社畜根性
さようなら会社
視界端にいた黒い物体が何かを床に叩きつけるような音とともに消える。
パソコン越しにいる肩しか見えない同僚が「安田、リタイア」と呟いたのを聞いてソレが後輩の安田が倒れた音だと理解した。
「どうします?こいつ」と手元を動かしたまま聞いてくる誰かに「少し寝りゃ復活すんだろ」と返すとその誰かはなけなしの優しさなのか、己のスーツを安田にかけてまた仕事に戻った。
安田はだいぶ頑張った。
新入りでありながら異例の5徹だ。俺が新人のときは3徹でダウンしたから、この仕事が終わり次第なんかおごってやろう。

納期までに終わればの話、だけどな。

自虐的に笑った名前は終わる気配の見えない資料の山と、その納期を思い出して浮かべた笑みを消した。

名前がこの会社に入ってかれこれ10年。
高校時代、ろくに勉強もせず、何かを頑張ったわけでもなく、ただひたすらにアニメ鑑賞という趣味にのめり込んだ結果、唯一内定の貰えた会社がここだったのだがこれがとんだブラック会社だった。
学力最低値ラインの学生をこれといった面接も無しに雇うこと事態、可笑しいと気づくべきだったのだがどの会社も書類落ちだった名前にとって、まさに砂漠に水だったのだ。
飛びつく他ない。

サービス残業は当たり前、週に一度休みがあればいい方だし、ここ一年くらいは週に一度家に帰れればいいくらいになっていた。
信頼されているのかこき使われてるだけなのか。
1つ大きな仕事が終わればまた新しい仕事を任され、休憩を取る暇もなく、食事の時間さえ惜しいほどだ。
転職しろと言われれば、そうしたいのは山々だがこの不景気にこんな学歴のやつを雇ってくれるとこなど無いに等しく、そんなチャレンジをする度胸はあいにく名前は持ち合わせていなかった。

今日も今日とてサービス残業に返上する休憩時間、それにここ数日で恐ろしいほど積み重なった10秒チャージを見つめて思考を止める。

動かなくなった名前に目の下に大きな隈を作った新人は心配そうに声をかけるが、同じように隈を作った先輩に目で止められた。
他人の心配をするなら仕事を片付けてからにしろと訴えかける瞳に新人は戸惑いながらまたパソコンへ向かい合う。

名前はそんな新人に気付かず、ただただ10秒チャージを見つめている。
それから数十秒、

そう言えば何日寝ていないだろう。

ふと浮かんだ疑問にようやく思考が開始する。
それと同時に酷い睡魔が襲ってきた。
寝る前にデスクを片付けてから眠る名前にとって、ピラミッド状になっている10秒チャージはかれこれ6日は寝ていないことを思い出させるもので。
それを理解した途端体は睡眠を欲するのだから面倒くさい。

襲いかかる睡魔に必死に抗おうとするも、瞼は言う事を聞いてくれず視界の半分が黒く塗りつぶされていく。
「これは瞬きこれは瞬きこれは瞬き」と自分に言い聞かせて視界が真っ黒になると同時に鳴り響いていたキーボードを叩く音が消えて、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた。