全力疾走で酸素が足りない。
ガクガクと震える足はしばらく動かないだろう。

すべての原因は自分にあった。
直接的な原因は、書道のノートを書道室に忘れたことで、大元の原因は提出しないのをいいことに書道ノートの至るところに「荒北靖友」という字とその近くに何個か小さく「好きです」と書き連ねていることにある。
誰にも打ち明けられない。ならばせめて紙に書いて発散しようとしたのが間違いだった。
責任転嫁をするならば、よりによって今日、同じく書道ノートを忘れてそれを取りに来た荒北か、もしくは名前と荒北の席を同じ場所にした横山先生の責任だ。
責任転嫁したって、見られてしまったという現状が変わらないことはいやというほどわかりきっているのだけれど。

名前は下がる頭を必死に持ち上げてあたりを見回すと、なにやら見覚えのない場所にいることに気がついた。
廊下を挟んで向かい合うように、等間隔で扉が設置してある。
名前は実家通いの為憶測になるが、ここはおそらく寮だろう。
がむしゃらに走った名前は来たこともない箱根学園の寮へ迷い込んでしまったらしい。
ポケットから携帯を取り出して時間を確認すると、16時13分と表示される。
16時20分から部活動が始まるので、荒北は追いかけるのをやめて部室に向かっているはずだと、息を吐いた。
名前も部活に行かなくてはいけない。しかし未だに息は切れたままで、足も満足に動かせそうではない。
今日は休んじゃおうかな…。
2年間真面目に部活に取り組んでいた名前が一日くらい休んでも、怒られはしないだろう。
そっと瞳を閉じかけた名前は、すぐ横にある扉が開いた音でその目を見開いた。

「む?なんだ君は。こんなとこで寝ていては風邪をひくぞ?」
「あっ、東堂、さん…」

箱学1の有名人に思わずうろたえる。
返答に不信感を覚えたのか、東堂は持っていた荷物を置いて名前の目の前にしゃがみこんだ。

「顔が赤いし息も荒い…汗もかいているな。待っていろ、今保険医を呼んで…」
「あ、あの、大丈夫、ですから、気に、しないでくだ、さい」

名前は、立ち上がり駆け出そうとする東堂の腕を掴むと「ちょっと全力で走っちゃっただけなんで」とにこりと笑う。
立ち止まった東堂は少し悩んだあと、「そうか」と呟くと出てきた扉の中へ入り、今度は片手にペットボトルを握って名前の前に差し出した。

「走ったのなら喉が渇いているだろう。飲むといい」
「えっ、あ、ありがとう、ございます」

おずおずと受け取ると手にひんやりとした冷たさが伝わる。
緩く微笑む東堂へ小さく会釈をしてから、蓋を開けて中身を飲み込むと頭も体も落ち着いていくのがわかった。
2、3口飲み込んだところで蓋をして東堂へと返す。
東堂はそれを受け取ると首を傾げて「大丈夫か?」と聞いてきた。

「だいぶ落ち着きました。ありがとうございます」
「あぁ、ならよかった。だが校内は走ってはいかんぞ。なぜ全力疾走なんか…」

眉を寄せ始め、説教を始めようとした東堂の言葉は携帯の着信によって遮られた。
「あ、俺だ」
ゴソゴソと制服を漁った東堂は携帯を開いて耳にあてる。

「もしもし」
『もしもしじゃねーヨ!東堂ォ!部活開始時間とっくに過ぎてんぞ!とっとと来やがれ!ナァニしてんだ!』
「うるさいぞ荒北!電話越しに怒鳴るな!ちょっといろいろあってだな」

「荒北」の四文字にビクリと肩を揺らす。
東堂はそんな名前に目を細めると、声のトーンを落とした。

「ふむ。荒北、すまん。俺は今日部活には行けない。フクにもそう伝えておいてくれ」
『ハァ!?ナニ言ってんのォ!?おま』
「ではな」

荒北の言葉を聞かずに電話を終了させた東堂は驚きに目を開く名前に手を差し出した。
わけもわからぬまま名前がその手を取ると、勢いよく引っ張り上げられる。
ふらつく名前を支えた東堂は己の荷物と名前の荷物を片手で持ち、もう片方の手で扉を開く。
東堂は困惑したまま動かない名前に笑いかけるとスタスタと部屋の中へ入り、近場に荷物を置いて手招きをする。
名前は促されるまま部屋に入り、東堂の正面へ座った。
正座をして腕を組んだ東堂は名前を見つめる。

「全力少年よ、君が全力で走っていた理由は荒北にあるようだが、違うかね?」
「えっと…その…」
「しかしあいつは追いかけることに関しては獣並だ。そうそう逃げ切れん」
「…そうみたいですね」
「逃げる、というからにはなにか荒北に失礼なことをしたんだろうが、俺は君がそんなことできる度胸があるようにはまったく見えん。むしろなにかされる側だろう」
「はぁ…」
「そこで、だ」

何か今自分が失礼な事を言われたような気がするが、気にしないことにした。
東堂は片手で前髪をくるくると巻く。

「俺が力になってやろう。荒北から逃げる理由を話せ、少年」










「ほぉ、なるほどなぁ」
「そういう、ことです」

組んだ腕をそのままに東堂は「うんうん」と頷く。
対して名前は怯えるように俯いている。

「しかし、君は趣味が悪いなぁ」
「なっ!?」

呆れるような声色に名前は思わず顔をあげる。
視界に入った東堂は、声色通りの表情をしていた。

「経緯はわかったが、それにしてもなぜ荒北なんだ。口は悪いし態度も悪い、唐揚げばっか食ってるし、備品は壊すし、俺のこのカチューシャをダサイと言い放ち、挙句の果てにはこの俺にブスなどと宣う。いいとこなしだ、まったく」
「…そんな言わなくたって」
「しかし」

仮にも想い人を罵られた名前は眉を寄せて東堂を睨みつけた。
わかっているのだ、そんなこと。それでも好きだった。なぜそれをこんなにも侮辱されなければいけないのか。
思わず低くなったトーンに、東堂は指をさす。

「荒北はいいヤツだ。根は真面目だし、人の真剣な想いを踏みにじるような真似はせん。俺は君を応援しよう。だから別に逃げなくともいいとは思うのだが…」

名前は目をそらす。
それもわかっている。だが、理解はしていても行動ができるわけではない。
男同士だし、男同士でないにしても正直、自分でもノートにかかれたあの量の名前と告白は気持ち悪いと思うのだ。
拒絶されるのが何よりもこわい。

「きっと君は混乱しているな。時間をおきたいんだろう?」

東堂の問いかけにこくりと頷く。
それを見た東堂はフンと鼻を鳴らし、ニヤリと微笑んだ。

「だから、俺が力を貸してやろう。いつまでも、とはいかんが、少しの間荒北から逃げる手助けをしよう」
「え、ほんとですか?」
「もちろんだ。しかしいくら山神といえど流石に俺一人で荒北から君を逃がすのは至難の技だ。だから手助けを頼もうと思う。いいか?」

「お願いします」と東堂の顔を見て言うと、東堂は「まかせろ」と黒い髪を揺らして自信満々に笑った。



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