社畜根性 猫とヤンキー |
4限終了のチャイムが鳴ると同時に立ち上がった東堂は「どのくらい遅くなるかわからんから先に食べていていいぞ」と言って職員室へ駆けていった。 足音もなく教室から出て行く東堂を見送った名前は財布を片手に立ち上がるといつもの食堂には向かわず、購買へと足を進める。 東堂のことだから終わり次第連絡を入れるのだろう。 だがいつ来るかわからない東堂を食堂で待っていたのでは名前も東堂も食いっぱぐれし、だからといって言われた通り先に食べてしまっては東堂がかわいそうだ。 東堂が購買で買ってくる可能性も考えたがしっかり手ぶらで行っていたのでその可能性はないだろう。 結果として名前は休み時間でも食べれるように自分と東堂の分を購買で買うことにした。もちろん料金は東堂にきちんと請求する。 名前たちの教室から購買は遠い。 生徒の大半が種類も量も豊富な食堂へ向かうので購買でパンを買う生徒は食堂の料理に少し飽きてしまった高学年が多い。だがそれでも食堂へ向かう人数のが圧倒的に多いのが現状だ。 食堂へと向かう人の波を逆走しながら名前は校内の地図を思い描く。 名前も食堂ばかりに行っていて、購買へ行ったのは最初の校内案内一回だけだったので道のりがはっきりしない。 どこを通っても、通ったことがあるような気がするし、ないような気もする。 おぼろげな記憶を頼りにひたすら歩いているとだんだんと人が減っていき、名前一人きりになってしまった。 道を間違えたのかと不安になるが、いまから戻ってまた行ってでは、時間がないし、たどり着ける保証もない。 見覚えのない校舎に立ちすくしていると、どこからか猫の鳴き声が聞こえて思わず足を向ける。 声の方へ足を進めると大きくなる猫の鳴き声と、それから男の声も聞こえた。 「…裏庭?」 優しそうな人だったら購買の場所を聞いてみようかな。 そう思いながら名前はゆっくり忍び寄り、校舎の影から少し顔を覗かせて二つの声へと目を向けた。 「怖くネェよ、ほら、メシだよメシ」 「みゃあ…」 「ったく、いい加減慣れてくれてもいいんじゃナァイ?俺が帰ったあと食ってんの知ってンだぞ」 「みゃあ」 「何に対する返事ダヨ…」 聞き覚えのある声に目を見開く。 あれは元THE ヤンキーなリーゼントで今はリーゼントじゃないヤンキーの荒北靖友さんだ。今もヤンキーかどうかは知らないけれど。 目の前の光景に今まで見てきたアニメが走馬灯のように流れていき、ある場面でピタリと止まる。 ヤンキーと猫、土砂降りの中傘もささず立つヤンキーと捨てられた子猫。そっとしゃがんだヤンキーはその子猫を抱き上げる。 「なんだお前、俺と同じ一人ぼっちか…」 過ぎ去った場面に「ヤンキーと猫の組み合わせって漫画だけの世界じゃなかったんだな」と感嘆を漏らす。 名前はそのまま猫に歩み寄ろうとする荒北と一定の距離を保ち続ける猫を見守っていたのだが、突然「みゃあ」と鳴いた猫が荒北の横をすり抜け名前のもとへ駆け寄った。 「アッ!クソネコ、テメ!」 「うわっ」 勢いよく振り返った荒北と、猫に擦り寄られる名前の視線が合う。 お互いポカンとしていた二人だったが、名前の顔を認識した瞬間、荒北は眉を吊り上げて大きく口を開いた。 「テメー見てんじゃねぇぞ!」 「あー、ごめんなさい。たまたまです。購買探してたらたまたま」 「たまたま居たからって見てんじゃねぇぞ!ってか購買こっちじゃネェし!」 「あれ?まじっすか、じゃあどこだろ」 「わかんねぇのに探してたのかヨ!バカじゃねぇの!?」 「ごめんなさい」 荒北の言葉に名前は来た道を思い出す。 食堂を逆方向なのは合っているはずだ。寝ぼけ半分ながら逆かよめんどうだなと思ったのを名前は覚えている。 しかしどこで間違ったかを問われれば答えられない。 うろ覚えの人間はどの道も通ったような気がしてしまう。 ここに来るまでにあった曲がり角、あそこを曲がるのかもしれない。けれど今来たこの道も通った気がする。通らなかった気もする。 ちゃっかりしゃがみこんで猫を撫でながら考えを巡らせる名前に荒北は頭をかきむしると「コッチだヨ!」と大股で名前の横を通り過ぎた。 「案内してくれるんですか?」 「そこにいられっとウゼェんだよ!一回で覚えろバァカ!」 小さく舌打ちをした荒北に、名前は猫を一撫でして後を追う。 教室前まで歩いていくと昼食を食べ終わった生徒が廊下で談笑している姿が多く見られる。 しかし、先に進むに従って増えていく生徒は荒北を見てその分だけ目を逸らした。 ヒソヒソと聞こえる声を拾う荒北の機嫌は降下する一方で、自ずと歩みが乱雑になり、それがまた周囲を怯えさせるという悪循環を辿っている。 オレがてめーらになんかしたかヨ!コソコソコソコソうっせぇな!文句あんなら正面切って言えや! 声に出しても無駄だとこの一ヶ月で理解した荒北は何も言わずただ周囲を睨みつける。 そそくさと教室に入っていく生徒を睨むついでに教室にかけてある時計を見ると、昼休みは残り10分を切っていた。 たどり着いた購買には時間も時間の為か、生徒は一人もいない。 だが、残っているパンの量はそこそこのもので、今日も今日とてあまり人気がないことを物語っていた。 これだけあれば好きなモン買えんだろ。 自分の用は済んだとばかりに荒北は踵を返す。 「じゃあここだからァ、もう忘れんじゃネーぞ」 「っと待ってください」 「ッグェッ!」 聞こえた声を無視して進もうとした荒北だったが、一歩踏み出した瞬間に勢いよく首が絞まったことによりその歩みを止めた。 ゲホゲホとむせ返る荒北をよそに名前は自販機へ近づき、小銭を入れる。 名前が自販機から買ったものを取り出し、荒北の元へ戻っていく頃、ようやく息の整った荒北は一発殴ってやろうと名前の方へ振り返った。 「てっめなにしやが「これ」ッ!?」 突然差し出された目の前の物体に叫びかけた口を閉じる。 荒北が焦点が合わなくなるほど近くに寄せられたそれを名前の手から奪い取ると、手のひらにひんやりとした冷たさが走った。 顔から離したそれを見て、荒北の頭には疑問符が浮かぶ。 「栄養ドリンクゥ?」 「案内のお礼です」 茶色い瓶にファイト一発の掛け声で有名な品名が記入されたそれは確かにここの自販機で売られているものだ。 「学生で買うやついんのかヨ」と通りかかるたび思っていた荒北だったが、どうやら目の前にいたらしい。 しかもそれは自分の手に渡っている。 彼はお礼だと言っていたが、なぜ数ある飲み物の中から…。 「ッンで栄養ドリンクなんだよ」 「…そのビンの中身には大変お世話になっているので」 光のない目でどこか虚空を見つめる名前は荒北でさえゾッとする笑みを浮かべている。 荒北の脳に、いつか流し見ていた番組で話していた「死ぬ直前の人間は全てを諦めたように穏やかに笑うんですよ」という言葉がリピートされたが、思い切り頭を振って追い払った。 実際名前がこの栄養ドリンクのお世話になっているのは現実世界でなので、今はそんなことないのだが名前の現状を一切知るはずもない荒北はまさか同じ学校の、しかもルームメイトから自殺者が出るのではと若干の不安を抱えていた。 「おめー大丈夫なのかヨ」 そう言いかけた口はけたたましい着信音にかき消される。 驚きビクリと肩を揺らす荒北と対照的に落ち着いた様子の名前は「名前ー!俺だぞー!東堂だぞー!電話にでろー!」と自己主張の激しい携帯を握って頬を引きつらせた。 「東堂アイツ勝手に着信音変えやがった…」 多めに料金徴収してやる。 躊躇うことなく拒否を押した名前は時間を確認して電源を落とした。 そのまま乱雑に携帯をズボンのポケットにねじ込むと自分の分と東堂の分のパンを購入して荒北へ向き直る。 「ごめんなさい荒北靖友さん。案内ありがとうございました。呼ばれてるので行きますね。そろそろチャイムも鳴ると思うので荒北靖友さんも戻ったほうがいいと思いますよ」 「あ、アァ」と曖昧な返事を返す荒北に会釈をした名前はそそくさと荒北の横を抜けて教室を目指した。 鳴り響くチャイムの中取り残された荒北は先ほどの着信音を思い出し、聞き覚えのある名前に首を傾げた。 |