社畜根性 約束 |
「東堂、距離を置こう」 「…へ?」 口先まで持ってきていた蕎麦が箸から滑り落ちる。 勢いよく落ちたことにより周囲に飛び散った汁を見た名前は固まる東堂を横目にティッシュを取り出してそれを拭いた。 騒々しい食堂の中、それでも名前達の声が聞こえる位置に座っていた生徒は驚いたように名前達を見つめる。 周囲数名に見つめられ、居心地がわるそうに目線をさまよわせる名前に、俯いた東堂。 東堂はゆっくりと持っていた箸を置くと右手を自らの額へと当て、考え込むように瞳を閉じて眉をひそめた。 時間にして数分、東堂はようやく目を開き名前へ視線をやる。 「その…だな、名字今から俺は、お前にとって酷な事を言うかも知れない。聞いてくれ」 「東堂の言う酷いの度合いがわかんねぇけど、一応聞く」 「口に物を入れて話すな」 トンカツ定食を頬張りながら答えた名前に東堂が喝を入れると「ごめん」と素直な返事が返ってきた。 小さくため息を吐いた東堂は顔を引き締めると、名前と目を合わせた。 部活のときはともかく、普段の生活では笑顔を振りまいている東堂が妙に真剣な顔をしている。 周囲の生徒も、一体東堂は何を言い出すのかと固唾を呑んだ。 そんな中、東堂は口を開く。 「名字、俺は確かに美形だ。お前の気持ち、わからなくもない」 「何が」 「もしかしたら、俺に否があるのかもしれないな。勘違いをさせるような振る舞いをしていたのだったら悪かった、だが聞いてくれ」 「だから何が」 「名字、俺たちは………ただの友達だ、恋人同士などではないのだっ!」 「ったり前だろまじで何言ってんだ」 「っだぁああ!!」 思わず真顔になった名前にチョップをかまされた東堂はうめき声をあげてテーブルに突っ伏した。 緊迫していた空気が一気に緩和され、事の成り行きを見ていた生徒も自分たちの会話へ戻っていった。 東堂はちょうどカチューシャをつけているところにあたってしまったのか、頭のてっぺんを両手で押さえている。 「だって!距離をあけるって!恋人同士で言うようなことを話すから!」 「まぁそうなんだけど、俺が言ってんのは"友達として"距離置こうって言ってんの」 名前の言葉に東堂の目はこれでもかと見開かれた。 椅子から立ち上がり両手をテーブルに付け、これでもかと身を乗り出す。 「なぜだ!?それこそなんでだ!ようやく名字の口調も砕けてきて!心が通ってき始めた頃なのに!」 「口調は…うん、素が出つつあるけど東堂、お前今自分の現状わかってる?」 「現状?」 身を乗り出していた東堂はキョトンと首を傾げた。 「ふむ」と視線を落としながらきちんと席に座った東堂は「無論絶好調だ」と自信満々に言い放つ。 トンカツ定食を半分ほど残した名前は頬杖をついてドヤ顔をしている東堂を見た。 「東堂、自分のファンクラブ、規模拡大してるの知ってる?」 「もちろん知っているぞ。最近よく女子の先輩達が俺たちの教室を覗いている。おそらくだが俺のファンクラブのメンバーだろう」 「そうそう、それでさ、俺の嫌いなもの知ってる?」 「名字の嫌いなもの?」 名前をじっと見つめながら考える東堂の顔は、次第に焦ったように変わっていった。 「や、やばい、やばいぞ名字。俺は名字の事を何一つ知らないぞ。嫌いなものはおろか好きなものすら出てこないっ!」 「別に知らなくてもいい情報だからな。んで、一個だけ言っとくと、俺、人に見られるの嫌いなの」 「まじか。すまん、見ないように努力しよう」 あからさまに顔を背ける東堂に思わず笑みが漏れる。 名前は東堂のこういった素直なところが嫌いではなかった。 だが今名前が話しているのはそういった意味ではないのだ。 「いや、別に話してるときとかはいいんだけど、なんつったらいいんだろ。注目?されるのが苦手なんだよ」 「別に名前は注目されるようなことしてないだろう」 「うん、俺はしてない、でもな、そこで東堂のファンクラブの話が出てくるんだ」 名前は特に目立ったことはしていなかった。 東堂といること自体、目立ってしまうのは確かだが、それも一ヶ月もすれば慣れるもので、実際クラスメイトは東堂と名前が何をしてようが日常の一コマとしてスルーしている。 話題にあがることはあれどその一瞬だけで、じっと見られるなんてことはない。 しかしそれがファンクラブとなると別だ。 どこに行くにしてもファンクラブの東堂を見る目が流れ弾的に名前に襲いかかる。 実際見られているのは東堂だと理解していても、目線の先はだいたい同じのため、自分が見られていると錯覚してしまう。 初めは廊下を通りかかる女子が少し立ち止まって見る程度だったのが今ではどこにいても、どこかしらから女子が東堂を覗いている状態だ。 おそらくこれは一時的なもので、少しすれば収まりもするかと思っているのだが、名前がその期間耐えられ続けるかと問われれば「はい」とは言えない。 なので名前としてはせめてこの女子の波が落ち着くまで離れたいというのが本音だった。 現に今も食堂のあちこちから東堂への視線が飛んできて、まともに食事が食べられない。 「そ、そんな…酷いではないか!食事も一緒に取れないなんて、ただでさえ部活に入っていなくて過ごせる時間が少ないというのに!教室でしか一緒にいてはいけないというのか!?」 「教室はどうしようもないからなぁ。別に絶交って言ってるわけじゃねぇし、一ヶ月くらいだって」 「いっ、一ヶ月!?」 泣きそうに眉を下げる東堂に名前は酷く心が痛んだが、これを享受していると胃に穴が開くのは確定だった。 仕事をしていた時も胃に穴が開いたことがあるが、それよりマシとはいえ夢の中でまでストレスを溜め込みたくない。 余程ショックだったのだろう、動かない東堂に食器を持った名前が話しかける。 「あー、ほら、電話とかメールならしてもいいから。学校では物理的に距離置こうってだけで、休日とかも俺暇だから遊べるし。あぁ、でも東堂部活忙しいか…」 「じゃあ無理だな」そう続けようとした言葉は東堂によって遮られた。 「行くっ!行くぞ!日曜は午前練だけなのだ!午後どこか一緒に出かけようではないか!」 「部活終わりってしんどくね?」 「この俺が午前練だけでへばるわけがないだろう!言ったからな!日曜開けておけよ!」 先ほどまでの落ち込み具合はどこへ行ったのか、東堂は立ち上がり腰に手を当てて名前を指差すと、自分の食器を返して颯爽と食堂から飛び出した。 東堂がいなくなったと同時に向けられていた視線が消えたことに安堵した名前は食堂のおばちゃんへ食器を返すと携帯を開いてマナーモードへ変更する。 その直後、送られてきたショートメールを開くと「名字!名字のメールアドレスを知らないぞ!教えてくれ!ちなみに俺のメールアドレスは…」と書いてあった。 どのみち次は数学なので教室で会うことになるのだが、律儀に「学校では距離を置く」を守っている東堂に食堂の隅で一人小さく笑った。 |