社畜根性
授業中です
「では、隣の人とペアを作って先ほど教えた文法を使ってコミュニケーションをとってください」

英語担当の倉持先生の声で一斉に生徒が机を付け始めた。
倉持先生はいつも授業の半分で文法を教え、残り半分でその文法を使っての会話の時間にあてる。
ひたすら聞いて見て書いて、という作業でないのは寝てしまうことがないのでありがたいのだが、名前の隣の席は東堂だ。
休み時間ほどのうるささはないもののそれでもよく喋る。
話せると言っても授業で、話す言葉は英語でなくてはならないのであのマシンガントークはないだろうと思っていた名前だったが、東堂は英語の時間もよく喋った。
使うのは簡単な文法ばかりだが、入学当時と同じように一を返せば十になって返ってくる。
名前本人にはまったくもって身になっていないが傍目から見ればまともに授業しているように見えるので名前が注意されたことはない。

いつものように東堂と席をつけ、「今日は寝ていなかったな!偉いぞ!」と嬉しそうに笑う東堂に「そうだな」と返していると、後ろの席から声があがる。

「先生、隣の席の村井さんが休みなのでペアを組む相手がいません」
「あら、じゃあそうですね…。名字くんと東堂くんのペアと一緒にやってください。」

教室をぐるりと見渡した倉持先生が名前たちの後ろの席二つが空いているのを確認すると、いいですね。と確認するように名前達をみた。
東堂が頷くと同時にガタガタと椅子をずらす音が聞こえる。
「では、始めてください」と言う声を聞いてくるりと後ろを振り返ると鋭い眼光に鮮やかな短いながらも金髪が目に入る。
とりあえず自己紹介だろうかと名前が口を開こうとすると同じく後ろを振り返った東堂がそれを遮るように声をあげた。

「村井さんとペア組んでいたのは福富だったか」
「そうだ。今日はよろしく頼む」
「今日は疑問詞を使った文だな。ふむ、ではなんと聞こうか…」
「なんでもいいぞ。俺は強い」

会話を進めようとする二人を見て、これは口を挟めないと開いた口を閉じた。
仲睦まじく話しているのに横から割って入るのは忍びない。というか出来ないのだ。
ただでさえ人見知りの名前は、初対面の人と話すだけでも勇気がいる。
もちろん自己紹介はしなければ失礼なのでするが、こうやって仲良く話しているとところにわざわざ入り込めるほどメンタルは強くない。
時間もあと十分ほどなのでこのまましているフリをしていれば注意されることもないだろう。
福富くんは英語が得意なようで東堂とのコミュニケーションも弾んでいるようだ。
東堂も、こんな素敵な友達がいるのであれば、俺に構ってないで福富くんと一緒にいたらいいんじゃないか?とネガティブな方へ思考が進んでいた名前は福富に呼ばれていることに気がつかない。
3回ほど名前の名前を口にした福富がそっと名前の肩を叩くとビクリと肩を揺らした。

「うわっ、びっくりした」
「福富がさっきから呼んでいたぞ。聞こえてなかっただろ」
「あ、ほんと?ごめん」
「いや、いい。名字、であっているな?」
「うん、そうだけど、なんで知ってんの?」
「クラスメイトだろう。当然だ」

あぁ、そうか、クラスメイトだもんな。
記憶力が乏しく、クラスメイトともまともに関わっていない名前は未だに東堂くらいしか顔と名前が一致していない。
あとは、クラスは違うが同居人の荒北だけだ。
幼い頃からアニメで育った名前は友達と遊ぶよりアニメ鑑賞の方が重要だったので、高校時代も友達の数人しか顔と名前が一致していなかった。
一般的な高校生はクラスメイトの顔と名前を覚えるもんなんだな。と一人感心する。

「俺は福富寿一だ。名字は自転車競技部には入らなかったのか」
「福富くんも自転車部なの?」
「あぁ、仮入部期間、ずっと自転車競技部に来ていたから入るものだと思っていた」
「あー…それは…期待させてごめん」

名前の姿はきっちり見られていたらしい。
仮入部期間、毎日ローラーを回していたのにも関わらず入部しないという方がおかしな話だし、その上、隣には東堂がいたのだ。目立たないわけがない。
自転車競技部に入部した生徒は皆名前が入部するとばかり思っていたのだが、それを名前が知る由もなかった。
すごすごと謝りながらチラリと横目で東堂を見ると、その視線に気がついた東堂はピクリと眉をあげ、名前の顔へ指をさす。

「そうだぞ!あんなに!この俺が勧誘したのに!何故入部しないのだ!」
「でも東堂だって好きでもないのに入部されたら迷惑だろ」
「迷惑だ!だから!名字が自転車を好きになって!入部してくれればと思いあんなに熱心にロードの魅力を語ったというのに!」
「東堂、無理強いはよくない」
「む、それはそうだが…こうも報われないと少しさみしいぞ」
「だからごめんって。でも俺その自転車のルールとか一切知らないし、楽しみ方わかんないし」
「それも説明したぁ!」
「あー、じゃあただ聞いてなかった。ごめん」

「この俺が説明しているのに何故聞かんのだ!」と騒ぎ立てる東堂を収めつつ、記憶を探る。
しかしいくら記憶を掘り起こそうとも思い浮かぶのは死にそうなほどに切れた息と、棒になったかのように動かない足の感覚だけだ。
東堂の顔はおろか、声さえ耳に残っていた記憶はなかった。
疲れきった笑顔を浮かべながらよしよしと頭をなでる名前と、その名前を睨みつけ頬を膨らます東堂を見て福富は小さく頷く。

「東堂、次の大会に名字を誘ったらどうだ」

その言葉に二人は動きを止めて福富を見る。
見つめられた福富はその表情を一切崩さない。

「次の大会っていうと…二宮ロードレースか?俺は出ねぇぞ?」
「そうか、だが俺は出るつもりだ。ロードに興味をもってもらいたいなら、レースを見てもらうのが一番だと俺は思う」
「レース…、やっぱ速さ競うの?競輪と同じじゃね?」

レースで思い浮かんだのはやはり競輪だった。
名前は競輪以外に自転車を使う競技を知らないので仕方がないのだが、東堂は既にそのロードレースについて説明している。
記憶に残っているかどうかは別として。

「だから違うのだ!まぁ、確かに見てもらった方がはやいかもな。名字!見に行こう!予定開けておけよ!」
「いいけど…いつ?」
「知らん」
「だいたい2ヶ月後だ」
「予定も何もないな。多分忘れるから近くなったら教えて」
「スケジュール帳に書いておけよ!」
「持ってないな、そんなの」
「スケジュール管理は基本だぞ?まったく、買っておけよ?」
「買う気もないな」
「お前はことごとく俺の助言を無視するな!?」
「書く事ないしなぁ」
「だから今言ったことを書けよ!もー、ったくしょうがないな」

東堂は不満そうにジトリと名前を見つめながらスケジュール帳を取り出すと6月のページを開く。
カチカチとボールペンを持って書き込もうとしたが、スッと抜けるように消えたスケジュール帳にパチリと一つ瞬きをする。
思わず無言になった名前に、東堂がおそるおそる顔をあげると倉持先生がスケジュール帳片手にニッコリと笑みをたたえて東堂の目の前に立っていた。

「東堂くん、昼休みに職員室へ来てください」
「…ハイ」

倉持先生が踵を返すと同時になったチャイムに、名前と福富は東堂の肩へそっと手を置いた。